アメリカ・西海岸、とある高校の卒業式前日。パーティや色恋にうつつを抜かす同級生を尻目に高校生活を勉学に捧げ、名門大への合格を勝ち取った親友のエイミーとモリーは、なんと見下していたはずの同級生たちも名門大や有名企業に進むのだということを知る。「勉強以外の楽しみを捨てたなんてバカだった」と感じたモリーはエイミーを説得し、「あいつらの4年を一晩で済ませてやる!」と呼ばれてもいない卒業パーティーに乗り込むことを決意する──。
ドラマシリーズ『The O.C.』や映画『her/世界でひとつの彼女』『ライフ・イットセルフ 未来に続く物語』『リチャード・ジュエル』などへの出演で知られるオリヴィア・ワイルドの初長編監督映画『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』では、2人がパーティ会場に着くまでのドタバタや、ある男子への想いに気づくモリーと、同級生に片想いしているレズビアンのエイミー、ぞれぞれの恋の行方、個性的なクラスメイトたちの意外な一面など、さまざまな要素が一夜の出来事として描かれていきます。爆笑できて、同時に温かい気持ちにもなれる新しい時代のハイスクールムービーとも言えそうな本作。She isではオリヴィア・ワイルド監督に書面でお話しを伺い、「女性の友情」というテーマについてや、新たに監督の道に進んだ自身の思い、本作を通して若い世代やかつて高校生だった人々に伝えたいことなどについて語っていただきました。
女友達というソウルメイトがいることは尊いことで、自分が選んだ、家族とも言える存在。
史上最年少で最高裁判事に指名されることを目指して脇目もふらずに勉強し、生徒会長で卒業生総代も務める負けず嫌いのモリー(ビーニー・フェルドスタイン)と、同じく成績優秀だが品行方正で引っ込み思案なエイミー(ケイトリン・デヴァー)。2人がパーティー会場の場所を探し当てるまでの道中は、冒険映画のような目まぐるしい展開が続きます。ワイルド監督は『ビバリーヒルズ・コップ』や『リーサル・ウェポン』といった作品にインスピレーションを受け、バディものの刑事映画のように、性格の異なる2人が互いを支え合う姿を描きたかったのだそう。そもそも監督はなぜ女性の友情物語を撮ろうと思ったのでしょうか。
ワイルド:この世にある女性同士の友情ってとても深いですよね。人間ってそもそもコミュニティの一員だし、一緒にうまく力を合わせられるよう、互いに面倒を見られるよう、そういう風にできているんじゃいないかと思います。ただ社会では女性同士の友情や忠誠心よりも、女性が男性へ抱く興味心の方が勝るような見え方をしてしまっている気がするんです。
思春期ぐらいからかな、女同士深い友情や忠誠心を持っているのに、そこにロマンスという概念が入ってきて。それから友情に感じていた価値が急に小さくなっていくような見られ方をしているように思います。残念なことですよね。本当は女友達というソウルメイトがいることは尊いことで、自分が選んだ、家族とも言える存在なのですから。
本作ではエイミーとモリーが互いの姿を見るなり「やばい」「こんな美人で良いと思ってるの?」と褒め言葉の応酬をするコミカルな場面が何度か登場します。2人の世界に入って延々と繰り広げられるそのやりとりや、相手に自虐することを許さない姿からは、互いへの無条件の愛や信頼が感じられ、2人がまさに「BFF(Best Friend Forever)」であることが端的にわかります。
ワイルド監督にとって「友情」というのは創作のうえでも重要なテーマになっているようです。
ワイルド:私自身、女友達と通じ合ったり、繋がりを感じて真の絆が生まれた経験を何度かしています。ジェンダーに関係なく、プラトニックな愛情というのは一般的に映画であまり掘り下げられていないので、その大切さが伝わるよう、ストーリーテラーとして今後も描いていきたいです。
ケイトリン・デヴァーとビーニー・フェルドスタインは撮影前に関係性を築くため共同生活をしていたそう
女性たちから恥ずかしいという気持ちを取り除きたかった。
映画の序盤、遊んでばかりいたと思っていた同級生が勉強していなかったわけではなく、「勉強以外も楽しんでいただけ」だったと知ったモリーは、自分たちだって「ガリ勉」なだけでないことを見せつけてやろうと、エイミーにこう叫びます。「私たちは一面的な人間じゃない。私たちは賢くて面白いんだ!」そして2人が卒業式前日に目の当たりにするように、『ブックスマート』に登場する学生たちの多くは一面的でない、複雑なキャラクターとして描かれています。
さらにエイミーとモリーの間では、性的欲望やマスターベーションについてのオープンな会話が自然に行われていることも特筆すべき点です。ここにはワイルド監督から若い女性たちへのメッセージが込められていました。
ワイルド:これに関しては、女性たちから恥ずかしいという気持ちを取り除きたかったというのが大きいです。私たち女性の声として感じてもらい、恥ずかしさや孤独感をなくしてもらいたかった。みんな同じように感じていて、自分もその一部なのだと思ってもらえるようなものにしたかったんです。
また監督は、女性が当たり前に性的欲望を持ち、さまざまな経験をし、それについて会話するような描写のある作品が十分に作られていないという問題意識も持っていました。
ワイルド:若い人たちは特に恥ずかしいという気持ちを持ってしまうことがありますが、それは人生を正直に描く作品がまだまだ足りていないからなんじゃないかと思います。そもそもみんながみんな正直に生きていたら、恥ずかしいなんて気持ちを誰も持たなくなりますよね。みんなが人生や、特に性的なことを複雑な形で経験しているのだと知ったり、温かく腕を広げて歓迎されるような形でそういったことを話せるような環境であったとしたら、って思います。マスターベーションのこと、身体のこと、性的要望について人と話せることができたら、恥ずかしい気持ちはなくなりますよね。
女性がそういうことを口にすると、そんなことは話すべきではないとか悪いことなのだとか言われるのは、若い女性を守りたいからというのもあると思う。でも実際にはそれがかえって私たちが持てるスケールを制限してしまっているのかもしれません。自分のことをもっと知ることができるのにそれをも制限してしまっています。
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