菊池亜希子さんが読者から集まった「好き」を形にするためのお悩みに答える
ここからは、She is読者の方々から送っていただいた「好き」にまつわるさまざまな質問に、菊池亜希子さんにお答えいただきました。
Q. 「好き」な業界は専門的な知識がある人を大募集しているけど、自分の大学の専攻は全く違う。
A. 自分の専攻とは違ったとしても、好きな業界だということは、何かしらのストックが自分の中にあるはず。
「好き」な業界は専門的な知識(薬学、医学、理工系など)がある人なら大募集しているけど、自分の大学の専攻(文学)は全く違うという時、菊池さんはどうしますか?
菊池:私は相談者の方と逆で、大学までずっと建築を学んでいて理系でしたが、いまは文系に近いことを仕事にしています。でも、ものの考え方など、大学で学んだことはいまもすごく活きていると感じます。
私も就活をしたことがあって、建築系の企業をたくさん受けました。図面を描くことが得意な人が求められることが多かったんですけど、私はそこまで得意じゃなくて。だから、面接のときにも自分の趣味の話をしたり、図面を見せるときも、その建物の中で過ごす人々の暮らしぶりをスケッチで書いてみたり、ほかの学生とちょっと違う切り口で挑んでいました。
質問をくださった方も、自分の専攻とは違ったとしても、好きな業界だということは、何かしらのストックが自分の中にあるはずなので、きっと活かせる部分があるはずだし、そこを全面に出していけば、切り込んでいけるのではないかと思います。社会に出てしまえば学生時代の専攻は意外と関係なかったりしますし、技術的なものはあとから追いついてくると思うんです。
「好きなことを仕事にするのは難しい」というお決まりのフレーズがありますが、まったく好きじゃないことを続けていくことの方が、難しいような気が私はしています。もちろん自分の仕事を100パーセント好きだと言えるのはかなり恵まれていると思うんです。でも、仕事の工程の一部だとしても、「ここは得意」とか「やっていて気持ちいい」と思える部分がないと、続けていくことがしんどいのではないでしょうか。人生には限りがあるから、できる限り好きなことをやれたらいいですよね。
Q. 好きなものを人と共有できたことがありません。
A. 好きは人それぞれだから、「私は私で楽しいし、あの人はあの人で楽しそうにしているな」という感じでいい。
「好き」な分野や、「好き」な人のちょっと嫌な一面を知ってしまった時、どうしますか? 好きなものを人と共有できたことがありません。人見知りも相まって好きなものを人に話すのが恥ずかしく、また、そこにまで会話が行きつきません。音楽、本、ラジオなど好きなものはたくさんあるのですがそれを人と共有する喜びを知らず、寂しいです。菊池亜希子さんはご自分の好きなものをどのように人と共有していますか? また、そこに緊張や恐さは伴いませんか?
菊池:「好き」な分野や、「好き」な人のちょっと嫌な一面を知ってしまった時、どうしますか? という部分に関して言うと、私は、人間関係で「おや?」と思うようなことがあったときも、相手を全否定したり、関係を断ち切ったりはしないんです。
それはもしかしたら、私が恵まれていて、すべてを否定せずにいられるような人しか、周りにいなかったからかもしれないですが、結婚したことによって、よりそういう風に思うようになりました。一人の人に対してここまで密に向き合うことって、それまでの人生ではなくて。いなくなったら困る存在だというのが大前提としてあったうえでですが、一緒にいると決めた以上、簡単に放り出さず、向き合っていく努力をしたいと思うんです。
モーニング娘。の『What is LOVE?』という歌で「たった一人を納得させられないで/世界中 口説けるの」と、歌われているのですが、一番近くにいる人に対して肯定しようとする気持ちを持てなかったら、すべてのことについて肯定できないし、仕事でたくさんの人に発信しようとしたって、伝わるわけがないと肝に銘じています。
もう一つ、好きなものを人と共有したことがないという質問についてですが、好きってとてもポジティブな感情だから、何かを好きだと言っている人は魅力的に見えるし、「怖い」と思わなくてもいいんじゃないかなと思います。その一方で、共有しなくてもいいとも思うんです。音楽や本って、孤独な方が深く身体に入ってくるんですよね。ハロプロのライブも友達と行くのは楽しいけれど、ライブを見ているときは一人で「地蔵(じっと動かずライブを鑑賞している人)」になって、ただただ受け止めているし、その緊張感が重要だと思うんです。
共有というのがSNSを前提にしているのならば、自分についてSNSに書くことを日常にするのが、みんなちょっとしんどくなってきているような気はしています。私も本当に楽しかったときのことは、書かなかったりしますし。好きは人それぞれだから、「私は私で楽しいし、あの人はあの人で楽しそうにしているな」という感じで、ガラパゴス的でいいと思うんです。
Q. 自分に余裕がなくて好きなものに時間をさけないのが今の悩み。
A. 「いまはそういうシーズンなんだ」と思って割り切るようにしています。
自分に余裕がなくて好きなものに時間をさけないのが今の悩みです。
菊池:私もいままさにそんな感じなんです……。時間の使い方が本当にへたくそで、気が付いたら夕方になっていることがよくあります。なので、答えを持っているわけではないのですが、余裕がないときってずっと続くわけじゃないと思うので、「いまはそういうシーズンなんだ」と思って割り切るようにしています。
常に丁寧に暮らすことができればいいんですけど、ぐちゃぐちゃな日々を送っているときって、誰しもあると思うんです。だから「落ち着いたら喫茶店に行こう」とか「あの漫画を全巻読もう」ということを励みに、いまは日々馬車馬のように過ごしていますね。
子育てをしていると、自分の時間が本当に取れないんですけど、長い目で見たら人生の中で一瞬なんですよね。だとしたら楽しんだ方がいいし、きっとあとから「あの頃って愛おしかったな」と感じるときが来ると思うので、その時期が来たら、自分の時間をとれるといいなと思っています。
Q. 好きの反対ってなんだと思いますか?
A. 「好き」の反対はあまり考えなくてもいいかもしれないですね。
好きの反対ってなんだと思いますか?
菊池:またアイドルの話になってしまうんですけど、以前に「好きでも嫌いでもないと言われるのが一番辛い」と言っていたアイドルの方がいて。「嫌い」ということは、何かしらフックがあるから、もしかして「好き」に変わるかもしれないけれど、そうじゃないというのは、何の感情にも触れないということですよね。
対立構造にすることって、あまりよくないなとは思うんです。自分が好きじゃないものでも、誰かはそれを好きかもしれないから、何かを愛する者として、別の何かを否定する気持ちってあまりいらないんじゃないかと思うんですよね。大事だと思うものを信じる気持ちを守っていくことが一番です。だから「好き」の反対はあまり考えなくてもいいかもしれないですね。
『アンジュルムック』をつくる際、制作チームは「少女を消費しない」というテーマのもとに、制作に臨んだと言います。思い入れを持った人やものごとと、一過的に付き合うのではなく、いいときも悪いときも、長い目で見届けていくたしかな意志を一貫して持ち続けている菊池さんの姿勢は「消費」とは対局にあるもの。それはきっと、自分の見つけた「好き」に確信を持っているからこそなのだと、愛するものについて菊池さんがいきいきと語る様子からは感じられます。そのときどきの状況に応じて、距離感や向き合い方を柔軟に変えながらも、愛を持ち続けるからこそ見えてくる地平が、きっとあるのではないでしょうか。
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