本質的に自分で自分を認めるということ。
―『おまじない』の主人公は女性たちですが、男性にもいろいろな人がいることが描かれていますよね。人を傷つけてしまうおじさんもいれば、魔法のような言葉で人を救うおじさんも出てきます。この作品は女性だけではなく、これから年を重ねていく人も含め、未来のおじさんも救う物語でもある。
西:そう。おじさんをくくらない。
―そんななかで「おまじない」の言葉をくれるのは、少し社会から逸脱した、はぐれ者、変わり者のおじさんが多いなと思いました。
西:それが私のダメなところであり課題で、こういうおじさんが好きなんですよね……(苦笑)。「圧倒的に社会から外れてるぞ!」みたいな。でもなぜそういう人が好きかというと、たとえば自分が洋服が好きだとして、可愛いって言ってくれる女友達も必要だし、「そんなヒールの靴をはいてたら苺が摘めないじゃないか!」と叱ってくれるおじさん(『おまじない』収録「いちご」参照)も必要なんですよ。自分の凝り固まった価値観を壊してくれる人も必要。
西:いろんなおじさんを描きたいとは言っても、『おまじない』にはいわゆる「王子さま」みたいな人はほとんど出てきません。映画の予告編を見ていると「地味な私に学園の王子さまが! なぜ?」みたいな作品が多いですよね。あれも夢があって素晴らしいと思うのですが、かっこいい王子さまに好かれた自分を好きになるというのは、本質的には自分で自分を認めるということにはなっていかないのではないかと。
まあ、自己肯定と他人の評価の関係は密接だから、この世には王子さまも必要だし、同時に「王子さまってなんやねん」って一蹴してくれるおじさんも必要なんですけどね。ただ、私自身はやっぱりはぐれ者が好きすぎてやや偏りがあるので、そこは課題ではあります……。
一度もらった言葉は完全には消えないけど、自分が幸せになるために、別の言葉で上書きしていくことができる。
―『おまじない』に通底している西さんの姿勢というのは、一見世の中で「正しい」とされていることや、あるいは自分の考えに対しても、常に「別の考え方はないのだろうか?」とふと立ち止まって、考えの選択肢を増やしていくような跡が見てとれて、そこに魅力を感じました。そのなかで「自分で選べる」ということに関しては、作品のなかでも強く肯定されている印象があって。そのあたりはいかがですか?
西:やっぱり、選べること=自由だと思うんですよね。たとえばなにかしらの面で自分がマイノリティである場合、社会のコミュニティや価値観に対して、「当然のように自分が取りこぼされている」という疎外感とともに人生を歩んでくるわけです。
そうやってどこかに入りたいけれどずっと入れなかった人、居場所を求めていた人に、私は絶対にいつか、「ああ、私のための場所だ」と思えるものに出会ってほしい。そういう選択肢のひとつになりたくて、私は本を書いています。今、社会が少しずつだけど多様性という方向に向かっているのは、これまで当然のように取りこぼされてきた人たちが、自分たちの場所をつくっているからでもありますよね。それは、She isの成り立ちもきっとそうなんじゃないですか?
でもだからこそ、私が全ての読者を網羅しようと思わなくてもいいし、She isもそれをしようとしなくてよくて。私たちが取りこぼした人は、別の誰かが拾ってくれて、そうやって未来ができていく。
―誰かがつくった場所はゴールではなくてかりそめの居場所で、「次はあなたがやってもいいんだよ」というバトンでもあるなと思います。
西:私は、「世界中に一冊はたった一人の私に合った小説が絶対にあるはずだ」と思って生きていくのが希望になると思っているから、自分の作品はそういう無限の選択肢のひとつでありたいんです。
―今回の『おまじない』の言葉たちも、全部に共感してもらわなくてもいいわけですよね。
西:もちろんです。それに「おまじない」という言葉が持つ意味の通り、かつて祝福だった言葉も、ある日、呪いに変わることがある。そしたら、捨ててしまえばいんです。一度もらった言葉は完全には消えないけど、自分が幸せになるために、別の言葉で上書きしていくことができるし、それをやっていきたいなと思っています。
そしてさっき、変化のきっかけは「学園の王子さま」が与えてくれるものではないと言いましたよね。『おまじない』に出てくる人って、状況は全員変わってないんです。気持ちが変わっただけで。それが「変化」に対して常日頃思っていることで、自分の気持ち次第で、世界がこんなにも違って見えるってこと、きっとあるから。そのきっかけをくれるのは他者かもしれないけど、それを受け止めて、活かすのはいつも自分。私はそれを言葉で、書き続けたいんです。
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