4/7
布団圧縮袋の中で寝ている。まるで人が真空パックされているみたいに。普通に寝ていたのにいつの間にかどんどん袋が密接されていって、空気が薄くなり息苦しくなっていく。必死に声を上げて助けを呼びたいし、誰かの手を握りたいけど、声は届かないし身体も動かない。これが私のコロナウィルスに対して、例えばのイメージ。
4月7日。全くやる気がでないのはどうしてだろう。海の向こうから知らないものがやってきて、それに対してどうやって立ち向かえばいいのか人類は誰も分からないでいる。でもみんなでエイエイオー! って力を合わせて知恵を絞れば、逆境を乗り越えていける。ここまでは映画なんかでよくある話。現実では何かをするわけでもないし、知らないものを知らないままの生活が続いている。当たり前にあった日常の暮らしは、いきなり電気ショックを与えられて常に神経が張り巡らされている状態に様変わりした。震災の時も東京はこんな感じだったよって東北出身の友人が教えてくれた。
明日、東京を初めとする7都府県に緊急事態宣言が出るらしい。私が今置かれている状態は、不要不急の外出自粛。在宅勤務。休業保障。毎日の体温測定。メディアから一定の情報を吸収しすぎて、まるで自分もその病気にかかっているような感じ。まだ自分が困っているというよりは、社会が困っているなという印象で東京でひとりどっこい生きています。自分くらいは守っていけるよ。
記憶にとどめることは、人間として生きることに必要なことなのだと思うけど、今のこの奇妙な暗闇の中それだけではあまりにも安易すぎる。全て記録に残こすべきだ。でも何を書こう。それが意外と難しい。このことを考えないようにして周りがどうなろうとも、前と同じ生活をする方が楽だ。とりあえず目を伏せたい。そして耳をすまして、どんな些細な音も一切聞き逃したくない。
スーパーではレトルト食品からなくなっていく、街から人が消える週末、テレビ電話越しで見る友人の肌色が不自然、自宅でできる仕事で本当によかったね、しんどい日々が続きますが頑張りましょう、マスク二枚なんていらない、携帯の画面から何度も流れてくる「STAY HOME」の文字、武漢ではウィルスで亡くなった遺体の数が多く焼かれすぎたのが原因で悪いガスが大量発生してるって噂、若者は大丈夫って言ったの誰よ、しばらく地元には帰れない又帰ってこないで、熱があるかもどうしよう、自分も死ぬ可能性があるんだろうか、そう思って生きていことを確認する、トイレットペーパー買えた? まだーどこに売っているんだろう、明日の夜に緊急事態宣言出るらしい、なにそれ? 食べものとか買いにいけるの? でも外に出るとみんな普通に暮らしているよ、そっちも気をつけてね、また電話する、「会えるときにいっぱい会っとけばよかった」って聞き慣れた台詞、ほんとうだったね。
ああ、お腹がへった。今日は何をつくろうかな。家にこもるようになってから、毎日自炊して、お花を飾るようになった。お花なんて前はその辺に咲いてても見向きもしなかったくせに、今になってありがたみを感じるなんで虫が良すぎるぞ、自分。東京に住むって決めたのも又自分だ。
緊急事態宣言が出たらもしかしたらもう桜も見れないかもと思って、今日の朝ひとりで近くの公園まで見に行った。なんでこんな時に限って桜は満開なんだろうな。自然はたまに人間側をからかっていると思う時がある。人類が今あたふたしている様子を斜に構えて見ているみたい。フランス語で桜の花言葉は、「私を忘れないで」だったけ、失恋の意味じゃないけど今は色々と感じるな。私はあの人のすごく近くにいって、キスしたい、手をつなぎたいと思う。ただそれだけ。
4/8
在宅勤務が終わって、夜ご飯の材料を買いに近所のスーパーに出かけた。道ですれ違った人の携帯から聞き覚えのある声が漏れている。あ、そういえば今日の夜か。と思って携帯からつないだ緊急事態宣言会見の中継。急いで家に戻って恋人と見る。
「なんか時代の中にいるって感じするね、俺ら」
「たしかに、でも結局緊急事態宣言って一体なんなんだろう」
「今日も普通に満員電車だし、補償が出るわけでもないし、別に今と変わらんやろ」
「わたしたち、明日から何を自粛すればええんかな」
「自粛って言っても禁止でもないんだし、今までの通り生活だなあ」
「生きていくためには外に出ないといけない人もいるやん」
「行動は自粛しても、肯定や批判は自粛したら何も変わらないと思う」
「そうやね」
首相が話す一時間。言葉をうまく組み合わせていないせいか、内容は正直何言ってんのかよく分からなかったけど、私はこのシーンを「歴史の一部」としてただの傍観者になることは絶対に嫌だと思った。わからないままでいいことなんて、何もない。逃げ道のない何かが終わりそうで、何かが始まる。不思議なつなわたりをしているような夜。
夜中に買いだめしておいた「コアラのマーチ」のお菓子を食べ始める。とりたててお腹が空いているわけでもないのに、ついつい手が伸びちゃう。きっとこれは食欲なんかじゃないな。静かな恋人の寝息を聞きながら、その感染症の苦しみを想像してみる。ウィルスに対しては本当に無知で情けないけど、体験してみないとこれはこれでどうにもならないし。みんな、今夜はどう過ごしているのだろうか。ひとりよりも誰かといてほしい。明日からの何も見えない長期戦に向けて今夜だけは誰かがあなたの側にいてほしい。
真っ暗な部屋で点滅するLINEの黄緑色の光。
「近々会おうね」
「あの店、お客さん少なくなって閉店するかもだって」
「この歌しみるな」
「今日田んぼの畑のトラクターしました」
よかった。みんないつもと変わらんな。
自分には、「今が旬やで」と実家でとれた野菜を送ってきてくれる家族がいる。ネットでは見たかった新作の映画が見放題だし、スーパーにいけば食料も買えて、荷物は運送会社の人がリスクを減らすために置いていってくれてる。電話をすれば病院も紹介してくれるようになっている。考えてみると、今生きてゆくことは困難ではないはずだけど、胸の奥底のほうでなんだろうか。まるで切り貼りした感情が動いていて、怖いけどゾクゾクする。ただ何か。言葉にできないけど。ああ、生きているんだな私。
いつも新しい未来のこと思うとそれだけで楽しくなってくる。カレンダーで最後ページの最後の日まで見てみると、当たり前だけど、今日は昨日のつづき。明日は今日のつづきで、眠れない夜があろうとも、日々は続いていくのだと気づくのだ。記憶も過ぎ去ってしまえば、この日々がなかったことになってしまうんだろうか。だけど桜を見るたびに思い出す。最前線で戦っている医療者に最大限の敬意を払うため。日本のスーパースターの死を悲しむため。さて、この時間の流れはわたしたちをどこに連れて行くのだろうか。洗われたように世界がきれいになって、一歩外に出ていけますように。だから、今。嘆くな、笑おう。
「違う場所の同じ日の日記」
この日々においてひとりひとりが何を感じ、どんな行動を起こしたのかという個人史の記録。それはきっと、未来の誰かを助けることになります。
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