4月4日の日記
右耳をソファに強く押し当てて寝そべりながら、就職活動のことを考える。もともと全然向いていないのだとは思う。みんながしているのと同じタイミングではどうしても動き出せなくて、休学までした。自分と向き合う時間をとり、海外で働いてみたり色んな大人たちとたくさん話したりして、ようやく少し折り合いがついて重い腰を上げたところで、前触れもなく、たちまち国境のない危機が世界を覆ってしまった。
就職活動と、新型コロナウイルス。
正直言って、自分が相対しているものの輪郭が全然つかめない。自分がどういうものに立ち向かっているのかわからない日々は、ユニットバスの透明のカーテン越しに世界を見ているようでもどかしく、心細い。それでも、就職活動で「あなたは何ができる人間なんですか?」「何がしたいんですか?」と日々問われ、考えている中で「家にいること」というのは、明快でわかりやすく、確実にわれわれを救うことだなあ、と思う。停滞は後退だって言うけれど、急がば回れという言葉だってある。
換気扇の音がする。家が呼吸する音。わたしの体も、耳を当ててみればこんな風にごおごおびょうびょう鳴っているのだろうか。
4月5日の日記
今日はいわゆるリモート飲み会をした。近況報告をして、だらだらしょうもない話をして笑って、おすすめのyoutube動画を紹介しあったりして、慈しみ深く楽しい時間だった。
だけど、思うさま別れを惜しんで、おやすみおやすみ、パソコンを閉じたら、急に部屋がしんとして怖気づいた。
ああわたしって今、パソコンに向かって喋ってたんだなあ。人とのコミュニケーションって、言葉の意味さえ伝わればいいわけじゃないんだ、その人の周りの空気とか、体温とか、そういうものにすごく助けられていたんだ。「せーの」ではとても切り替えられない、帰り道に大きい音で音楽を聴きながら時々思い出し笑いをするような、そういう儀式が必要だったんだなあ。
今までの思い出を全部ちゃんと抱きしめたいような気持ちになって、早めに寝ることにした。
4月6日の日記
母の背中を押した。何かの決断を応援したりしたのではなくて、文字どおり背中を押したのだ、指で。
右の肩甲骨の周りにごりごりした塊があって、そのせいで不整脈がおきてしんどいようだった。整骨院で働く母の指示を受けながら塊を探し当てるのは、まるで自分がUFOキャッチャーにされているみたいで可笑しかった。
久しぶりに触る母のからだ、わたしが成長した分だけ老いた母のからだ。押せばどんどん沈んでゆく指、移動する塊、もたれかかってくる母の重みと体温、一瞬ごとに変わる呼吸のリズム。
この人から生まれたんだなあ、幼い頃は頼まれてよく腰をふんだなあと、何だかくすぐったく、泣きたいような気持ちになった。
4月7日の日記
今日が始まったのは13:21だった。昼も夜もなく家にずっと篭っているとどうしても1日ずつの区切りがなくなってしまうので「いまこの瞬間から今日!」と決めるようにしているのだ。「今日」が始まったら熱いコーヒーを一杯飲む。インスタントのコーヒーもなかなかイケる、というのはこの暮らしにおける嬉しい発見だった。「灯台下暗し」の灯台の周りを、ゆっくり照らしながら歩いているような日々。
わたしが住んでいる大阪府に、緊急事態宣言が出た。もともと家が好きなのと、大学を休学していたというのもあり、わたしの生活はそんなに変わっていない。だけど「家から出ない」のと「家から出られない」のとではこんなにも違う。たった2文字の力の大きさを、なんだか不思議に思う。
言葉の力。「自粛を要請」という訳のわからない日本語に1億人が振り回されている。むかむかしてたまらない。カッカしたまま、お風呂に入る。
湯船に浸かると、体が緩むのと同時に気持ちも緩んでびっくりした。眉間がいつもよりふんわり開いて、自然と長く深いため息が出た。首の力を抜いて、頭本来の重みに任せて、ぐったりとうなだれてみる。
ああ、何でもないようでいて気が張っていたんだなあ。わたしこそ、自分の語彙とちゃんと向き合ってみよう、そして、怒りと自分の生活とのバランスをきちんととろう。自分にとってより良い自分であるために、できることはちゃんとやろう。
お風呂から上がって、#SaveTheCinemaプロジェクトに署名し、京阪神の映画館を応援する#SaveOurLocalCinemasに寄付をした。早く気軽に陽気に、映画を観に行けるようになるといい。
4月9日の日記
目が覚めた瞬間から気分が良くて、何だか浮き足立っていた。こんな日にどこにも出かけられないのはもったいないけれど、この気持ちは大切にしたい。家の中でいちばん日当たりの良い場所に移動してTurntable Films の気持ちのいいアルバムを聴きながら、どこにも出かけないけど時間をかけて丁寧にお化粧をする。新しいアイシャドウが日光を浴びてぴかぴか光るのがうれしかった。
窓を開けて、昔の写真を整理しがてら、バーチャルでお出かけを追体験することにした。
福岡旅行で出会ったのどかな山羊たちや輝く菜の花、美しい公園への遠足、父がタイではしゃいだ翌朝に残ったマニキュア、フィンランドの眩しい市場、デンマークで暮らした共同体.......
フィルムカメラで空気ごと収めた写真たちに一気にいろいろな場所へ連れて行ってもらって、とても気分が晴れる。写真ってお守りなのだな、と頼もしく思った。
それと同時に、あのときあの場所にいた人々は、山羊は、花々は元気だろうか、いつかまた会いに行けるのかな、いつになったら、と思いを馳せる。
早く、一刻も早く、何もかもが大丈夫になるといい。それまで、犠牲は少なく、できるだけ納得のいく形で、健やかに生きていたい。そうやってぜんぶが大丈夫になったら、今まで出会った人たちとこれから出会う人たち全員と、ゼロの距離できついハグをしたい。
「違う場所の同じ日の日記」
この日々においてひとりひとりが何を感じ、どんな行動を起こしたのかという個人史の記録。それはきっと、未来の誰かを助けることになります。
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