なにをして生きるか、どう生きるか。
それを考えることは、人生をかけて大切にしたいものや、自分の心と社会との折り合いをどうつけていくかという態度の模索でもあるのだと思います。
自分と他人は違うから、思い通りいかないしんどさもあるし、想像以上の喜びや美しさを受け取ることもできます。
そしてその、個人が社会で生きるうえでどうしたって生まれてしまう内面の叫びを、混沌としたまま、冴え冴えと書いてきた人に、どんなふうに生きてきたのか、とても大きなテーマだけど、聞いてみたいと思いました。
劇作家、小説家、本谷有希子さん。
21歳で「劇団、本谷有希子」を立ち上げ、作・演出として頭角を表し、現在は小説家としても多数の賞を受賞、さまざまな分野で働く女性を紹介するテレビ番組『セブンルール』などのMCも担っています。この秋に原作が映画化されることになった『生きてるだけで、愛。』をはじめ、まさに社会と自分の折り合いがつかない極端に「生きづらい」女性たちを描いてきた本谷さんは、彼女たちに惹きつけられつつも、同時に近親憎悪を感じるそう。
10年前と比べて今、「生きづらさ」に「いい感じ」のニュアンスが含まれているのでは? とビビッドに指摘する本谷さんのまなざしには、こんな問いへのヒントがあるように思うのです。あなたもわたしも、おそらくきっとみんな、個人同士が寄り合う世界で、誰しもが生きづらさを抱え持っているなかで、どんな態度で生きていこうか? ということについてのヒントが。
「とにかくなにかしなきゃ」という焦りから、始まったんです。
ー今回、She isでは「なにして生きる?」という特集で、生き方、働き方について考えていて。それを踏まえて、今の本谷さんにつながってゆく、そのきっかけやはじまりのところをおうかがいしたいです。
本谷:私の場合、まず高校卒業と同時に上京しました。とにかく地元を出たいと思っていたので、上京の口実として、役者の学校に行きたいと親を説得して出てきたのですが、結局1年ではやばやと挫折しましたね。役者はそれほどやりたいことじゃないなって。
ーどんなところが?
本谷:高校のときから演劇部だったのですが、役者になりたいというよりは演劇に携わりたいという気持ちが強かったんです。だけどそのときは演出家や舞台監督のような職業で食べていけるということすら、よくわかっていなくて。思い込みで、演劇といえば役者だろうと思ったんです。
ーだけど、役者じゃないなと気づいたんですか?
本谷:そう。一番向いていないなと思ったのが「受け身」だった部分ですね。無名の役者は基本的にまずオーディションを受けて合格したり、劇団員にしてもらって、舞台に出してもらわなければいけない。誰かにまず選ばれなければ、なにも始まらないんですね。
その状態がとても性に合わなくて、「だったら自分が選ぶ側に回ったほうが早い」と思ったことが、作・演出家に転向する大きな理由でしたね。もともと「人前で演じたい」という欲望も特になかったので、学校のイベントで「誰か、戯曲を書く人いない?」って募集があったときに、立候補して。なにもわからないまま見よう見まねで書いたら、わりと人から褒めてもらえたんです。
その後、学校を卒業してやることがなくなってバイトだけしていた時期があるんですけど、そのときは本当に毎日焦燥感に駆られてました(笑)。私の場合、創作するようになったきっかけは「書きたいことがある」なんて立派な理由ではなく、ただ「書くことだけはワープロと時間と場所さえあればたった一人でもできること」だったからなんですよ。「とにかくなにかしなきゃ」という焦りから、わけもわからず文字を書き続けていました。
ー焦り、から。
本谷:そうです。ただただ文字数を増やす行為……500字なり1000字なり書くと、画面の下に、文字数がカウントされていくじゃないですか。
「あ、今日は500字書けた、今日は1000字」って。とにかく、「今日も何もしなかった」って寝るのが怖くて、目に見える形で、自分がその日にこれだけのことができたって確かめるためだけに書いてたんですよね。
現実も見えているけど、それでも痛い思いをしたり恥をかいてでも、行動しないとなにも始まらない。ただやるだけだなって。
ー具体的にはどんなことを書いていたのですか?
本谷:そのときは小説と戯曲を並行して書いていました。小説がのちに単行本化していただけた『ほんたにちゃん』、戯曲のほうが『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』です。形にしないと、という焦燥感だけで書いていたので、もちろん独学です。だけどいざ完成して、せっかくだからと戯曲のほうを同じ演劇学校に行ってた役者志望の子に見せたら、「これ面白い、やろうよ」って言ってくれたんです。その芝居を上演するために生まれたのが、「劇団、本谷有希子」です。
ー書きたいことがあって書いたのではなくて、焦りから書いたものが、のちに読まれているというのが面白いですね。その強い焦りというのは、どこからきていたんですか。
本谷:小さい頃から、自分でも説明ができないほど「特別な人間になりたい」っていう化け物みたいな欲望に取り憑かれていました(笑)。ただ「特別」になれればなんでもよかった、という部分が今振り返ってもものすごく滑稽なのですが……それでも、「何者かになりたい」とか「特別になりたい」という化け物とともに、初期は突っ走りました。
ーすごい。
本谷:だから言ってしまえば、役者でも、小説でも、戯曲でも、はじめはどの手段でもよかったんです。だって文章を書き始めたのだって、ひとりで一番簡単にできそうだというのがはじまりなんだから、そもそも動機が不純です。自分が特別な存在になれるだなんて、もちろん客観的にとてつもない勘違いをしていることも頭の隅ではわかっていました。自分ほどみっともない生き物はいないな、と思ってましたし。だけど、現実も見えているけど、それでも痛い思いをしたり恥をかいてでも、とにかく行動しないとなにも始まらない。ただやるだけだなって。そういうふうにやってきたんです。
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