忘れもしません。2018年5月、友達数人と居酒屋で楽しくお酒を飲んでいたときのことです。新宿ではその数日前に「私は黙らない0428」と銘打たれた街宣が開催されたばかりでした。さらにその数ヶ月前、ゴールデングローブ賞の授賞式ではハリウッド女優たちが性暴力への抗議を示す黒いドレスに身を包み、セシル・B・デミル賞を受賞したオプラ・ウィンフリーがすべての女性たちを讃える圧巻のスピーチを述べ、それを見て私はぼろぼろ泣いたばかりでした(このスピーチの映像を見ると、いまでも涙が止まらなくなってしまいます)。
そのふたつの出来事に大きく心を動かされて、私は大昔に自分が受けたいくつかの痴漢被害について初めて詩を書き、noteに掲載しました。ところでその詩は、まったく稚拙な出来でした。当然です——ずっと忘れようとしてきた経験を題材に、いきなりいい詩が書けるわけがありませんでした。自分の内側できっちり向きあってこなかったことを、一朝一夕に結晶させて詩にするなんて、無理難題だったのです。
その居酒屋の席で、ひとりの男の子が私の表現の稚拙さを批判したついでに、痴漢はレイプなどに比べたら「ライトな#MeToo」なのではという主旨の発言をし、私はその発言に真っ向から抗議できないまま、後味の悪い思いで帰路につきました(でもその晩、夜中の二時頃に彼はメールをくれて、そこには「自分の発言を思い返して反省しました」という言葉が、謝罪とともに書いてありました。そのメールが、性暴力被害の経験が当事者にとって比較級で語れるものではないと彼が気づいてくれたことが、私にとって、どんなに大きな救いだったかわかりません)。
また別のとき、ある女子会で話題が性的同意の話に及び、そこにいたほぼすべての女の子が男性から受けた何らかの恐ろしい体験をまるで昨日の出来事のように語るのを、私は溜め息をつくような気持ちで聞いていました。その溜め息の中身は、「私だけじゃなかった」という安堵と、なぜそんなことが許され続けているのかという憤りでした。
パトリシア・ロックウッドとは、オランダのロッテルダムで開催された国際詩祭で出会いました。言葉遊びとシャープなユーモアたっぷりの朗読で会場の笑いを誘っていた私と同い年のこの詩人のことをもっとよく知りたくなって、彼女の詩集を買いました(この詩集から数篇の翻訳を、詩誌「『季刊びーぐる』」で近日発表予定です)。「Twitter上の桂冠詩人」とも呼ばれる彼女が、2013年に自らの性暴力被害の経験を題材にした詩をオンラインメディアに発表し、その詩が英語圏のSNSで直ちに数万人に拡散されたのをきっかけに全米で有名になったという話を、私は詩人の四元康祐さんに教わりました。ここに翻訳して紹介するのは、その詩「レイプばなし(原題:Rape Joke)」の全文です。
性暴力の被害者が苦しむ理由のひとつは、その経験がいつまでも過去のものにならないことです。「Rape Joke」の多くの詩行は「The Rape Joke is……」と始まります。「is」が「was」になることはありません。
日本よりもあからさまな下ネタがコメディの世界でまかり通っている米国では、Rape Jokeという言葉自体、一般名詞として存在しています。そして、いったいRape Jokeとは笑えるものなのか? という議論もまた、インターネットを少し渉猟してみるだけでも、あちこちで繰り返されています。パトリシア・ロックウッドの詩は、この議論に大きな一石を投じるものでもありました(下ネタを笑うことについて、日本語で読める考察としては、昨年末刊行の『「「笑い」はどこから来るのか?』」(早稲田文学増刊号)に発表された森山至貴さんの論文「笑っても地獄、笑わなくても地獄」をぜひ)。
私は、いつか突発的に書いた自分の稚拙な詩ではなく、パトリシア・ロックウッドの、ソリッドでドライな、研ぎ澄まされた明晰な言葉で私たちに問いかけてくるこの作品をここに紹介できることを嬉しく思います。もしかしたらあなたも「レイプばなし」を読んで、ちょっと笑うかもしれません(おかしいところが、翻訳でちゃんと伝わるとよいのですが!)。そして考えるかもしれません。おかしいな、どうして私、いま笑えたんだろう、と。
電車の中で露出狂に遭った日、家に帰ると私の母と隣の家のお姉さんが、私が泣きそうになりながら語ったその出来事を笑い飛ばしてくれたのを憶えています。私は中学生でした。そうやって笑ってもらっただけで、それは大したことではなかったような気がして、随分ほっとしたものでした。性暴力は笑いごとではありません。でも、それが優しいユーモアとともに語られることが、ときに人をほっとさせることもまた、事実です。なぜならそれは、彼女がその先へ朗らかに生き延びたことを示す、大切な証拠だから。
これはきっと、尊厳についての詩なのです。
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