2020年4月18日に届いたお手紙。レンナからゆみこへ。
ゆみこさん
この間は電話をありがとう。
もう3年前かなぁ? “ロマンティック”についてみんなで話しながらお鍋を囲んだ夜のこと覚えてる? あのとき、「“ロマンティック”って“距離”だ」というこたえを導き出したことを、ゆみこさんの「Distance」というきれいな発音を聞いて(その音、耳の内側ににすっかり貼り付いてしまった!)思い出したんだよね。
物理的に距離を置きながらも、とっても親密になれる(少しの沈黙とか、漏れてくる息づかいとか、背景の音とかのせいで、なんだか今まで踏み入れたことのなかったその人のプライベートスペースに入れてもらっているような感じにもなる)電話でのコミュニケーションは、すごくロマンティックなものなんだってことに最近気がつきました。
それから「声」と「音」について、私も考えていたよ。
声って、その人が確かにいるんだってことを確認できる術のひとつだよね。私が尋ねれば相手はこたえてくれるし、相手が尋ねれば私はこたえる。
あの日も、私がパスタを茹でている音がゆみこさんに届いて、「何作ってるの?」「パスタ茹でてるの」「へー! なんのパスタ?」「トマトクリームだよ」なんて会話があって、今こうやってつながっているんだ、なんて心強くなってしまった。
もっと、声が聞きたいね。
ここ数日なんだか仕事がぎゅうぎゅうで、朝からPCばっかり見ていて気がつくと部屋が真っ暗になってる(家で仕事するようになって気づいたこと。外が暗くなると部屋の中も暗くなるって当たり前のことなんだけど、オフィスは常に明るいから不思議な感じ)。それで、ああ、今日も太陽に当たらなかった、昼間の空気に触れなかったってがっくりして、ちょっと逃げ出すみたいな感じで夕飯の買い物に行くの。昨日は珍しく松陰神社の方へ歩いてみたんだけど、思いのほか人が多くてびっくり。早足でスーパーに向かったところ、となりの中華屋さんでテイクアウトをやってるというから焼きそばとか角煮とかお願いして、ずっしりとあたたかいパックを抱えて帰ったのは嬉しい初めての経験でした(そしてとっても美味しかったよ)。
夜、Antony and the Johnsonsを聴きながらただぼうっとしていると(アノーニの声の優しさ!)、いっときは本当にどうなることかと思っていた辛い感じが薄まっていくのがわかったよ。それは先週末にエイ! とzineを出したからかもしれないし、ゆみこさんと電話したからかもしれないし、仕事が忙しいからかもしれないけれど、ともかく少しずつマシになってる。もちろん、世界はまだまだマシになんかなっていないし、信じられないようなことが次々に決まったり進んだりもしているわけだけど……、だけどどんなときも、たぶんこれからも、私たちは食べたり笑ったり歌ったり抱き合ったりして生きていくんだもんね。そして夕焼けも花も芽吹いた木々も水たまりも変わらずにきれい。
ちょっとリハビリみたいな気持ちでこの手紙を書いています。今日はお家で少しお酒を飲むつもり。
ゆみこさん、また電話もするね。
レンナ
2020年4月20日に届いたお手紙。ゆみこからレンナへ。
レンナちゃん、
お手紙をありがとう。ロマンス、距離! あの夜、わたしが持って行ったのは『グレート・ギャツビー』だったかな。対岸にあるデイジーの屋敷の、緑の灯火を見つめるギャツビーの視線、その距離こそがロマンティック、とかなんとか。近すぎると、とたんにうしなわれてしまうもの。でも今考えると、それはあまりにも一方的だよね。きっとロマンスは遠くても近くても、人と人とのあいだに日々生まれるもので、大切なのはそれをつくりだそうとする互いの気持ち、なのかもしれないね。相手がパートナーでも友だちでも、はたまたレジでやり取りする人でも。それはもしかすると、シンプルに人を思う気持ちってことなのかも。
レンちゃんの言う通り、この前の電話もそうだった。イヤフォン越しに鍋がゴトッと置かれる音がして「パスタ茹でてる。トマトクリーム・パスタ」とあなたが言った時、それだけでなんだかじゅうぶんな気がしたんだ。それまでの会話もぜんぶ忘れちゃうくらい、パスタをこれから食べるレンちゃんがこの世にいる、その絶対みたいなものを、声を、音を通じて感じたよ。今はなんだか、人が何を食べてるか、それを知れるだけでも感動しちゃうな。
声といえばこの前ね、また別の友人と、目黒川をあいだに電話したんだ。彼は川の向こうに住んでてね、わたしはこちら側。たまたま二人とも散歩をしていて、だからそのまま川ひとつぶんの距離をキープしながら、しばらく歩き続けて話していた。風で桜の木がざわざわ鳴る合間をついて(もうすっかり緑だ)、たまに「ほんとうの声」が向こうから聞こえてくるの。でもイヤフォンから聞こえる声のほうが、もちろんずっと近くて親密で、一瞬、それが自分の頭のなかの声なんじゃないかって錯覚するほど(これが電話の不思議なところだと思う。ハンズフリーでワイヤレスイヤフォンならなおのこと)。会話の最後、橋のところで少しだけ距離を縮めて「さようなら」を言い合った。それぞれ黄色の街灯に照らされて、それでも相手の顔がおぼろげに見えるくらいの距離。電話を切って、イヤフォンを外して、またただの身体だけになったときのあの近くて遠い感じ、いまだに言葉にならず残ってる。
最近はテッド・チャンのSFを読んでいたこともあって、テクノロジーの進化についてやたらと考えちゃう。それが人の心のあり方を、どんなふうに変えていくか。メールもチャットも、そして(あんなに苦手でベルのこと呪ってすらいた!)電話も、わたしにとっては今、なんだかピッカピカの最新ツールに思えてくるほど。声と身体と距離、そしてそれを媒介する風・空気・テクノロジー、息を吸って、吐くこと。そのすべてに今は意識を向けているよ。
あとは、そう、日々の生活。もともと引きこもりのわたしだったけど、今ではオンも一緒に缶詰めで、さてさてさてと息が詰まりそうなことも。だけどせっかくなので、毎日一緒に手を動かすことにもチャレンジしてる。手は口ほどにものをいう、じゃないけど、今は手先を使うことで、何かたまったエネルギーを外に出せる感じもして。だから窓じゅう、星だらけだ。
ねえ、まだたった数週間なのに、まるでこれが「日常」だったみたいにも思えてしまう日々、世界じゅう同じような状況下だからこそ、見えてくる違いもあるよね。家族構成も経済状況も、あとは心と身体の健康も。だからいろいろなこと見逃さない、そしてたとえ見逃しても補い合える、行動の伴うエンパシーを忘れないようにしたいね。
わたしもまた電話する!
ゆみこ
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