She isでは、特集テーマをもとにGirlfriendsに選曲してもらったプレイリストをSpotifyで配信中。5・6月の特集テーマ「ぞくぞく家族」では、もくれんさんのお母さんであるソノダノアさんが選曲してくれました。
現在10歳のもくれんさん。彼女のTwitterは、「姿と言」がもくれんさん、「写と記」がノアさんと、母娘二人で生み出した日常の風景が綴られています。また、マヒトゥ・ザ・ピーポーの“Holy Day”のMVでは、母が監督をつとめ、娘とともに出演するなど、一般的な「母・娘」という関係を超え、ともに作品を生み出すためのパートナーのようにも思えます。
決まりきった家族のかたちはなく、家族の数だけそれぞれの景色がある。家族の多様な関係について考えさせられるミュージシャンの楽曲や、もくれんさんとノアさんの日常の景色が浮かぶ楽曲など、エピソードとともに綴っていただきました。
01:Sidney Bechet “Si tu vois ma mère”
夕涼みに車で15分ほどの湖へ。いくつかあるスワンボート屋の中で一番安いおっちゃん組合の桟橋で手漕ぎのボートを借りる。漕ぐのはいつももくれんの役目。その時iPhoneで流すのは決まってこの曲。生活のオアシスとは言えすっかり見慣れたこの湖畔沿いの風景はパリに、色褪せたボートもセーヌ川を下るゴンドラへと早変わりする。
「ロマンチックの相手がノアじゃなぁ」とか言われながらひとしきり湖面を漂い時間切れのアラームとともに現実の瀬へと戻る。ボートを降りるといつも鯉にやる用の食パンを手渡されるので瀬にたむろする鯉たちにパンをやる儀式がセットになる。鯉たちの黒ぬめりしながらひしめき合い投げ込まれたパン片を荒々しく奪い合う様子にピラニアを連想する。セーヌ川の趣は瞬く間にアマゾン川の形相へと豹変するのだった。
02:Molly Drake “I Remember”
03:Nick Drake “Place To Be”
1950年代、世に出すことを目的とせず生活のささやかなよろこびとして詩を書き歌を歌っていたモリー・ドレイクのひそやかな宅録音源集、『The Tide's Magnificence』。白いノイズにくぐもったピアノ、ときおり指で譜をめくる音も聞こえる。家のリビングでの演奏を家族が録音したものらしい。
そんなリビングで育まれたのがのちにシンガーソングライターのレジェンドとなるニック・ドレイクだ。ニックの浮遊する和音の感性やスモーキーな声質にモリーの面影が溶けているのを感じる。精神を病んでいたニックは26才のある未明、抗鬱剤をオーバードーズして自室のベッドでこの世を去った。冷たくなったニックを発見したのはモリーだった。その光景はまぎれもなく私の人生にも想定可能なありとあらゆる種別の絶望の中でも群を抜いてもっとも恐るべきものであった。
その後もモリーは詩を書き歌を歌い生きて一冊の詩集も一枚のレコードも世に出すことなく1993年に永眠。私が調べて知ることのできる背景なんてせいぜいこれぐらいだけど、死者がかつて灯していた温度に寄り添うことができて、もうここにないはずの生に共鳴することのできる音楽という器はやっぱりすごいなと思う。
モリーとニックの曲、二曲つづけて。
04:Joni Mitchell "The Circle Game”
家族というテーマを受けて一番最初に思い浮かんだのはこの曲。私がまだ母になる前のただの私であった頃に恋をしていた人がくれたCD-Rの最後に入っていた曲だ(最初と最後が一曲ずつジョニ・ミッチェルであとは全てSIONという狂気じみたセレクトだった)。
一人の少年が10回、16回、20回と季節を重ねていく姿を描いたこの曲。当時は無意識に歌にみまもられる少年の側にあった視点が、いつのまにか少年をみつめる歌の側にうつっていることに気がついた。今おそらく私ともくれんはちょうどこの歌の中腹あたりに立っている。常しえのように思えるこの日々のルーティンの反復もどうやら半分あるいはそれ以上が既に終わってしまったらしい。もくれんが心身ともに独立し私がただの私に戻る日のことを思うことが増えている。そんな日がいつかきてしまったらさびしくてかなわないだろうから白くなった髪に季節の色をさして皺くちゃの焼けた肌に忘れたくないことの数だけタトゥーを増やしながら旅するように暮らしたいな。
05:The Shaggs “Philosophy of the World”
占い師の祖母による「三姉妹がポップグループで大成を遂げる」という予言に乗っかって一攫千金を夢みた父が楽器を触ったこともない娘たちにバンドを組むことを命じ、学校へ通うことさえ中断して曲作りと練習に励ませ前のめりでレコード発売にまでこぎつけるも、意図せずしてニッチな音像に仕上がりすぎたその音楽は世に広まることなくレコードは9割廃棄処分に至る……が懲りずに二枚目のレコードを繰り出した直後に父は死亡。バンド、The Shaggsは解散となった。
それから12年の沈黙の時を経て、界隈にディグられたレコードがまたたくまに燃え広がりカート・コバーンの愛聴アルバムランキング5位に選ばれ、フランク・ザッパにビートルズよりはマシと評価されるまでに至ったのだそうな。父の独裁プレイによって数奇な物語の主人公となった姉妹だが、当人らにとって決して不幸な出来事ではなかったというふうに語られていて、近年企画的に再結成してどこぞのフェスで演奏したりなんかもしたそうだ。
家族なんてきっとどこもみんなそれぞれに狂っていて、折り目正しく育てばしあわせに生きられるとも限らないのだから、歪んだまままっすぐ生きたらいいんじゃないかなと思う。
06:Ru Paul “Call me mother”
もくれんとふたり互角の熱量で愛でている『ル・ポールのドラァグ・レース』より。ドラァグってその華々しさの内側に幾多もの痛みを内包したいわばレベルムーブメントでありながら、今や底抜けにポップなお茶の間エンターテインメントとしても大成してるのが痛快で見事だなと思う。
マイノリティに生まれついたことにより受けた心の傷についてクイーンたちが語るシーンのたびもくれんは寄り添い胸を痛めている。物心つく過程でジェンダーや容姿や信仰など人の在り方の多様性に心で触れる機会さえあれば、差別の意識が育つ余地すら生まれないんじゃないかと思ったりもする。『クィア・アイ』も然りで、各種ステレオタイプ差別の未だ根強い日本の地方都市に暮らしていてもNetflixは等しく知性の窓を開けてくれる。子供にはまだ理解できないんじゃないかと先回りせずシェアできることはきっともっといろいろあるはずだ。自分の頭で考えるにはまず何が起こっているかを知ることが必要だから。
07:Britney Spears “Toxic”
もくれんはガン踊りしたい気分になると床に散らばったものをブルドーザーみたいによけてスペースを確保するとすっくと立ち構え「激しいやつをお願い」と言う。要望に叶いそうな曲をプレイリストからみつくろって再生。激しいショータイムのはじまりだ。視線はたった一人のオーディエンスである私に終始ロックオン。いずれの基礎もなく100%パッションだけで構成されたプリミティブなダンスのはしばしにはドラァグクイーンからコピッたと思われる動きが取り入れられている。完全におもしろいのだが笑い転げればやめてしまうから慎ましやかに鑑賞しキメのポーズで喝采をあげる。最近のお気に入りはブリトニー。こうゆうのいつまでやってくれるのだろう。ずっとやってほしいな。
08:五輪真弓 “少女”
子育てにはかつて完全な大人に見えていた母が抱いていたであろう揺らぎを数十年ごしのディレイで体感として回収していくようなところがある。遠出帰りの渋滞、くたびれてどちらも無口な車の中。バックミラー越しにみえるのはシートにもたれてぼんやりと窓の外を眺めるもくれんの横顔。「ねぇ、あれかけて? ほら、あの、少女がぼんやりと見てるやつ」。五輪真弓の少女だ。何をするにもこちらを何度も振り返りちゃんと私が見ていることを確かめていたもくれんも、近頃は鍵付きの日記帳をつけたりしている。かつて母親に踏みこむことをゆるさない憂いの領域を持ちはじめた少女をやっていた私が今度はそれを見守るターンなのだ。
※秘密の日記帳は3ページ書いたところで鍵を隠した場所を忘れ開かずの岩戸となった。
09:ハンバート ハンバート “おべんとう”
うどん、ラーメン、カレーライス、パスタ、唐揚げ、お好み焼き、天ぷら、コロッケ、ピザ、グラタン、シチュー、焼きそば、冷やし中華、餃子、おでん、ハンバーグ、ケーキ、クッキー、ドーナッツ……食べられないものの数を数えたら両手両足ぜんぶ使っても指が足らない。もくれんは生まれつき重度のアレルギー体質なのだ。
一度目を離したすきに好意でパンを貰ってしまいアナフィラキシーショックをおこして呼吸と心肺が停止。人工呼吸で蘇生させたことがある。アレルゲンのいくつかは避けづらい品目であるため、幼稚園から小学校五年の今にいたるまで毎日欠かさずお弁当を作って持たせている。リアルな朝の現場はこの曲のあたたかな情緒とはほど遠く、無の心でアラームを止め血も酸素も眠る体で二足歩行し米に二菜一汁を能の型のような所作で保温ジャーに詰め、箸を添え、巾着袋のひもをキュッと締め上げる。私はお弁当のサラ・コナー。ちなみに冒頭に羅列した地雷メニュー、私のスペシャルレシピで作るからぜんぶ食べられる。
10:マヒトゥ・ザ・ピーポー “Holy day”
平成の終わりに作ったMVの曲。もくれんという人は私の体をトンネルにしてこの世にやってきた。私たちは共に日々をやりながら互いに別の人生を生き、それぞれのストーリーの中にいる。正統派な家族スタイルじゃないにしろこれはこれで悪くない関係だと思っている。
子供を持ったことを境に誰に悪気はないにしろ便宜的にママさんという属性をぬるっとあてがわれ、その属性に立ったふるまいを暗に求められる場面に多々と出くわすことがあり、私はこれに慣れることができなかった。もとい、学生、会社員、彼女、妻、嫁、あらゆる属性をまとう仕草にことごとく失敗してきた私がママさんということさら息苦しい属性に対し無抵抗でいられるわけもなく慢性的な疲弊を感じてきたのだ。
子供を産んだ女は母になる。けどそれは単にひとつの面が増えるということにすぎない。母になった私はかつて一人だった頃のようには生きられなくなったが、自分がただの自分であるという感覚は途切れることなくこの中心を貫きつづけている。そんな話をするでもなく、ある電話でマヒトは母として淡々と生活を調律するこのありふれた日々のことも、その水面下で私がただの私として揺らぎつづけていることも並列に肯定した上で、いろんな景色をくぐりぬけて今が一番いいってことを描いてよと言った。正直言って今が一番いいなんてピンとはこなかったのだけど、怒涛の神通力で貫通させたMVをどこかよそごとのような視点で眺めたとき、確かに私たちふたりはひかりの真っただ中に立っていたのだ。マヒトにどこまで意図があったのかわからないけど結果的にものすごくエピックなやり方と深度で全肯定してもらったことに気がついて、あぁ、やっぱりこの人には一生かなわないなって思ったのだった。走馬灯が終わっても私たちの日々はつづく。