孤独とかひとりぼっちな時間を持っていることは、すごく素敵だなと思う。(吉岡)
—『カルテット』(2016年)の来杉有朱役で見せた、人々の記憶に残る迫真の演技も、吉澤さんの演奏を聴いてその場で泣いてしまう心の柔らかさも、表現に真剣に向き合っているからこその結果なのだとも思うのですが、吉岡さんが自分であるために、大切にしていることはありますか?
吉岡:私は衝動的にものをつくっている人がとにかく好きなんです。嘉代ちゃんみたいに歌うことも、絵を描くことも、極端なことを言ったら、やらなくてもいいことでしょう? でも、どうしても我慢できなくてつくってしまうところに、すっごく尊さを感じて、愛おしく思う。そういう人に触れたときに、ちゃんと感動できなくなったらもうものづくりに関わる価値はないし、そうなってしまうのが最近はすごく怖いです。
吉澤:それはどうして?
吉岡:本当にありがたいことなのですが、今はずうっと表現の中にいるから。これまでは表現というものが遠かったから、「あの人たちに触れたい」「あの色が見たい」ってすごく切実に追いかけていたけど、表現がずっと側にあることで、慣れていくのが怖い。だから、初めてこの世界に入って仕事がしたいと思ったときの感情を絶対なくしたくないし、その感情を感じられなくなったら、私はこの仕事を辞めるんだと思います。そんななかで、嘉代ちゃんの新しい曲、“残ってる”はすごくよかった。
吉澤:ありがとう。これは、朝帰りの女の子の歌なんですよね。あるとき友達が、「いかにも朝帰り風な女の子がいたんだ」という話をしていて。どうして朝帰りだと思ったかというと、その日は急に気温が下がった日だったんですけど、女の子は薄着のままで、だから朝帰りだってわかったと。それを聞いたときに、街の装いが変わっていくなかで、まだ夏のままの女の子が浮かびました。
吉澤嘉代子「残ってる」MUSIC VIDEO
吉岡:その様子を表す歌詞がすごくいいですよね。私の一番好きなフレーズは、<一夜にして 街は季節を超えたらしい>っていうところ。彼のもとに向かう前の昨夜の彼女と、彼と過ごして朝焼けのなか帰っていく彼女の心の変化がすごくうまく捉えられていて。嘉代ちゃんのことはもはや詩人だと思っているのですが、他の人にはできない言葉の紡ぎ方をするので、私はその言葉にいつもムズキュンするんです。
吉澤:ムズキュン(笑)。うふふ。
吉岡:それに、置いてけぼりになった子って絵になりますよね。孤独とかひとりぼっちの時間を持っていることは、すごく素敵だなと思う。初めて嘉代ちゃんと会ったときも、その気配を感じたというか、一人でいることや、みんなと同じことができない葛藤のなかに美学を持っている人だと思いました。だからこそオリジナルが生まれる瞬間ってあるじゃないですか。
吉澤:いつもは、歌のはじまりと終わりで、なにかひとつその主人公が成長していたらなと思って書くんですけど、今回の“残ってる”の主人公は、それがないんですよね。むしろ、季節が流れても、立ち止まって自分の時間を止めたいと思う願いの曲だから。
吉岡:この女の子は、自分をよく見せようとも思わず、ただそこにいるって感じがいいなって。いつもの嘉代ちゃんの歌は、もう少し個性的な女の子が主人公なことが多い気がするけど、“残ってる”で描かれているのは、いろんな女の子たちが一度は経験した風景なんじゃないかなと思います。
私は悲しいとか辛い気持ちって、すごい栄養素だなと感じていて、それに打ちのめされるのもまたよきかな、と思えるんです。打ちのめされるというのは、言い換えると、しっかり受け止めているってことですよね。その感覚を書けるのが吉澤嘉代子だし、だからファンやめられないぜって思います(笑)。
吉澤:……。里帆ちゃんは、本当に言葉の輪郭がはっきりしていますよね。もう、覚えてきた台詞のように完璧で、圧倒されます。
吉岡:いや、もっとベストな言葉があるっていつも思うし、言葉を愛する人の前で、言葉で表現するのは恥ずかしいです。投げキッスとかで表現できたらいいんですけど(笑)。
どんな嫌な女の人でも、どんな面倒くさい女の人も、自分が演じるときは自分が一番の理解者でいたいし、私が一番の友達だよって言いたい。(吉岡)
吉澤:ふふふ。私は、時間をかけて何度も言葉を重ねながら探っていくような話し方なので、里帆ちゃんのことを本当にすごい人だと思います。前に、里帆ちゃんから「役に悩んでいる」といったLINEをもらったことがあるんです。それで番組を見てみたら、個人的に話したことがある私ですら、彼女の本心がわからなくなるほどその役が染み込んでいて、すごく魅力的だなと思ったんですよ。
さっきの話で言うと、透明であればあろうとするほど、素直であればあろうと思えば思うほど、まわりの空気をそのまま吸ってしまうじゃないですか。そういうふうに、役に……言葉が合っているかわからないけれど、毒されることってどんな感覚なんだろう? と思うし、そこからどうやって抜け出したのかなって。
吉岡:演じている最中は、どんな役もしんどいんです。
吉澤:あ、そうなんだ。
吉岡:うん。やっぱりね、しんどいの。
吉澤:そっか。
吉岡:「またまた、そんなこと言って……」みたいな反応をされることも多いけど、自分じゃない人間を演じるのはすごくパワーがいるんです。特に私みたいに「自分だったらこう思う」というのがいつも頭にある人間にとっては、自分の考えとは違う言葉たちってなかなか受け入れがたいし、頭では受け入れていても、自分の言葉として発するのが難しかったり。役者向いてないんじゃないかって(笑)。
吉澤:(笑)。
吉岡:でも、どんな嫌な女の人でも、どんな面倒くさい女の人も、自分が演じるときは自分が一番の理解者でいたいし、私が一番の友達だよって言いたい。だから毒されるという感覚はなくて、むしろ私から、飛び込んで行く。
吉澤:飛んで火に入る夏の虫?
吉岡:そうそう。「綺麗だなー、危ないなー」って頭ではわかっているのに飛び込んで、シュって焼け死ぬみたいな(笑)。
吉澤:投身しちゃうんだ。
吉岡:めらめら燃える美しさには叶わないから、そこにやっぱり身を投じちゃうんだな、と。どんなに苦しくても「この役を全うしたときに、作品が完成する一部になれるなら」っていう気持ちが上回る。作品が面白いって思うのは、私自身が際立つことじゃなくて、自分が作品のパーツとしてカチッとはまること。そして同時にそれが、私が私であるってことなんですよね。