She isの更新は停止しました。新たにリニューアルしたメディア「CINRA」をよろしくお願いいたします。 ※この画面を閉じることで、過去コンテンツは引き続きご覧いただけます。

She is編集部のだいたい週報(2021年3月26日)

記憶の中のバターナイフ ほか

テキスト: 井戸沼紀美、久保山領、小島直子、竹中万季、野中愛、野村由芽
  • SHARE

このコーナーは、She is編集部がさまざまな近況や心の機微、日々の澱、喜怒哀楽、情緒の蓄積、などをだいたい週ごとにお届けしていく場所です。
どうぞゆるゆる、お楽しみください。

記事のしたには書き込むことができるコメント欄もありますので、お気軽に感想や質問、お待ちしてます!

・記憶の中のバターナイフ(井戸沼紀美)
・わたしはわたしあなたはあなた(久保山領)
・A K U(小島直子)
・世界中のどこかにいるまだ出会ったことのない誰かと(竹中万季)
・祝福の景色(野中愛)
・生きている人に流れる時間(野村由芽)
・She is編集部のおすすめ

記憶の中のバターナイフ

父がこの春に定年退職を迎えるということで、家族でオンラインのお疲れ会をすることになった。まだ本人には内緒なのだけれど、そこで私と姉、弟の3人から贈り物をしようと、さまざまな候補を考えた。お酒は他の人からもらいそうだし、ネクタイももう要らない、これまでにあげてないものって何だっけ? ぐるぐるするうちに、ふと思い出した。家族旅行で行った長野の松本に、とびきりのお店があったことを。

夕方ふらりとその店に入ると、居心地の良い灯りの下で、めずらしい映画のポスターや(たしかテオ・アンゲロプロス)、みたことのない形をした器たち、グレーと白の長い毛をふかふか揺らす猫と、その猫と似た髪色のすてきな店主がお出迎えしてくれ、胸がいっぱいになったのを覚えている。そしてわたしたち家族は、全く予定になかった(お店自慢の)木製のバターナイフを購入したのだった。

お店の現状もわからないままに検索をかけると、幸運にもInstagramのアカウントを発見。あの日のときめきがすぐに蘇ってくるような写真やキャプションで、フィードが埋め尽くされていた。

「床に真っ赤なtablecloth / グラスにフォークにスプーン、お皿には熱々カチャトーラ / ローソクともしてワインあけたら / 今夜は気取って、ジャン・レノ スペシャル! / 床から見上げるキッチンは / 僕らをいたずらな子供時代へと誘う / ようこそ、ピクニック・ディナーへ!」

「すっかり葉を落とした木々は / きたる寒風をしなる鞭のごとく切り裂く / 闇は、はらはら・・/ はらはらと、私の瞼に舞い落ちる / 夜を傷つけぬよう、そっと / 薔薇をおく」

すぐさま商品を購入できるか、希望の場所まで送っていただけるかと電話すると、あの日対応してくださった方に違いない、優しい声でOKをくださった。あとから追加で電話をくれ、プレゼントを受け取る本人に支払い票がみられないようにと気を配ってくださる。なんて良い買い物をしたんだろう!

これまでは雑誌やテレビで「本当は教えたくない店」の特集を見たとき「じゃあ紹介しなくてもいいのに」と思っていたけれど(素直!)、今回はじめて「ひとりじめしたい……でも知って欲しい!」の気持ちを味わった。これか。1回の買い物でこんな満ち足りた気持ちになれるなんて。

ひんぱんに関わることがなくても、まったく違った暮らしをしていても、詩情をもった優しい誰かがどこかで暮らしていると知るだけで、頑張れるときが自分にはある。だから今回はそのせめてもの、おすそわけを!(井戸沼紀美)

陶片木's (@touhenboku1987) Instagram

わたしはわたしあなたはあなた

わたしは服が大好きだ。高校生になる直前に母が買ってきたメンズノンノを読んだことをきっかけにどんどん服にのめり込み、大学に進学してからはなるだけ原宿へ行っていろんな服を試着したり、街ゆく人を観察していた。たくさんの服にアクセスできる環境は地元とは比べ物にならないほど楽しかった。でも、おしゃれなひとがたくさんいる街で、自分が服を着こなせているかには全然自信がなかった。何を着ても似合わないと思うことがたくさんあったし、自分以外の全員がおしゃれに見えてしまい街中でひとり泣いてしまったこともある。思い通りに服を着れないから、おしゃれにならなければという強迫観念のようなものがどんどん強くなっていって、服を見るのは楽しいけれど着るのはとても苦しいという時期が二十歳頃まで続いた。

それでも服を好きな気持ちは変わらず、その気持ちに突き動かされるままがむしゃらに服を着ては原宿に向かうということを繰り返すうちに、ストリートスナップに声を掛けられるようになった。当時はまだスナップの影響力が残っていた時代だ。自分も媒体問わずいろいろなスナップを見ては自分の服装を顧みるということをしていたので、ハントの目に留まったのはとてもうれしかった。そしてスナップを撮られることで今までの自分が認められたような気がした。

そこからは不思議と肩の力が抜けて、おしゃれにならなければという気持ちよりも服を着ることを純粋に楽しもうという気持ちにシフトしていったような気がする。おしゃれかどうかなんて本当はどうでもよくて、なにをどう着たら気持ちが高まるのか、もしくは心地よいのか、ただそれだけなのかもしれない。おしゃれかどうかで優劣をつけたり(もしくはつけられているような気がしたり)、だれかと比べることはもうしないよ。

今では服を着ることは自分の感情と向き合うことだと思う。感情はわたしだけのものだし、あなただけのものだから、だれが何を着ていても、その人が選びぬいた服はきっと素敵なはずだと信じてる。(久保山領)

一番好きだった雑誌『TUNE』の1ページ

A K U

来年で小学生になろうとしている息子がいるにも関わらず、今日も私は期限ギリギリ(というかアウト)で保育園の書類提出をしたり、電柱にぶつかったりしている。相変わらず夫にはよく叱られるし、こんな母だからか息子は私よりもしっかりしていて、いろんなことによく気がつく。記憶力が凄まじく2年も前のことを事細かに覚えていたり、目で見た情報がぜんぶ頭に入ってたりするので「ママまた忘れたの?」とよく言われる。もしやおぬし、ギフテッドか?

そんな私の子育て観は、本質的なことさえおさえておけば、あとはどうにでもなるさと思うこと。その本質的なことで「これは」というがいくつかあって、いまだに私の子育ての指針になっている話を1つご紹介したい。それは世田谷にあるプレーパークの創設に関わった天野秀昭さんの論文からだった。プレーパークとは「自分の責任で自由に遊ぶ」をモットーに、禁止や制約を書いた看板をなくした遊び場のこと。私が感銘を受けた天野さんの文章を以下に引用させてもらう。

“私は子どもの遊びを表わす3大形容詞として「あぶない」「きたない」「うるさい」をあげてきた。この頭文字をとると「AKU」、そう、悪となる。大人はどうやら、子どもの「あぶない」「きたない」「うるさい」を悪だと思っているようだ。「危ないからやめなさい」「汚いからやめなさい」「うるさいから静かにしなさい」。子どもは昔からAKUの存在だった。自分だってそうだったはずの現代の大人はしかし、子どもが子どもであることを許容してはくれない。子どもが遊べなくなったわけでは決してない。大人の不寛容さが子どもから遊びを奪ってきたのだと、我々はまず肝に銘ずる必要がある。”

大人にとっては悪でしかない子供の3大AKU。だけど子供が育つ上では大切なこのAKU。その付き合い方について考えようと問いかけるものだった。安全で綺麗で静かな環境はたしかに素晴らしい。しかしそういう環境だけに子供が居続けたらどうなるのだろう? 危ないから、汚れるから、うるさいからという理由で行動に制限をかけることが、どれだけ子供の可能性を潰すことになるのだろう? このAKUを大人がどれだけ良しとできるかを説いていて、読んだ当時は目から鱗だった。とはいえ子供は想像の何倍も危ないし汚いしうるさい。それが理由で怒ってしまうことなんて、時と場合によってはやってしまうし、そんな綺麗事ばかりも言ってられない。病気や交通事故、窒息、転落、誤飲…...上げたら数えきれないほどの危険から、この予測不能の動きをする生物を守らないといけないのだから。だけど人が人らしく育つために大切な考え方をこの話から教わった。私はAKUを許せてるだろうか? と時々立ち止まる。今も、ずっと。(小島直子)

世界中のどこかにいるまだ出会ったことのない誰かと

先週、She isで小谷実由さんと前田エマさんと文通についてお話するトークイベントを行ったり、ガチャガチャをまわすと知らない誰かとの文通が楽しめる「文通ガチャ」という装置を作ったりしたこともあり、文通というものについてずっと考えている。

わたしが文通の面白さを知ったきっかけはインターネットで、トークをしながら思い出したのが、20年以上前に流行っていたメールソフト「ポストペット」だった。ピンクのクマのモモちゃんがお手紙を運ぶこのサービスはもう終了してしまったけれど、小学生のときに知ったあのはじめての感覚はいまも忘れていない。届いたメールを見るには、パソコンを開いて、インターネットに接続して、ボタンを押すという一苦労が必要だった。だからこそ、玄関を出て郵便受けを見に行っているような、待ち遠しい気持ちや手触りのある感覚があった。いま覚えば、昔の携帯にあった「センター問い合わせ」を押す感じも、それに少し近いかもしれない。好きな人から連絡がきていないか何度もボタンを押したのは、きっとわたしだけではないはず。

当時、パソコン好きな父親の影響でどっぷりインターネットにはまっていたわたしは、知ってる人だけではなく、知らない人ともメールのやり取りがしたくなって、いろんなサイトを訪れていた。一番初めに登録したのがMySpaceというサイトで、いまはだいぶ違ったサービスになっているけれど、当時は世界中のティーンエイジャーがたくさん登録しているコミュニティサイトで、プロフィールページに自分の好きなものを書いたり、好きな色にカスタマイズしたりして楽しんでいた。その場所で知り合った話の合う女の子二人とポストペットを使ってメールのやり取りをずっと続けていて、だいぶ経ってからそれぞれドイツとアメリカからメールを送っていたことを知った。それから彼女たちはわたしの文通相手にもなった。

小学5年生のわたしは、そのときのことをこう書いていた。

お父さんの仕事の関係で外国で暮らしているらしいのですが、メールのやりとりをしていると、(今、ドイツやアメリカの時間は何時なんだろうな。日本と生活がどのようにちがうのかな)と思いうかべたり、ドイツやアメリカもすごく近くに感じられるのが不思議でなりません。ほかにも、北海道や大阪などに住んでいる人もいるので、一度でいいから会ってみたいなあと思います。

会えなくても、手紙やメールは離れた場所にいる誰かと誰かをつなぐ。いまでは当たり前のことだけれど、すごく尊いこと。そのときに感じた衝動が、いまの自分を突き動かしているなといつも思う。世界中のどこかにいるまだ出会ったことのない誰かと言葉を交わしたい。

最近はpostcrossingというサービスを使って、世界のどこかにいる誰かからランダムに届く絵葉書の交換がすごくたのしいです。会ったことのない誰かに出会うために、これからも手紙を送り続けるんだろうな。(竹中万季)

祝福の景色

久しぶりに筋肉痛になった。
筋肉痛になった足で歩く度勝手に「イタッ...」と声に出てしまうし、階段は手すりを持ち腕を使って体を浮かさないと降りることができない。

なぜそんなことになったかというと、筋肉痛になる前日に友人と獣道を登ったのである。

私は最近原因不明の大きな疲れを感じていて、その疲れをどうにか取るための方法を沢山試しているところだった。そんなタイミングで友人から「鎌倉に1日いる日があるから一緒に散歩しない?」と誘いがあり、ふらっと鎌倉に行くことにした。人通りの少ないタイミングを狙って、特に当てもなくふたりで街を散策していたところ、たまたま『甘縄神明神社』という神社の前を通りかかり行ってみようという話になった。あとで調べると鎌倉で一番古い神社らしい。長い階段を登って拝殿にお参りをすませ、あたりを見渡すと古い鳥居が目に入った。鳥居の奥にも道が続いているようで、好奇心旺盛な友人は「行ってみよう!」と鳥居の奥にどんどん進んで行く。最初こそはちょっとした坂道だったが、すぐに人ひとりがやっと通れるくらいの狭さになり、木の根っこなどに足をかけながら登っていくような獣道となった。友人は軽々と登っていくが、ネガティブな妄想(足を滑らせる、手をかけた木が崩れる、etc...)ばかりしてしまう私は匍匐前進のような不恰好な体勢で登っていった。

優雅なお散歩デートを想定していたので私はワンピースを着ていたし、友人は出張で来ていた為大荷物で、そんな2人が木の根っこや岩に足や手をかけ登っていく姿はなかなか異様な光景だったと思う。

足を滑らさないように必死になっていると「あいちゃん、やばい!!」という友人の興奮した声が聞こえた。木にしがみつきながら立ち上がると、木に覆われていた周りの景色が一部分ぽっかりと空いていて、鎌倉の街と海が目下に広がった。辺りに生えている木々がフレームのようにその景色を美しく切り取っていた。
この景色の美しさを全身で感じたいと、久しぶりに自然と深く呼吸をした。
海風が優しく汗を乾かし、太陽の日差しと頭上の木の葉が目の前にきらきらとした心地よい光を届けてくれた。私は調子がいいので、山と神社の神様から「きっとうまくいくよ」と祝福されているような気がした。

こんなに嬉しいプレゼントを受け取ることができるのであれば筋肉痛も全く苦ではなかったが、数分獣道を登っただけで階段をまともに降りられないほど筋肉痛になってしまう自分の身体に危機感を抱いた。そして何より、祝福の景色をプレゼントしてくれた山と神社の神様にがっかりされたくないように、身体も心も少しづつ鍛え、いつだってしなやかに回復できるようになりたいと思った。(野中愛)

生きている人に流れる時間

これまで、祖母や母、猫、パートナーのことを書いたことはあったけれど、父について書いたことがなかった。父との時間のことを書こうとおもう。

わたしは父のことが、ずっと好きだった。子どもの頃から、たぶんなにかを制限された記憶がない。飼っていた猫チャロンに「チャロピ〜は猫の味〜」と替え歌をうたったり、わたしが階段からお尻でだだだんと落ちると四つん這いでリビングから這って出てきたり、母とわたしが成人式に交通事故に遭ったときには、大切にしていた車の悲惨なすがたを見てもなにも責めず、いまでもずっと焼きついている安心だけをもたらす顔でにっかり笑ったり。

だけど信念を曲げない父は、ひとつの会社に勤めあげ、成績をあげ続け、その性格ゆえ、まわりと衝突して苦しんでもいたのだった。性格は、その人の個性であって、いいとか悪いとかは他の人が決めることじゃない。だけど環境によって見方は変わり、その人を大切におもうわたしたちはそのことに苦しむ。娘にとってはよい父、お客さんにとっては美しいものを紹介してくれる話し相手、会社の誰かにとっては、自分のやり方を通して言うことを聞かない社員。「言うことを聞かない社員」だった父の寝言はだんだん激しくなり、「言葉にならない叫びで戦っていた」と母から聞いて、短い睡眠時間で毎日数百キロの道を車で走る仕事をしている父を思うたびに、わたしはおろおろと泣いてしまって、だめだった。

そんな父は、60歳を前に自ら退職を申し出た。退職を決めたのだと聞いたときの父とのメールのやりとりを見返すと「自分の真価を確認すること、人生を楽しむことに残りの人生を費やそうと思います。不満をもってきたなら自分なりの正解を示したいと思います」と書いてあった。それからは、亡くなった父の母を継いで土曜と水曜にかならず蕎麦をうって、家族のグループLINEに毎日自炊の料理を送ってくる。架空の蕎麦屋の屋号は「花の笙」。お客さんとの予定を書き込んでいた手帳にいまは、テレビや雑誌で仕入れたレシピをびっしり書き留めているそうだ。ずっとなにかをつくりたいと言っていた父はいま、なごやかに楽しそうで、子どもの頃から好きだった父が、戻ってきたようだったとおもった。

戻ってきた? そうかな。そうじゃないなとおもう。父からもらったメッセージをもっともっと、さかのぼってみる。

「ストレスには、それを打ち消すものを100くらいもってるといいらしいよ。旅行にいくとか、カフェオレを飲むとかあのひととおしゃべりをするとか……。生活の中の癒し、くすりだね。いろいろ乗り越えていけば、きっとすてきな景色に出会えるよ」

「生きることは、勇気をもつこと。長い距離を歩くのに、ゴールを眺めると、絶望したり、心配したり。そんな時は足元を見て近くの景色を見て歩けば、焦らずいつの間にかゴールするもの。心配だけど勇気を出して生きるといいんじゃないかな」

これはわたしが心身の調子を崩していたときにくれた言葉だったのだけど、わたしがひたすらに「父が心配だ」と思っているあいだにも、父にはもちろん父の時間が流れ、わたしが子どもの頃の父とも違う、そのとき父のいちばんの言葉を考えて、届けてくれていた。最近150回目の蕎麦打ちを迎えた父に「蕎麦打ちがつづいていて凄いねえ」と伝えたら、「うん、ずっと飽きっぽい性格だとおもってたんだけど、会社勤めをしているうちに実は打ち込める性格にもなっていたみたい」と言っていた。流れる時間に向き合う足跡は、その人をその人たらしめるたましいの足跡と同義だ。

日々のなかで考えて、感じて、時間が流れることを知っている、生きている人たち。流れる時間を生きるすべての人に流れた時間には、本人も覚えていない無限の記憶が宿る。どんなに近くにいてもわたしはあなたを知り得ないということに、打ちのめされる。同時に、知り得ないことをおそれないために、相手の豊かさと自分の豊かさを信じることを、覚えていたい。わたしはわたしと、わたしはあなたと、なにができるか、なにが語れるのか、いつも考えて生きていたい。(野村由芽)

She is編集部のおすすめ

劇場版 美少女戦士セーラームーンR
わたしにとってとても大切な映画を紹介したい。すでにご存知の方も多いかもしれないが、セーラームーンファンのなかでも根強い人気を誇る「劇場版R」だ。セーラームーン全体のテーマに「愛」があるが、この作品では「孤独」にフォーカスしている。誰しもが抱えている孤独に対して、主人公・月野うさぎがひとりずつ手を差し伸べていくのだが、そのさまはセーラームーンの真髄を描いていると言えるのではないだろうか。うさぎは誰のことも決してひとりにはしない(たとえそれが地球の平和を脅かす存在であっても)。
また、60分という短尺ではあるが構成がすばらしく、セーラームーンを知らない人が観ても理解できる内容になっているので、多くの人に観てもらえたらいいなとずっと思っている。(久保山領)

ヴィーガン居酒屋「真さか」
渋谷パルコの地下レストラン街が、ブレードランナー的で面白いのですが、ここに訪れたら「真さか」で唐揚げを食べて見てください。本当に「まさか?」って言っちゃうくらびっくりするんで。情緒と人情が溢れでた公式サイトを見て、さらに好きになりました。(小島直子)

モキシー〜私たちのムーブメント〜
元ライオット・ガールのお母さんと黙らずに声をあげる転校生の影響を受け、学校内に蔓延する性差別を非難するためのzineをつくった主人公。ヘッドフォンでbikini killを聴いて、切り貼りしてつくったzineを印刷しに走るところが印象に残っています。ローレン・サイが演じていた主人公の親友のアジアンの女の子が、自身の性格を肯定しながら自分なりの方法でムーブメントに関わっていたところにぐっときました。いろんな関わり方があっていい。(竹中万季)

「Gペンと丸ペン」
浦沢直樹の漫勉という番組があります。
大好きな漫画家の岩本ナオ先生の回を見た時に、真っ白な紙の上で岩本先生が生み出す線からどんどん世界が作られていく面白さを見て、恋人からのクリスマスプレゼントにGペンと丸ペンを買ってもらいました。漫画家さんのような綺麗な線はまだ全然かけませんが、ペン先にインクを含ませ、紙の上で思うがままに線を描いていく楽しさはもっと早く知っていたかったと思うほど快感です。(野中愛)

NORR KYOTO
京都・北山にある輸入雑貨と書籍のお店。最近、イギリスのカード作家、Elena Deshmukhのグリーティングカードを買ったのですが、プロフィールの「イギリス・ロンドン近郊に暮らす、庭を愛するカード・デザイナー。植物や動物へのやさしいまなざしが感じられる絵を昔ながらの製法で作られた紙に印刷し、美しいカードを作っています」という言葉に射抜かれてしまいました。NORR KYOTOに並べられているアイテムには店主の愛情がたっぷり注がれていて、なぜか五感のすべてが喜ぶような感覚を覚え、不思議だなあと思っています。(野村由芽)

PROFILE

井戸沼紀美

She isコミュニティディレクター。個人的に『肌蹴る光線』というイベントを開催しています。文章を書くと読点が多くなりがち。

久保山領

She isコミュニティマネージャー。散歩中たまに出会う近所の猫に癒やされている。

小島直子

She is プロダクト・ギフト ディレクター。趣味は石集め。食と身体の関係性への興味から、茶道と菜食に目覚めました。

竹中万季

She isプロデューサー/編集者。深夜に歌を歌ってお酒を飲みながら料理をするのが生きがい。

野中愛

She isプランナー。漫画とアニメと、何かを作るのが好き。食べることも掃除も散歩もお花を愛でるのも好き。好きなことがありすぎていつも時間が足りません。

野村由芽

She is 編集長。ひっこしをして、残りのダンボールがあと20箱ぐらい。あたまの余白と部屋の余白はなんだか連動しているような気がする。

She is編集部のだいたい週報(2021年3月26日)

SHARE!

She is編集部のだいたい週報(2021年3月26日)

She isの最新情報は
TwitterやFacebookをフォローして
チェック!

RECOMMENDED

LATEST

MORE

LIMITED ARTICLES

She isのMembersだけが読むことができる限定記事。ログイン後にお読みいただけます。

MEMBERSとは?