みなさんは「いつか」という言葉をどれくらい使ってきたでしょうか。本当はやりたいことがあるけれど、今の仕事を辞められない、お金がない、時間がない……。忙しく過ぎていく日々のなか、なんとなくの理由で、本当に好きなことやずっとやってみたかったことを「いつか」という言葉で先延ばしにしていませんか?
She isでは10月の特集「なにして生きる?」のギフトでお送りするオリジナルプロダクトとして、ファッションブランドsneeuwの雪浦聖子さんと、まるでペットのようにかわいらしく寄り添ってくれるブランケット「ブランペット」をつくりました。
雪浦さんは東京大学工学部を卒業し、TOTOに就職。27歳の時に会社を辞めてエスモードジャポンへ入学し、ファッションの世界に足を踏み入れたという経歴の持ち主。好きなことから目をそらさず、そして恐れずに道を選んできた雪浦さんの人生の選択の仕方、そして「ブランペット」に込めた想いについてお伺いしました。
後編「『好き』を追求するsneeuw雪浦聖子の仕事の掟。後悔しない選択を」※She is Members限定記事
今一番できることをまずはやってみようと思って、一番難関だと言われている東京大学を選びました。
高校生の頃、大学に進学を決める時から「ものづくりをしたい」という気持ちがあったという雪浦さん。当初は美大に行こうと考えていたそうですが、なぜものづくりに特化した学校ではなく、東京大学に進学したのでしょうか?
雪浦:なにかをつくる仕事をしたかったので美大に行こうかなと考えたのですが、そもそも絵がそんなに描けなかったんですよ(笑)。あと、わりと堅い家で、よく親が言いがちな「とりあえず大学に行ってから決めればいい。とりあえず勉強しなさい」みたいなことも言われていて、大学に行けば将来の道をいろいろ選べるのかなとなんとなく思っていたんです。
勉強がそこそこできたっていうのと、ほかのことができる自信もなかったので、今一番できることをまずはやってみようと思ったのと、浪人したこともあって、せっかくだったら頑張りたいなと思って一番難関だと言われている東京大学を選びました。
大学進学後、雪浦さんは自分が今いる環境の中で自分のやりたい「ものづくり」にしっかりと近づいていきます。
雪浦:東大って初めは「理科I類」とか「理科Ⅱ類」とか、大きな枠で入学して、そのあとで学科が決まるんです。大学に入る前に、将来はものづくりをする仕事がしたいけれど、美大を卒業せずにデザインに関われる仕事ってなんだろう? って考えていて。そこで、建築を勉強すれば、企業に就職しながらもデザインに関わることができるという考えにたどり着きました。
でも、結局入学してから勉強をサボってしまって、行きたかった建築学科に行けなくて。当時、自分が行ける範囲で、一番目に見えてわかりやすいものをつくっている学科が船舶海洋工学科だったので、そこに進みました。
大学で流体力学や船舶のシステム設計などを学ぶ傍ら、学外でもいろいろなものづくりに取り組んでいたと話します。
雪浦:上手くはないけど絵はずっと描いていたし、親からミシンを借りて服や小物などいろいろつくっていました。お裁縫は親もやっていたこともあって当時から一番身近だったから、比重が大きかったかもしれないですね。大学の時に自分でミシンも買いました。
あと、当時使っていたガラケーのケースを外して塗装したり、バイクのシートを張り替えたりもしていて。とにかく、なにかをつくるということが好きだったんですよね。
小さな世界かもしれないけど、自分と好みが一緒の人と共有できたらいい。
好きなことを追いかけ続け、自分の身の丈に合わせるのではなく、今より少しだけ努力が必要な方を選び、大学進学、そして在学中と、自らの道をつくってきた雪浦さん。しかし、その後の就職活動については「あんまり頑張れなかったんです」と続けます。
雪浦:グループインタビューとかがすごく苦手で(笑)。当時はかわいいケータイやamadanaのようなおしゃれな家電がたくさん出てきた頃で、ものづくりの仕事の中でもプロダクトデザインに携わりたいっていう気持ちが強かったんです。だから、スポーツメーカーなども含めて、いろいろなジャンルのプロダクトをつくる企業を受けていたんですけどダメで。
そんな中でご縁があったTOTOに就職しました。身のまわりのものをつくっている会社に行きたいと思っていたので、TOTOはまさにそのとおりで。家にまつわるものを扱うという意味では、建築学科に行きたかった思いともつながりました。
「プロダクトデザインをしたいという夢がここならいつか叶えられるかも」。そう思ってTOTOに入社した雪浦さん。入社してすぐに配属されたのはデザインの部署ではなく、プロダクト開発の部署でした。
雪浦:配属されたのはウォシュレットを開発する部署で。新卒でデザインの部署に配属されるのは美大を出た人だけだというのもわかっていたし、私の経歴からいくと開発に携わるんだろうなというのは、初めから想定していました。
デザインには関われなかったけれど、そもそものプロダクトのあり方を考える仕事に就けたという意味ではすごく満足していて。やりがいもすごくあったし、いろいろな仕事をやらせてもらって楽しかったです。
楽しんで仕事に取り組みながらも、デザインの部署への異動は毎年希望していたもののなかなか通らず、自分のやりたいことをできずに時間が過ぎていきます。
雪浦:デザインの部署へは結局行けなかったんです。年1回の面談の時に、毎年希望を出していたのですが、「まあまあ」っていなされて。3年ねばってもダメだったので、じわじわ辞めようかなっていう気持ちも出てきて、4年目に辞めることにしました。
当時は、ものすごく人数の多い大きなチームにいて、なにかを少し変えるにしてもすごく議論が必要でした。そんな中で、もっとひとりでも自由につくることができて、なおかつ自分でデザインができる仕事がしたいという気持ちが強くなったんです。
それから徐々にファッションデザインをしたいという気持ちが芽生えてきた雪浦さん。これまでさまざまなものづくりをしていた中で、なぜ洋服を選んだのでしょうか?
雪浦:自分にとって一番身近で、本当に好きなものだったからです。同じものづくりでも、それまでTOTOでしていたのは、多くの人が使うものとして安全性が問われる堅いものづくりだったけど、洋服は安全か安全じゃないかが前提として話されるものは少ないじゃないですか。気に入ってくれる人が数人いればつくることができるし、小さな世界かもしれないけど、自分と好みが一緒の人と共有できたらいいなって。
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