昭和30年、大阪の百貨店で小さな展覧会が開催された。『W・アンダーウェア展』。前代未聞の下着展覧会だ。スキャンティ、ぺペッティ、クロスティ、ココッティ、チャービネーション。やけに耳に残る造語で名づけられた下着たちは、色とりどりのレース、通常よりうんと細い幅のリボンテープ、ラッカーで特別に染め分けられた極小の金具たちによって構成され、透けていて、軽やかで、ソフィスティケートされていた。
このセンセーショナルな展示は数ヶ月前まで新聞社で記者として働いていた一人の女性によって計画された。鴨居羊子さん、当時30歳。それまでの女性下着と言えば白のデシン、防寒にはメリヤスのシャツとシュミーズ、お洒落したければ寒さに震えながら薄絹を纏う。チャーミングな下着は背徳的、心躍るような青春の喜びは嫁に行く日まで取っておく、習慣から逸脱しない範囲で下着を選ぶ……という具合だった。そんな時代に彼女は情緒と機能を持ち合わせた全く新しい下着を世に送り出した。つまり、思考停止する日常に反対し、洗練に対して強いられる不自由に反対し、不必要な媚びに反対したのである。
下着はしばしば「セクシー」という形容詞と結び付けられる。セクシーランジェリー。「セクシー」を辞書で引くと「性的魅力のある」と書かれている。だけど私はずっと、この「セクシー」を性的魅力と結びつけて考えることと同じくらい、分けて考えることもできればいいと思い続けている。だって、これほどまでに自身のあり方との折り合いのつけようを問われる言葉があるだろうか。セクシー! セクシーとは何だろう。
下着を作り始めるずっと前、鴨居羊子さんは自分のために一対のガーターベルトを買った。ピンク色に染められたガーターベルトをつけるとトイレへ行くたびに良い気分になり、レースに縁取られた自分の体を「祝福されたおなか」だと思った。このエピソードは自伝『わたしは驢馬に乗って下着をうりにゆきたい』に書かれている。本の中で彼女は「消費者は私が黙っている限り黙っている。(中略)彼女たちは下着に不自由している。しかし、不自由しているとは自覚していない」と言う。
私は、セクシーとは「何かを暴かれそうなこと」だと思います。習慣の中に、平穏の中に、自分の中に眠っていた何かを暴かれること。そして、どきっとすること。暴かれるものはもちろん性的な欲求であってもいいし、隠していた夢でもいいし、気づかれたくない本音でも、言えなかった悪口でも構わない。とにかく、今まで埋もれていた感覚に気づかされること。昭和30年の大阪で鴨居羊子さんの下着を見た女性たちは賛否に沸いた。ある者は「ああ、私はこういうものが欲しかったのだ」「私は今まで不満だったのだ」という思想を暴かれ、啓蒙された。ある者は「こんなものは絶対に身につけたくない」「私はこういうものが嫌いなのだ」と強く思った。それは未来からもたらされたセクシーな衝撃だったのかもしれない。
参考:鴨居羊子『わたしは驢馬に乗って下着をうりにゆきたい』(筑摩書房)