ハロプロは、頭でっかちになりがちな自分のリミッターを外してくれるような存在。
自分のスタイルを持ちながらも、年齢や暮らしの変化とともに、身近な人と思いを交わし合うことに重きを置くようになった菊池さん。モデルや俳優のお仕事との向き合い方も、以前とは少し変わってきた部分があるようです。
菊池:年齢を重ねるごとに、ただ呼ばれて現場にお邪魔するだけじゃなく、自分がなぜ呼ばれて、どんなことを期待されているのかを俯瞰して見られるようになりました。先日、今泉(力哉)監督とご一緒する機会があったのですが、年齢が近いこともあって、ものづくりにおけるちょっとした会話のキャッチボールを、気負わずにできたんです。
自分は声をかけてもらって参加する立場ではありますが、一緒にものをつくる一員であるという意識を持つことができました。映画の場合、大変なことも多いけれど、好きで仕事にしている人が多いし、スタッフの人との距離が縮まって団結したり、すごく高揚する瞬間があります。
そうした現場での高揚感は、菊池さんの「好き」を語るうえで欠かせない、ハロー!プロジェクト(ハロプロ)に感じていることと、通ずる部分があるようです。好きが高じて、友人の蒼井優さんとともに編集長として、アンジュルムのアーティストブック『アンジュルムック』を制作するほどハロプロに惹かれた理由について、熱をこめて語ります。
菊池:「ハロプロ」と呼ばれるようになる前に、モーニング娘。が『ASAYAN』で結成された頃から追いかけていました。ハロプロってどこか部活と似ているところがあって。中学生の頃、気合いを入れて吹奏楽をやっていたんですけど、同世代の女の子たちが、オーディションで自分の限界に向かって挑戦したり、打ちのめされて泣いたりする姿を見て、「この感情、私も知っているな」と思ったんです。
合唱コンクールとかも一生懸命やるタイプだったので、人の気持ちと音楽が合致したときの、涙が出てくるような高揚感にも、何か自分の経験と近いものを感じていました。負けたくない気持ちとか、選ばれたときの嬉しさ、仲間がいる大切さみたいな、そういう暑苦しい感覚への共感が自分にはあって(笑)。人間の深い部分にある感情が動く瞬間が好きなんです。
ハロプロとの出会いは、菊池さんにこれまでなかった感覚をもたらしてくれたと言います。
菊池:ハロプロを好きになってよかったと思うのは、言葉では説明できないけれど、ただただ感情を持っていかれるような感覚を知ることができたことです。頭でっかちになりがちな自分のリミッターを外してくれるような存在ですね。それと、私、ハロプロDD(「誰でも大好き」を意味する言葉)なんです。ハロプロに来てくれた時点で、全員好きなんですよ。みんなばらばらの個性を持っているけれど、それぞれにいいところがある。それはすごく大事なことだと思っています。
好きになった以上、責任があると思うんです。
熱烈にハロプロを愛する菊池さんですが、その裏側には、好きになった対象への菊池さんの確固たる信念がありました。
菊池:好きになった以上、責任があると思うんです。好きで居続けなければいけないとは思わないけれど、一度好きだと思ったなら、最後まで見届けなければという思いがあって。例えばハロプロの場合、彼女たちは生身の人間なので、見続けていると調子の浮き沈みを感じるんですよ。そうすると「自分の愛の伝え方が足りなかったんじゃないか」と思うし、どうにかしてその思いを伝えなければと思います。実際にはそんな術はなくて、もどかしいのですが……。
それは、ほかの「好き」についても同じで。昔買ったお洋服についても「なにか違うな」と感じるようになっても、すぐには手放さずに、いまの自分にフィットする方法を考えたり、寝かせてみて、再び好きになれるときを待ったりします。恋愛に似ているかもしれないけれど、別れずともいったん距離を置いてみたら、違う面が見えて、また新しい好きの理由が見えてくるようなことってあると思うんです。