「女性としての壁」を綴った『82年生まれ、キム・ジヨン』に集まった声、声、声
「夢」というのは、眠っている間に見るあのわけのわからないもののことでもあり、また、かなえたい未来の願いも意味します。この2つを同じ言葉で呼ぶことは現代の私たちにはちょっと不思議ですが、古代の人々は夜見る夢について、魂が抜け出して実際に体験したことと考えていたようです。そうであれば、魂が抜け出して未来への願望を予行練習してきた……と思うこともあったのかもしれません。
この記事でご紹介するのは、ある一冊の本を通して読者の皆さんに訪れた「夢」の数々。韓国で100万部超えのベストセラーとなった小説、『82年生まれ、キム・ジヨン』(チョ・ナムジュ著、筑摩書房。以下、『キム・ジヨン』と略)にまつわる夢です。
小説は、ごく平均的と思われる人生を送ってきた33歳の女性が経験した「女性としての壁」を綴ったもの。この本を読んでくださった方に、Twitter上で「#82年生まれキムジヨンと私の夢」というハッシュタグをつけて夢を投稿してもらいました。
「たいしたことじゃないし」「気にしていたら、きりがないし」と心の底に埋めてきた記憶が掘り起こされる
「あった、あったこういうこと」と頷く度に涙が出た。「女にさえ生まれなければ」と思う子が、1人でも減りますように。男の子もそう。次の世代には、こんな思いをさせたくない。この気持ちがますます強くなりました。#82年生まれキムジヨンと私の夢
— 🌟行田 トモ🦄 (@yukita_ToMo) March 10, 2019
最初にご紹介するこの方の夢は、今回寄せられた意見のみならず、『キム・ジヨン』の読後感の代表ともいえそうなものです。このように、キム・ジヨンが学校や職場で経験した小さなこと一つひとつが、自分にとっても「あるある」の連続だったという読者が本当に多かったのです。しかも、自分でも気づかないうちに「たいしたことじゃないし」「気にしていたら、きりがないし」と心の底に埋めてきた記憶が掘り起こされるので、読んでいて辛い、苦しい、泣いてしまったという感想が実にたくさん寄せられました。
本書を翻訳した私は1960年生まれ、男女雇用機会均等法の施行以前に社会に出た世代です。私の世代の女性たちは、『キム・ジヨン』を読んでもおそらく泣きはしません。男性社会の本音にさらされて生きてきたため、ある意味の強さと鈍感さがあります。でも均等法施行以後の世の中で育ってきた女性たちは、世の中にあり余る本音と建前のギャップにさらされ、それを見ないように、見ないようにと努めてきたために、内部に溜め込むものがとても大きかったのですね。見えない壁の方が戦いづらい、そして、本当はそれが「見えない壁」どころではなく、どこまで巨大なのか計り知れないと明らかになったのが、東京医科大学をはじめとする大学医学部の不正入試問題(*1)でした。
『キム・ジヨン』が日本に紹介されたのは、その一端が明るみに出はじめた時期です。この小説の最後の場面には、それまでかすかな希望を持って読んできた人を「えっ」と絶句させるしかけがあるので、それを読んで「絶望してしまった」という方も多いようです。しかしそれはあくまで現実の限界を示しているだけのこと。夢を現実にしていくには、一度現状を直視しないことには何も始まりません。本書の帯に作家の松田青子さんが「女性たちの絶望が詰まったこの本は、未来に向かうための希望の書」という言葉を寄せてくださいましたが、まさにその通りですね。
この夢を寄せてくださった方がちゃんと「男の子もそう」と書き添えてくださっているのが素敵です。
子どもがいてもいなくても、次世代にこの矛盾を持ち越したくない、自分の世代で打ち切りたいという夢は同じ
安心してバスに乗れ、トイレを使え、男と同じ仕事をしたら同じ給料が支払われて、ひとりで子育てを抱え込まなくてもすむ未来を娘に残したい。
— 三星 円 (@mihoshi_m) March 15, 2019
理由や原因が「性別」ではない世の中にしたい。わたしは子供いないけど、次の世代にはもっと生きやすい世界を残してあげたいな。 #82年生まれキムジヨンと私の夢
— ちゃっきー (@Cci271004) March 13, 2019
本書の冒頭でキム・ジヨンは2回、誰かの魂が憑依したような言動を見せます。そのうち一人は生きている自分のお母さん、もう一人は出産時の異常で亡くなった、仲良しだった女性の先輩です。ジヨンは自分自身が危機を迎えたとき、近しい、大切な女性の声を借りてそれを訴えようとするのです。また、ジヨンが妊娠出産に際して夢を見るシーンも描かれています。韓国には、子どもを身ごもったときに母親が見た夢によって生まれてくる子の将来を占う習慣がありますが(これを「胎夢」といいます)、一度はそんな占いに使えそうなはっきりしたストーリーのある夢、そしてもう一度は出産の直前に、脈絡のない、わけのわからない夢を見るのです。
このように、一人の人間の中では現実と願望と混迷がごちゃごちゃになって同時進行し、そうやって人生は続きます。けれどもそれを俯瞰して見たら、未来へ、次世代へと向かう夢に牽引されているのだろうと思います。
「私の夢」というハッシュタグで集めたけれど、今回寄せられた声のほとんどは「私たちの夢」でした。特に次世代の人々に向けた視線を感じるものがほとんどでした。子どもがいてもいなくても、次世代にこの矛盾を持ち越したくない、自分の世代で打ち切りたいという夢は同じです。
広告やテレビにおける表現のありかたを考える。人間としての女性の権利
2019年の私はまだ、リア友にフェミニズムの話はできていない。いつか生きづらさの原因が女性の権利にあると、みんなの頭の中でつながりますように。 女性の権利を考えられる広告屋さんが、男性ではなく女性から出てきますように。(@fuemi_ad)
バラエティ番組で男性芸人にセクハラされてもニコニコしていたタレントの女の子。セクハラも笑いのネタでしかないことに胸が痛んだ。知人の男性は「仕事だから仕方がない」と言う。それなら、そんなしょうもない仕事が早くこの世からなくなることを心から祈っている。#82年生まれキムジヨンと私の夢
— ひのこ (@phioco) March 8, 2019
この2つは、ネット上でもずいぶん話題になったニュースにまつわる「夢」。
今年に入ってまもなく、ここに出ているように、顔にパイをぶつけられた女性の写真を使った広告が批判を浴びたり(*2)、バラエティ番組で女性タレントが「体を使って……」と揶揄されたり(*3)、暴行された女性タレントが逆に謝罪をしなくてはならなかったり(*4)といったできごとが立て続けに報道されました。訳知りな批評ではなく、広告会社のクリエイターやタレントさんを「働く女の人」「仲間」ととらえてエールを贈ってくれました。
とりあえず今は、何がかわいくて何がかわいくないかは自分で決めるんだというスタンスで生きていく
女の子は賢すぎないほうがいい(かわいい)という言説が撲滅され、もっとカジュアルに社会問題について話せたり、なにかおかしいと思ったらその場でカジュアルに反対意見を言える社会(今の自分は難しい)#82年生まれキムジヨンと私の夢
— たむたむ (@kagimuta) March 15, 2019
『キム・ジヨン』にも、就職活動に際して大学内で起きた性差別に抗議した女性に、「女が賢すぎると会社でも持て余すんだよ。今だってそうですよ。あなたがどれだけ、私たちを困らせてるか」と言う教授が出てきました。賢くなければいけないが、賢すぎてはいけない。男を圧迫するほどではいけない。「そこそこ」でいてほしいというダブルスタンダードがかえって女性を追い詰めています。「そこそこ」であることが「かわいさ」なのであれば、「かわいい」の呪いはほんとに根深いなあ。「日本文化と<かわいさ>」という論点に持っていくときりがありませんが、とりあえず今は、何がかわいくて何がかわいくないかは自分で決めるんだというスタンスで生きていくしかないですね。
- 1
- 2