2020.4.4の日記
《私の彼は警備員です。しかも、よりによってコロナで大変なこの時期に、都内の病院に配属されました。
彼は正面玄関の警備と、夜間の巡回と受付を任されています。人手不足で、夜間の救急の要請の対応や些細な問い合わせも全て彼が1人で、対応しています。
搬送されてくる患者の方は緊急の病人から泥酔者まで様々で、中には素人目から見てもコロナと疑わしい人が複数いたとのことでした。そういう場合はすぐ、現場の看護師さんに連絡をし引き継ぎます。
その度に、生きた心地がしないのだそうです。
彼は、医療のことも自分の身をウイルスから守る知識も何もありません。だって、1ヶ月前までは小さなマンションの警備員だったから。
基本は前日の午後から翌朝までの夜勤ですが、通常朝の4時頃1時間だけ仮眠の時間がとれます。でも、それも最近増えた救急の要請やコロナの不安を訴える電話の応対で休みを取ることは難しくなりました。
結局いつも一睡もできず、朝になって窓口を開けると必ず同じ老婆がトイレットペーパーを3ロール泥棒しにやってくる》
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私はそんな彼の状況を知って、まるで何も知らず戦争の前線におかれてしまった可哀相な兵隊みたいだと思いました。
医療の知識もない、ただの警備員が。
勿論防護服など着ていない、マスク1枚の、丸腰の警備員が。
「夜中になると、不安で眠れないから今すぐ睡眠薬か安定剤を出してくれって電話がよくあるんだけど、それを受けるたびにおれも起こされてるってことその人達は知らないんだろうなあ」
◆
彼はそうした勤務を12時間ほどやって、毎日くたくたの顔で帰ってきます。今日も、彼が帰ってくるとすぐに私は今にも眠りこけそうな体を引っ張って、無理やりシャワーを浴びせ、うがいをさせ、人形みたいにくったりした腕にジャージの袖を通して布団をかぶせました。そしたらすぐにイビキが聞こえてきました。
彼の鞄やスーツをアルコール消毒していたら、なんだか急に不安と涙ががどっと溢れてきました。
ああ、なんでこんなことになっちゃったんだろう。
‥
クークーと穏やかな寝息が聞こえる。
寝ていると思って「もう仕事辞めていいよ」と独り言のつもりで言ったら、「大丈夫」と声が返ってきた。
首都圏封鎖になれば彼も仕事が休めるだろうなんて思ったけど、よく考えたら病院は稼働しているのだからそうはいかないだろう。出勤しないといけない人は、緊急時でも何の保障もなく外へ投げ出される。人は使い捨てじゃないのに。
警備という仕事はそういう仕事なのか、だから職歴も無い彼が40代になっても就職できたのかと納得した。もう散々だ。
今夜も、同居人は病院へ勤務する。いつも通り、月給20万そこらで、命をかけて。
△
私の父が事故にあった後、母がこう言っていたのを思い出した。
「あの日、お父さんの手をひいて2人で逃げればよかった。手術着のまま、夜の公園でもどこへでもいいから、逃げちゃえばよかった」
普段後悔なんか口にしない気の強い母がそこまで言った。
◯
昨日の深夜。部屋で一人、小さなクリップライトの下で齋藤陽道さんの写真集を開いた。ページをめくって思わず声が出た。美しさに胸が詰まった。
大事なことをたくさん思い出した。そして私はまだやりたいことが沢山あったことを思い出して泣いた。
あの時思わず叫んだのは、私の本能か。
●
今日は昼頃起きて、日昼寝てる彼を起こさないようにそっと家を出て郵便局へ行った。
玄関を出たら、空が青くて驚いた。こんな時でも天気は何の影響も受けない。それはきっと、見上げる人が一切いなくなったとしても。
平坦な、普段から人通りのない1本道にある真っ赤なポストの赤色が今日はやけに目に滲みた。
郵便物にもアルコールをかけ、ゴム手袋で投函した。
私は、本来ただまっすぐ帰るだけの道を何度も回り道して、ゆっくりゆっくり、街全体を目の中に閉じ込めるみたいに眺めて歩いた。
陽射しを束ねるように、わざと一番明るい場所を選んで。
接骨院の花壇で白い小さな花が、まるで道路にはみ出んばかりに茂っている。
一つ一つの花が揺れていた。
死ぬってことは、それらにさよならを言うことだとふと気づいた。
☆
毎日窒息しそうな日々を、音楽や写真、本、映画といった芸術に助けられている。
私の絵にもそういう力が持てますように。または、私の絵の中に、その可能性が内在されていますように。
4月12日の日記
つい毎晩遅くまでネットに張り付いてコロナのニュースばかり見てしまう。
通販でウイルスを殺す溶剤というものを藁にもすがる思いで買ってみたら、プールの消毒に使うやつで人の体に直接触れたら猛毒とのことで青ざめて捨てた。私たちはこんな危機的状況でも、手洗いとうがいに頼るしかないようだ。
ただでさえコロナで不安なのに政府の一挙一動によって確実に免疫をえぐられている。今描いてる漫画も、不安からかどうしても内容に悲壮感が漂ってしまう。ギャグ漫画なのに!! 漫画や絵を描くことは家でできることだけど、充分に営業妨害だ。
リモートワーカーが増えている昨今であるが、うちの同居人は変わらず出社している。会社が絶対にそうさせないからである。できる会社じゃないのだ。だからといって、勝手に休んだらクビになる。
こんなことがあるなら、いくら給料安くてもいいからこういう時に自宅勤務させてくれる仕事を選べばよかった。これから先、ハローワークの求人票に「非常時はリモートワークができる」なんていう項目ができるかもしれない。
私の一番仲のいいアダルトビデオ屋でバイトしてる友達も、非常時になって逆に客が増えたとのことでむしろ忙しそうにしている。OLをしている妹も、セキュリティの問題だかなんだかでリモートワークが許されておらず、こんな時もかなり遅くまで残業している。一番危険に晒されていないはずの私が、それらの現実を前に情けないことに一番病気になりそうなくらい動揺をしている。大切な人達がこんな時も外出させられていることが、悲しくてたまらない。
こんな愚痴をぼやくと、「命とどちらが大事だ」「辞めればいい」とか適当なことを言う人が湧くけれど、もし再就職も困難な年齢や立場の場合、本当に退職して自宅にこもることが正解なのだろうか? 終息した後無職になってどうする? 生活保護を受ければいい? 生活保護を悪いと言っているわけではないけど、政府がするべき補償も対策も手を抜いてるこの状況で、私達はそこまで多くのものを手離さなければいけないのか?
結局、今の状況だと余裕のない人達は仕事をやめて困窮するか、感染して倒れるまで働くかのどちらかだ。
あと、医療従事者の方々だって1人の人間に変わらないのに、責任を押し付けすぎだ。せめてもっと大切に扱われるべきだと思う、人間も病院も使い捨てじゃないのに。
補償も無いから仕事を休めない人達がわらわらと通勤する中、同じ車両で通勤される医療従事者の人達は気が気でないだろう。病床も足りなくなり自らの感染の恐怖を感じながら必死に人命を救ってくれている時に上から布マスク2枚なんて声が聞こえてきたら、もうやってられなくなると思う。本当にいい加減にせえよと思う。
午後は、バナナがセロトニンを増やすと聞きスーパーへバナナ買いに走る。帰り道、本来ただまっすぐいくだけの道を何度も回り道して、これが最後の散歩になるかもしれないなんて思いながら歩いてみることにした。
この街は花が多い。それは今日初めて知ったことだった。花を見ていると悲しい気持ちが和らぐような気がした。軒先にやたらと花を育てている人のことがあまりよくわからなかったけど、もしかしたら大きな悲しみを経験した過去のある人たちなのかもしれないなあなんて思った。
その後、普段はあまり寄らない近所の団地の原っぱへ行った。草むらでおじさんが大の字で寝ていた。普段だったら警戒して目を逸らすところ、今日ばかりはこのおじさんにとても共感した。こんな時は草むらに寝転びたいよな、それが生きるよろこびだよなと。
私は寝転びながら、立派になんかならなくていいから、お金持ちにもならなくていいから、もうすごいとこなんかに旅行しなくていいから、1秒でも長くこの普通の景色の中に存在していたいと思った。
家族や友人にもそうあってほしいし、勿論街を行き交う知らない人達にもそうあってほしい。そして、空を見ることのできないお父さんも、きっと何かを感じていてくれてるだろうから生きていてほしい。それらを奪う権利は誰にもないと思うので、政府にちゃんとした対応を取ってもらうようこれからも騒ぎ立てたい。
「違う場所の同じ日の日記」
この日々においてひとりひとりが何を感じ、どんな行動を起こしたのかという個人史の記録。それはきっと、未来の誰かを助けることになります。
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