「何者かになりたい」欲望が「なんとかなった」理由があるとすれば、少なくとも少しずつ、欲望を人の目に触れる形にして発表していったから。
ー希望だなと感じたのは、「特別になりたい」という気持ちや、なにかの肩書きをめざすことって、どちらかというと軽んじられる動機かもしれないと感じるところがあって。たとえば、「作家になりたい」ではなくて「書きたいものがあって、それが作家という職業だった」というロジックのほうが、仕事の動機として信用に値するんじゃないかというような。
本谷:私自身も肩書きから入るのは抵抗があります。
ーもしかしたら、「自分は特別かもしれない」「何者かになりたい」という気持ちを、多くの人は少し諦めたり、別の選択をして今がある。自分の身に覚えがあるからこそ、いわゆる「根拠のない自信」というものを持っている人、持ち続けていられる人に対して、ちくりとひとこと言いたくなってしまうのかなって。そんななかで、本谷さんが「自分は特別かもしれない」という可能性に賭けながら今も作品を書き続けていらっしゃるのは、なんだかめちゃめちゃ希望だなと思ってしまいました。
本谷:そんなみっともない理由で、なんとかやってきてる人がいるんだ! って思ってくれますかね(笑)。
ーご自身のなかで「なんとかなった」理由があるとすればなんだと思いますか?
本谷:なんだろう? 少なくとも少しずつ、欲望を人の目に触れる形にして発表していったことですかね。劇団を旗揚げするのもそうだし、とりあえず最後まで完成させた作品を誰かに読んでもらうのもそう。このやり方で合っているかわからなくても、行動を起こすことで、良くも悪くも人からなんやかんや言われるような状態をつくってきたことは大きかったかな。あとは賛否両方ある、場所や人の声しか信用しなかった。劇団の旗揚げなんて……簡単ですよ。
ーえっ!?
本谷:なんというか、テストもないし、劇団をつくったと言えばいいだけですからね。まあ、今振り返れば当時の自分が取り憑かれていた焦りって、振り返ると異常でした。なんせ、なにかしらの才能があるなら、23歳までにその片鱗が示されているはずだと思い込んでいました。その歳までに活動の成果を上げていなかったら精神的な意味で、自分の人生は終わると本気で信じていたんです。
ー本谷さんは、なにかが始まらない怖さを感じていらしたということですが、同時に、なにかを始めるときの怖さというものもあると思うんです。「完璧」じゃない状態で世のなかに発表できないとか、踏み出せない、とか。そこに関する、怖さとかためらいみたいなものはありましたか?
本谷:それはたぶん、演劇っていう形態があったから深く考えなくてもよかったんです。劇場をおさえてチケットを売ったらもう、しのごの言えないから(笑)。締め切りがないと動かない人間だとわかっていたので、私はやらなければいけない環境を、あらかじめつくるということを繰り返してきたのかもしれません。でも逆に言うと、やってきたのは、それだけかも。
いつでも身軽に動けるように、なるべく手ぶらでいたい。しがらみにとらわれず、好きなときにやめて、次のことをはじめられるように。
ーそんななかで、「特別になりたい」という動機から劇団を旗揚げして、今は小説のほうに重きを置きながら、つくることを続けていらっしゃいますよね。本谷さんは、続けること、やめることに関して、どのように考えていますか。
本谷:自分にとって続けることに関しては、意志の力はあんまり働いていなくて、やっぱり流れに乗っていただけだと思います。やらなければいけない環境をつくって、そのなかでやってきたという意味で。
ーやめるということに関しては。
本谷:「劇団、本谷有希子」には劇団員がいなくて、毎回役者と契約を交わすという形式だったんですが、それはいつでも身軽でいたいって最初から考えていたからなんです。当時は劇団員を所属させるのが普通のことだったけれど、私には向いてないと思い、そうはしなかった。もし明日、自分が演劇をしたくなくなったら、なるべく迷惑かけずにすぐにやめられるように、環境を用意していました。だって明日どうしたいかは明日にならないとわからないし(笑)。
ー今、劇団は休止中ですよね。
本谷:それはどこかで、活動に変化を感じなくなってきてしまったから。小説のほうは反対に、書きはじめた頃はあまり変化を感じていなかったんですが、『嵐のピクニック』(2012年)の頃に自分のなかで小説観に対する大きな気づきがあって、そこからは一作ごとに違う景色が見えるようになりました。それまで自分のなかにあった「小説とはこういうものだ」という偏った思い込みを壊せたことが大きいです。
でもそうやって、いつでも身軽に動けるように、なるべく手ぶらでいたい。しがらみにとらわれず、好きなときにやめて、次のことをはじめられるように。私はとても飽き性なんですよ。