4月4日(土)
晴天。日中、スーパーに買い物へ行くため、近道だし、気分転換も兼ねて最寄りの公園を通り抜ける。
かなり巨大な公園で、通常であればうってつけのこの季節、時間を見つけて足を運び、人目を避けて雑木林に潜む猫たちを探したり、ゆるゆると歩きながら池の亀や鴨、園内を覆う緑の狭間に咲く花や、道に落ちている得体の知れない果実を楽しんだりするのだけど、今日は、まったく、予想以上に人がいることにたじろいでしまう。普段から、混んでいるところへ行くと「混んでるね」と他人事のように言ってしまうことがあるけど、もちろん自分もその混雑をつくっているうちの一人。ジョギングする人や、駆け回る子どもを、さりげなく避けるように早足で歩く。
幼い子どもを連れた保護者同士が、近距離で談笑している光景を見かける。もしも自分に小さな子どもがいたとして、近所の公園で遊ばせている最中、顔見知りと鉢合わせた場合、果たして「距離をとりましょう」と伝えられるだろうか、と考える。公共空間におけるソーシャルディスタンスの概念が浸透しきっていない現状では、冷たい人、もしくは極度に心配性な人だと思われること、それが子どもの人間関係に影響を及ぼすことを懸念し、それほど親しくない間柄の人にほど、言えないような気もする。
そんなことを考えながら歩いていると、隣り合う二つのベンチの端と端に腰掛け、距離をとりながら会話をしている男女が。男性は中東系の顔立ちで、女性はたぶん、日本人。通り過ぎただけだから、くわしくは聞こえなかったけど、男性が英語で「どうしてそんなに英語が上手なの?」と女性に対して訊ねていたので、おそらく初対面だったはず。ソーシャルディスタンスな出会い。
緊張が続く日々におけるほのぼのとした一幕のように見えた。けれども帰宅後、会話によって口から飛ぶ飛沫でも空気感染する恐れがあるというニュースを目にして、こうした光景も「ほのぼの」なんて言葉で語るべきではないのだろうか、と思う。
さっきの二人がマスクをしていたかどうか、思い出せない。
「違う場所の同じ日の日記」
この日々においてひとりひとりが何を感じ、どんな行動を起こしたのかという個人史の記録。それはきっと、未来の誰かを助けることになります。
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