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いつだってここにいる/いた/鈴木みのり

わたしの生活にいろんな国が流れ込んでくる

2020年3・4月 特集:どこで生きる?
テキスト・写真:鈴木みのり 編集:野村由芽
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2012年、30歳で初めての海外旅行。手術のためにタイのバンコクに行ったけれど、思いのほか痛みはなくて退院後に服を見に出歩いてた。楽しんでいるうちに急激に体調が悪化した。入院中は痛み止めがずっと投与されていたのだと理解した。夕方に近づくとバンコク中心部のスクンビット通りが渋滞すると知らず、電車で帰ろうというアテンドの助言を振り切って、わたしはタクシーに乗った。あいにくの雨もあって1時間近くかかった。メリッサのゴム製の靴は、コンクリートの硬さを吸収できず、足は痛んでいた。東京と同じ感覚で生きられると思ったら大まちがい、と反省した。
それから何度か、同じ手術を受ける人を取材してみようとバンコクに通った。

2014年はそこからエアアジアで、マレーシアのクアラルンプールとベトナムのホーチミンにも行った。ホーチミンでは、その近くの都市で働く韓国人の男の子と知り合って、街を少し案内してもらった。そうか、東京で、日本以外で生きる可能性もあるかもしれないと、そのとき考えた。

台湾に初めて行ったのは2014年の11月、統一地方選挙の開票日だった。わたしはその年の3月にひまわり学生運動の様子をオンラインで見て、その現場にもいたという台湾大学を卒業したばかりの台湾人の男の子と、半年後の東京でデートして、かの地に憧れを育てていた。写真家の友達が、台湾で撮り続けた写真集を出す直前でもあった。
ある人に紹介された地元の一家が、選挙特番を見ながら食事をするレストランに合流させてもらった。中国国民党が破れ、蔡英文率いる民進党が躍進する様子に湧く人々は、スポーツを観戦するみたいだった。一家の姉妹が、車でおいしい豆花屋に連れて行ってくれた。

台湾人と日本人の両親を持つ、東京の友人の実家が台北市内にあって、余っている部屋にわたしをいつも泊めてくれるようになる。友人がママと呼ぶその人をわたしは「おかあさん」と呼んでいる。おかあさんは、二十年以上東京に住んでいたけれど、父親の介護のためにひとり台北に戻っていた。「すぐそこの大学に、間貸しの張り紙でもしに行こうかと思ってたけど、台湾の子は水回りの使い方が、ちょっと」とおかあさんは苦笑いしていた。

東京の美術館で開催された東南アジアの現代美術展にあわせて、国関連の団体によるファッションについての公開レクチャーで、登壇者が「日本のパスポート最強なんで。ぜひがんがん行ってください」と言っていた。驚いた。周りを見渡すとアジア系の容姿の人たちばかりだったけれど、わたしにはみんなが日本のパスポートを持っているのかどうか、わからなかった。2017年だった。

2018年の1月にフランス・パリに数日滞在し、それからベルギー経由でドイツのケルンを目指すのが、初めてのヨーロッパ旅行だった。ケルン大学主催の「ポエティカ」という文芸フェスティバルが開催されていて、その4回目のディレクターが多和田葉子さんだったので、行くことにした。
パリのレペットで買ったブーツで、アントワープとブリュッセルに向かった。帰国してから観た『15時17分、パリ行き』で、パリからアントワープへ走るのと逆向きのタリスの中で、銃乱射事件が起きたのだと知った。
日曜に多くの店が休みと知らず、アントワープに訪れたわたしは、開いていたモード博物館に行った。オリヴィエ・ティスケンスの回顧展『She Walks in Beauty』が行われていた。

当時41歳キャリア20年のティスケンスは、自身の名を冠したシグネチュアブランドを立ち上げてから、ロシャス、ニナ・リッチ、ファーストリテイリング傘下でティスケンス・セオリーを経て、またシグネチュアに戻ってきた。時間のかかるクチュールに取り組み続けている老舗とグローバルに大衆を相手にする企業を渡ってきたティスケンス。技術の知見を蓄え、商業とアーティスティックな感覚とのバランスを取り、ファッションデザイナーとして生き延びる知恵を蓄えてきた歩みを、目の前で感じた。刺繍の繊細、ロマンティックなムード、カッティングの潔さ、端正なライン、夢見るような流線型。
ケルンには、アメリカの日本語詩人、オランダの作家、ナイジェリア移民の両親を持つアメリカの作家、韓国の詩人、アメリカに住んでいたことのある日本の詩人、ドイツの詩人、デンマークの作家、ベトナムにルーツを持つアメリカの作家、ドイツの作家らが集まっていた。多和田さんは、ドイツ語と英語と日本語とで、作家らと交流し、議論していた。橋のようだった。

そのときの経験と、柴崎友香さんの『公園に行かないか? 火曜日に』を読みながら、わたしもどこかに行って、何か書けないかと2019年は韓国・ソウルのヨニドンを歩いた。バンコクのアーティスト・イン・レジデンスの人たちとも知り合った。

撮影:熊谷直子

飛行機が離陸するとき、いつも目を瞑って無事に到着できるよう祈る。それも回数を重ねるうちにだんだんと忘れる頻度が上がっていった。スカート姿にハイヒールを履かないと、と肩肘張っていたのに、ジーンズにスニーカーでも良いかもと思うようになってきた。

ある年の初夏に台湾に滞在中の、東京で東アジアの比較研究をする大阪出身の友人に、会いに行った。中国訛りの言葉(北京語)を話すと、途端に台湾の人から差別的に見られることがある、と聞いた。ほとんど言葉がわからないわたしにはその区別がつかなかった。でも、新しい土地で差別されるかもしれないという恐怖が自分を旅行から遠ざけていたのだ、と思い出した。
その友人と、台北のおかあさんの家に泊まった。「綺麗な中国語ね」とおかあさんは友人と談笑していた。台湾の先住民族のひとつで首長をやっていた、おかあさんの父親が高砂義勇隊だったと知ったのは、その会話を通してだった。

この部屋から動くのが困難な今でも、日本語と、英語がかろうじてわかるおかげで、わたしの生活にいろんな国や文化が流れ込んでくる。衣服、映画、演劇、音楽、コスメ、テレビドラマ、美術、文学、漫画、それらの豊かさがわたしの命を救ってきたように。平時が有事で有事が平時のような、歪んだ時間と空間のなかに今も生き、かつてと同じように生きられない未来を想像しながら、移動の自由がなかったかつてを思って、ここにいる。

PROFILE

鈴木みのり
鈴木みのり

1982年高知県生まれ。明治学院大学社会学部社会学科を中途退学。「i-D Japan」「wezzy」「現代思想」「週刊金曜日」(2017年書評委員)「すばる」「新潮」「ユリイカ」他で執筆。非典型的なジェンダー、セクシュアリティと身体への関心を通して文学、映画などについて考える。2019年、伊勢丹メンズ館リモデル企画「自分らしさの文体練習」に参加。2018年 範宙遊泳『#禁じられたた遊び』に出演。

INFORMATION

書籍情報

エトセトラ VOL.3 特集「私の 私による 私のための身体」(etc.books、5月18日発売、長田杏奈責任編集)にエッセイを寄稿
エトセトラ VOL.3 特集「私の 私による 私のための身体」

シモーヌ(Les Simones)VoL.2 特集「メアリー・カサット――女性であり、画家であること」(現代書館、5月12日発売)にエッセイを寄稿
シモーヌ(Les Simones)VoL.2

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