私には、今年で92歳を迎える祖母がいる。
足腰に加えて、視力、聴力ともに歳相応に弱ってきており、現在は介護施設で車椅子の生活を送っているが、頭の回転だけは未だキレキレという健在ぶりである。
祖母は戦前の生まれであるが、学生時代には音楽学校でバイオリンを専攻していたような、当時から時代のすこし先を行っている女性であった。そんな青春時代を過ごしていたからなのか、祖母からは奔放で自由で明るい未来の女性のオーラが漂っている。
そんな祖母がまだ台所に立って料理をしていた頃。30年くらい前だろうか。祖母は天ぷらをよく揚げた。祖母の揚げる天ぷらは格別に美味しかったのを覚えている。
まだ幼い私が油の周りでチョロチョロしていては危ないと思っていたのだろう。天ぷらを揚げるとき、祖母は決まって台所の引き戸をガラリと閉めながら「いいわよ、と言うまでは絶対に入ってきちゃあダメよ」と言った。
幼い私は、それを聞いていつも昔話の『鶴の恩返し』を思った。もし、もしもほんの出来心でこの扉を開けて中を覗いてしまったら、天ぷらを揚げている祖母はどこかへ飛んで行ってしまうのではないか。そんな気がして、けっして中を覗くことをしなかった。
祖母があまりに未来を生きているような女性だったから、未来に帰ってしまうようで怖かったのかもしれない。
介護施設で車椅子生活を送るようになってからも、祖母はまったく灰色がかっていない、向こうの景色まで透けてしまいそうな白銀のショートヘアに、いつもブラシをかけている。毎日フェイスクリームを首からデコルテまで丁寧に塗る。およそ戦前の生まれとは思えないほど肌に皺やシミがなく、髪の色と相まって真っ白に輝いている。人が訪ねてくると、必ず「ちょっと待っていて頂戴」と言って身だしなみを整え、スカーフを巻き、指輪を付ける。幾つになっても祖母は「女性」である。
そして私たち家族の抱える様々な問題に、いつもずばり核心を突いた意見を堂々と述べる。私たちは祖母の意見のあまりの鋭さに、ギクリとしながら「巫女のようだ」などと半ば冗談で言っている。
私はそんな祖母を、天ぷらを揚げていた頃の幼い記憶と重ねてしまう。本当に祖母は未来からやって来た女性なのかもしれない、と。
このところ体調を崩すことが増え、実家から連絡が来るたびに冷や冷やしてしまう。もしかしたらそう遠くないうちにお別れの時が来てしまうのかもしれない。
でも、私はきっと悲しくなんてならない。未来に帰っていく祖母を追いかけるのだ。奔放に自由に明るく周りを照らしながら、祖母のような女性になれるように全力で追いかけて生きていく。だから私はきっとたくさん泣いてしまうけれど、祖母と別れても悲しくなんてないのだ。