4/4 土
友人に娘さんが生まれた! うわー! やったー!! おめでとうございます!!! まだ会ったことがないのにその子のことはもう好きだ。早く会いたい。
ひとが一人生まれるというのは、心の中がこんなにうきうきすることなのだ。何だか訳もなく胸の中がくすぐったく、笑い出しそうな涙ぐみそうな。あかるいあかるい春が突然に吹いてきて部屋中に花を咲かせるような気持ち。ああ、会いたいなあ。
4/5 日
夕方に買い出しへ行く。人が多い。近所の商店街にある魚屋で殻付きの生牡蠣を買う。
お店で殻を剥いてもらってから、急いで帰ってつるっと食べた。ひとつ300円しないのにとても立派な身が詰まっている。ミルク色の身を吸い込むと海の香りがしてとてもいい気分。まさにめっけもん。
スーパーと商店街しか行けるところがないと、子どもの頃からあまり食に熱心でなかった私もがぜん食に関心が向く。そう言えばこのあいだクロワッサンを食べるときにふと、一番外側のパリパリはむいて食べた方がより衛生的なのだろうかと思い、パリパリをむいて皿の端に置いておいたら横から人が取って食べてしまった。
4/6 月
土曜も火曜も木曜も同じように溶けていっている。
ベッドでうだうだしていたら子供の頃からつい最近のことまでのオールタイムベスト後悔が押し寄せてきて、涙が出てきた。言わなきゃよかったことと、あそこでこうしていたら、こうなっていればという後悔と妄想の煮汁に浸かって、もう駄目だという気持ちになる。みなさんごめんなさい。でもまだ27歳なのだ、30歳にもなっていない。
もし今回のようなことが20年後30年後に起こったら今度こそこのまま家賃も滞納してそのまま飢えて死んでしまうんじゃないだろうか。強くなったり稼いだり、なんか頑張ったりしないと生き延びられないなんて正直いやだ。どうにか弱いままでも健やかに楽しく、犬みたいな気持ちで生き続けられないもんかなあ。甘えかあ。あー。いつだか仕事のプロデューサーから「毎日がおまえの誕生日じゃないんだ」と叱られたことをまた思い出し、苦々しい気持ちになる。
涙は一度目の外に出てから、顔をうまく傾けるとまた黒目のうえにひたりと戻ってくる。あんなに熱く流れた涙だけど、一度出た涙をもう一度目で受け止めると、その妙な冷たさが気持ち悪くて何だか少しだけ落ち着くというか興ざめしてどうでもよくなる。
しかし時世はどうでも良くならないし、どうもこうも良くなっていかない。ご飯を作って食べて、皿を洗って寝て起きることの繰り返しでもお金がかかる。
中止や延期の連絡をもらう度に、みぞおちに米袋が体当たりしてきたような感じがする。ドッ。分かってもいたことなので、米袋をよいしょと抱えて足元におろすのも難しくない。けれどがっかりの米袋はずっと足元にいて、どこに行くにもずりずりずりずりとくっ付いてくる。
これまでだって仕事やお金がないことは結構あったけれど、お金と仕事のない時の落ちこみようったらない。
4/7 火 - 4/8 水
小学生の頃、帰りの会で「せんせいさよーなら」と礼をするのと同時にランドセルの中のものをザーッとひっくり返していたことを思い出していた。ランドセルの留め具が締まっていないのに気づかなくて筆箱も教科書もノートもプリントも全部、一気に床へ落としてしまうのだ。
家のトイレで便器の前にひざまづくと胃の中から一気にうねりが上がって来て「せんせーさよーなら」状態になった。日曜の生牡蠣が当たった。
便器に向かって夜通し何度も頭を下げるうちに青みがかった胆汁が出るようになり、さらに頭を下げていたら透明な水だけが出るようになった。ずっとじっとしている私の身体からでも、こんなすごいうねりが起きるんだなあと感心してしまうほどの勢いだった。コロナウイルスのことで頭がいっぱいになっていたが、世界にはノロウイルスもはびこっている。
急に具合が悪くなると考えごとが急にどうでも良くなって、私は自分の身体を思い出す。麦茶をお湯で薄めて砂糖を入れたものが、とてもおいしい。
4/9 木
昨日まで床を這いつくばってしか移動できなかったのに、今日は縦になったまま動けるようになった。けれどフラフラすることには変わりないので本を読む。
田辺聖子の小説三部作の二、三作目『私的生活』『苺をつぶしながら』を読む。一作目の『言い寄る』では、人が人を好きになるとき相手のどんなところを好ましく思うのかがみずみずしく書かれ、憧れの女友達の恋話を聞いているようで、ときめいたり切なくなったりしながら夢中になってしまった。しかし私の「殴る人は絶対やめなよ」という声は届かないままに『私的生活』がはじまる。
この三部作の素晴らしいところは会話の温度だ。関西弁で交わされる軽快な会話の中に立ち上ってくるユーモアや色気の温度が、シーンごとにいつも少しずつ違う。ある時まではたしかにあった温もりが、ふっとさめてしまうシーンはあまりにリアルで涙がつーっと出てしまった。
身体を忘れて、主人公・乃里子と一緒に海辺の別荘や紫陽花が咲く森、
淡い緑の木立ちが、涼しい風に揺れる軽井沢など色々なところを旅行した。森に行きたい。
4/10 金
体調が少し戻ったら生理がきた。私のせわしない穴、フル活用だ。私本体がこの家にじっとしている間も私から排出されたモロモロ(元・私たち)は衛生的に下水道や焼却炉へ旅に出て、あっという間に忘れ去られる。
私の生理はカレンダー通り来たり、来なかったりする。「来たいときに来る、行かない時には行かない」というのはいかにも私の一部らしいと思うけれど、来た途端にまたあちこち具合が悪い。頭の中にちらしで何重にも折った三角の硬い紙片がぐーるりと回っているような、鈍い痛みがある。
ときおり腰から下を引っこ抜こうとするような痛みがやってくる。サザエさんのオープニングで白いネコにぱかっと開かれた果物はこんな気持ちなのかもしれない。そんな気楽に私を上下で割るのはやめてもらえないだろうか。
政府は堂々と「責任を取る気がない」と言い、言われる前から責任感があるなあとも頼り甲斐があるなあとも全く思っていなかったが改めて腹が立った。英語もできないのに移住のことを調べてしまった。
カレンダーは先々の予定が延期や中止になって、ほぼ四角い布マスクになった。
私にお金が無いのはいつものことだけど、こんなに適当にされるともっと沢山の人が困窮する。決定権を持った人がうだうだしている間にも人は生き続けなくちゃいけないのに。次の選挙を待っている。人間のやっている政治なので、誰がやるのかを変えられる可能性があるのは唯一の希望だ。私は好きに生きたい。
「違う場所の同じ日の日記」
この日々においてひとりひとりが何を感じ、どんな行動を起こしたのかという個人史の記録。それはきっと、未来の誰かを助けることになります。
ほかの方の「違う場所の同じ日の日記」へ