4/4 ぐずんぐずんの私へのタルトタタン
もともとはレッスンに行く日だった。昨今のコロナウイルスの騒ぎで中止になり、当面再開の予定がたたないということで、昨日私の口座には今月のレッスン費が払い戻された。ついでに、行くはずだった演劇のお金も払い戻されて、私の手帳の予定はまっしろになった。
演者として書き手として、前に進みたいと思って詰め込んだ予定がどんどん崩れていく。悲しい。くそう、くそう……! 仕事もない・手がかりもない・見通しもたたない、あたしには何にもない! まるで見えない大きなものに通せんぼをされているよう。誰も悪くないのに(からこそ?)いらいらしてしまう。「ないないない」の不安が押し寄せて、私の心はもうぐずんぐずん。
……そうだ、タルトタタンをつくろう。
とつぜん思いついたのは、高校生のころに家庭科の先生に教えてもらった焼きリンゴのケーキ。授業が早く終わった放課後、寮の余ったりんごで友だちと作った。りんごの少し焦げた匂いととろおっとした甘酸っぱさ合わさった独特の味が今でも忘れられない。それ以来、タルトタタンは私にとってお気に入りのお菓子になり、冬になると必ず作る。何にもない日でも、タルトタタンを焼いた日はどこか特別な日になった。
近所のスーパーでりんごを6個買った。レジへ向かう途中の惣菜のコーナーであんまり長居しないように気をつけて、小走りで家に戻る。座ってしまうとやる気がなくなるから、そのまま始めるぞ。
6個のりんごをそれぞれ4等分に切って皮をむく。この作業が一番骨が折れる。30分くらいかけてむき終え、ふう、と息をついたら、鍋いっぱいのむいたりんごを砂糖と一緒に火にかけて煮詰めていく。だいたい1時間くらい。その間に小麦粉と砂糖をふるい、卵黄とバターを加えてこねてタルト生地を作る。砂糖できらきらの飴色になったりんごをケーキ型に並べる。上から平べったくしたタルト生地を上に乗っけて、オーブンで約1時間と少し焼く。
オーブンの前でじいっと待っていると、カラメルが溶け出して、次第にオーブンから焦げた匂いが漂ってくる。この時間はいつも心配だ。あんなに手間暇をかけたのだ、消し炭なんかにしてたまるものか、と勝手に失敗を嫌う自分が顔を出す。じっと待つのが肝心、って先生に言われたでしょ、と自分に言い聞かせ、身を乗り出しかけた体をもとに戻す。
ひたすらに、待つ。
積読になっている本でも読もうかな、
この前買ったきらきらのネイルでも試そうかしら。
じっと待って待って、
チン!
オーブンがなった。
砂糖のカラメルが溶け出してぐずぐずになっている。タルト生地の間からりんごの間からぼうっと吹き出て、なんだかマグマみたい。見たことないけど。あつあつのそれを取り出して、皿を被せ、型を逆さまにひっくり返して、上下にぶん、と振る。ぶん、ぶん。もういいだろ、とせっかちに型を外すと、底が冷えてしまっていたのか、型にりんごがいくつかひっついたままで、そのまま千切れてぼとぼとと落ちた。写真映えには程遠い不格好なケーキ。いいんだ、どうせあたしだけのケーキ。
完成したタルトタタンは飴色のりんごが夕陽に当たってキラキラと光って、ほっとした。包丁で6等分に切り分けていく。きれいな丸に刃を入れるのはいつもどこか罪悪感があるけど仕方ない。よかった、できた。そのまま一口。サクッとしたタルト生地が舌に当たった後、飴色のりんごがやわらかくぐじゅっと口の中に溶けていく。見た目は不細工だけど、味は最高。りんごの甘酸っぱさとあまい砂糖の組み合わせがこんなにもおいしいなんて。今日もよかった、タルトタタンを食べられた、特別な1日。
気がついたら日もくれてて、本当だったら今頃先生に相当しごかれていただろう時間。何にも変わっていないけど、ぐずぐずな今日を乗り切った。これからずっとこんな日が続いていくのかしら。終わりも見えないけれど、この事態が終わるまでは、じっと待つしかないのだろう。そう言えば、タルトタタンは、タタン姉妹がりんごをじっと焼きすぎて焦がしてしまったアップルパイから生まれたお菓子だと先生から聞いた。……いつか、このじっと待つ日々もこのお菓子のように成熟したものに変わると信じたい。
「違う場所の同じ日の日記」
この日々においてひとりひとりが何を感じ、どんな行動を起こしたのかという個人史の記録。それはきっと、未来の誰かを助けることになります。
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