誰にどれだけ好かれることが「モテ」なのだろう? まわりを見渡すと、モテるけど恋人がいなくて嘆いている人もいるし、モテないけれど一途な恋を楽しんでいる人もいる。どうやら「モテ」と恋愛の幸せはイコールではないようです。
どうせだったら人気者でいたいけれど、たくさんの人よりも、たったひとりの好きな人と結ばれるほうが心が満たされるのかもしれない。じゃあいったいみんなの言う「モテ」ってなんなのでしょう?
She isでは11月の特集「モテってなんだ?」のギフトでお送りするオリジナルプロダクトとして、「抜け目ないスリップドレス」をモデルの武居詩織さんとつくりました。そして、スリップドレスの撮影は『寝起き女子』『脱いでみた。』など、女性のナチュラルでどこか隙のある表情を多く捉えるフォトグラファー花盛友里さんが担当。武居さんは『脱いでみた。』でもモデルとして登場しており、ふたりはお仕事でもご一緒することが多いそう。
それぞれの仕事を通して、そして一女性として多くの人たちと出会ってきたふたりと「モテ」という言葉を分解して考察。ふたりの恋愛観についても体験談も交えながら教えてもらいました。
後編「武居詩織×花盛友里と語らう、愛する人との理想的な関係とモテ期」※She is Members限定記事
年齢を重ねていくにつれて、人によってモテが細分化されているように感じます。(武居)
まず、そもそも「モテ」ってなんなのか? という大きな疑問をぶつけたところ、ふたりは年齢を重ねるにつれて「モテ」は変化していくもの、と話します。
花盛:学生時代、なんかモテる女子っていたよね。学校の中心にいるような子。男子からも女子からも慕われていて……いや、女子からはどうなんだろう(笑)。
武居:たしかに、特に学生時代の「モテる」って、女子から好かれるのとイコールではないですよね。学生時代は男の子ばかり意識している子や、ちょっとぶりっ子気味な子がモテていた気がする。でも年齢を重ねていくにつれて、そういう子ばかりモテるのではなく、人によって細分化されているように感じます。
たしかに遡れば小学校の時は足が速いというだけでモテている子もいたような気がします。「モテ」がそんな単純なポイントから始まるとしたら、どういうふうに人を好きになるプロセスが変化し、モテが細分化していくのでしょう?
武居:思春期やモラトリアム時代に自分自身についていろいろ考えて、それぞれ趣味や嗜好がはっきりしてくるじゃないですか。小学校の時のように、最初はかわいい、かっこいいみたいな見た目や雰囲気だけで人を好きになっていたのが、いろいろな思索をして経験を積むにつれて、自分と趣味が合うとか、一緒にいて楽しいっていうところに重点を置くようになると思うんです。
自分自身について考え、成長していくことで、誰が魅力的に見えるかも変わっていきます。何をもって人を好きになるかが細分化されていく一方で、それでも多くの人からアプローチを受けやすい人がいるのも事実。花盛さんは、撮影を通じてさまざまな人を見ているなかで、「モテにも『隙』で生まれるモテと『愛嬌』で生まれるモテがあるのかもしれない」と気づいたそう。よく言われるように、モテにはある程度の「隙」が必要なのでしょうか?
花盛:胸元ががっつり開いた服を着たりして、「隙つくりまくってんな~!」っていう人、いるじゃないですか。男は寄ってくるし、口説かれるんやろうけど、はたしてそれはモテなのかって思いますよね。一時的にアプローチをされるだけでなく、多くの人に好かれるという意味で「この子モテそうだな」っていう子は、すごく美人というわけではなくても、一緒にいる相手を安心させる包容力が滲み出てるなって思います。
武居:私の周りで一番モテているのは、ノリが良くて明るい子だけど、花盛さんが言っているタイプの人も魅力的ですよね。「この人だったら自のことを一途に思ってくれる」と信じてもらえることができるというか。よく言われる「愛嬌」を極めることがモテに近づくことなのかも。
目があったら微笑む、笑い上戸、リアクションが良い、自然な気遣いができる……ふたりからさまざまな愛嬌の具体例が挙がってきます。「隙」を見せることで発生するモテと、「愛嬌」で発生するモテは、同じ「モテ」でも異なるものなのかもしれません。しかし、ふたりによると「愛嬌」も極端になると良くないそう。
花盛:「若い時は隙を見せてボディタッチしといたらいい」とかよく言われるけど、内面を見て好かれるという意味では、愛嬌のほうが大事だよね。でも、愛嬌も誰にでも振りまきすぎると、好きではない人にも「自分のことを好きなのでは?」と思われてしまうから難しい。愛嬌は好きな人に対して自然に出していくくらいがいいんじゃないかな。
いろんな人から言い寄られていたとしても、そのモテって、単に自分に興味関心が向いている矢印が多いだけ。(武居)
愛嬌を振りまいて多くの人にモテているというのは、誰かひとりに深く必要とされ愛されているというより、ちょっといいな、素敵だなといろんな人に思われている状態。でも、そうした状態が幸せなのだろうか、とふたりは話します。
武居:かわいい、きれい、明るくていいかもって表面上モテはしても、付き合ってから深く知ると実は中身が合わなくて関係が続かないということも多いと思うんです。それに、多くの人にモテてきた人ほど、「もっと自分はいろんな人に愛されるんじゃないか」と考えて、どういう人と一緒にいたいのかがわからないまま、理想ばかり高くなってしまうこともありますよね。
いろんな人から言い寄られていたとしても、そのモテって、単に自分に興味関心が向いている矢印が多いというだけなので、自分のことを深く大切に思ってくれる人がいるかというのはまた別の話。だから、単にモテることが幸せなのではないと思います。
自分に向く矢印が増えることは、一見嬉しいことだからこそ、それだけではないということを忘れがち。武居さんはモテることと幸せが必ずしも直結するわけではないと思う理由を話してくれました。
武居:ただ人気があるという意味でのモテであればいいけれど、多くの人から恋愛の対象になってしまうと、傷つく人が増えていきますよね。「あなたはモテるから嫌だ」って恋人候補から外されてしまうこともあると思うんです。花盛さんは、旦那さんにはモテていてほしいですか?
花盛:うーん、モテのレベルにもよるかな。本当に言い寄られていたらいやです。旦那は「今日もおしゃれですね! いいですね!」とまわりの人から言われるくらいの人でいてほしいかな。旦那自身は「俺、最近モテへんわ」とか言ってるから、モテたいんだろうけど、それはガチで言い寄られたいっていうよりは、ちやほやされたいんだと思う。
「たしかにみんなにちやほや褒められるくらいのモテが一番いい気がする」と武居さん。しかし、花盛さんはその人のステータスにもよる、と言葉を続けます。
花盛:パートナーがいるのであればそれでいいと思う。でも、本当に彼氏ほしいっていう時に人気者で終わってしまうのが一番問題かもしれない。かわいいって思われているのに恋愛には至らない状況って結構辛くない?
武居:そのまま友達ルートに行ってしまうパターンもありますよね。
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