2012年にHKT48を脱退後、ニート時代を経て、「モテクリエイター」という新しい肩書きで自ら起業した「ゆうこす」こと菅本裕子さん。YouTuber、SNSアドバイザーなど様々な立場で、自らが提唱する独自の「モテ」を軸に発信し、SNSの総フォロワー数は約100万人を超えています。
同じく熱狂的なファンを抱え、一般流通しないファッションブランドにも関わらず、SNSの総フォロワー数が10万人を超えるハンドメイドニットブランド縷縷夢兎(るるむう)。デザイナーの東佳苗さんがつくり出す愛らしさと毒気が入り交じった独自の世界観は、でんぱ組inc.や大森靖子さんなど、多くのアイドルやアーティストを魅了。彼女らを含むアーティストたちの衣装を手がけるほか、映像作家としても活動しています。
SNSを通じて活動の幅を広げ、表現を仕事にしてきた二人。「もしもSNSがなかったら?」というテーマをあらゆる領域の表現者が考える『SNS展 #もしもSNSがなかったら』(CINRA主催、LINEモバイル特別協賛)を前に、自分自身とSNSの関係を振り返っていただきました。SNSがなかったら夢は夢のままだったかもしれないけれど、SNSは幸せだけをもたらしたわけではない。SNSの天国も地獄も見てきた二人だからこそ語れる、公私にわたるSNSとの付き合い方からコミュニティや仕事のつくり方、自分の核を見つける方法まで聞きました。
見栄を張るのはやめて、もう一度自分を見つめて、SNSの発信の仕方をがらっと変えたんです。(菅本)
―お二人ともSNSを通じて活動を広げながら、強度のあるコミュニティをつくられています。女性を中心としたファンが多いところなども含めて、共通点が多いですよね。
東:そうかもしれないですね。以前はお茶したりご飯に行ったこともあるのですが、今はゆうこすが秒単位で忙しいので、なかなか会えない(笑)。
菅本:そんなそんな(笑)。でも、久しぶりに会えて嬉しいです。
―今日はお二人とSNSの関係を振り返りながら、SNSの長所や短所、自分に合った向き合い方などを見つけていけたらいいなと思っています。まず、SNSが登場して、これまでのご自身の生き方にどのような変化があったのか、ゆうこすさんからうかがえますか?
菅本:変化ですか……。地獄からの天国、ですかね。
東:ゆうこすは、地獄を経験したからこそ今があるよね。
―HKT48というメジャーなアイドルグループからフリーに転身するだけでも勇気がいることだったと想像するのですが、さらにSNSで発信する人は今ほど多くなく、当時は相当叩かれたと著書(『SNSで夢を叶える ニートだった私の人生を変えた発信力の育て方』)で拝読しました。それでもSNSで発信する手段を選ばれたのはどうしてだったのですか?
菅本:当時は告知のために使っている人が多く、あくまでも、SNSは「サブ」。でも私は「メイン」にして、そこで自分自身を伝えて、生計を立てていこうと積極的に発信し続けました。SNSをメインに活動しているゆうこすを見て、アンチからは「落ちたな」と思われていたのですが、落ちたほうが勝ちだと思うんです。
東:というと?
菅本:たとえに挙げるのはおこがましいですが、小林幸子さんが『紅白歌合戦』に出場できなくなった後、ニコニコ動画に出てボカロで演歌を歌うようになり、新規のファンが大盛り上がりしましたよね。「落ちた」ことってマイナスにとらえてしまったら負けですが、プラスにとらえて行動したら勝てるんです。でも多くの人はきっと、プライドが邪魔してしまうんですよね。
―はじめから、逆境に対してポジティブな気持ちで立ち向かっていたのですか?
菅本:私も最初のころはプライドが高かったので、どんなに叩かれても「毎日楽しいです!」って見栄を張ったツイートばかりしていました。でも、『ミスiD2016』の準グランプリを受賞した後、もう一度自己プロデュースを仕切り直そうと自分を見つめ直して、SNSの発信の仕方をがらっと変えたんです。ファンとの距離をどんどん縮めるようなイメージで、自分らしさを大切にして発信しようって。
『ミスiD2016』準グランプリを受賞したときのInstagramの投稿。このときの審査員には東佳苗さんも名を連ねていました。
東:私がTwitterを始めた2008年ごろは「SNSで見せている人格」と「本当の自分」を分けている人が多かった印象だけど、ゆうこすが発信をはじめた頃ぐらいから、いかに自分らしくリアルを発信するかという考えに変わってきたよね。
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