わたしの中で別の人格が創られてこの世に出てきたことを、あれから15年経った今でもとても不思議に思っている。「あなたは誰なの?」という気持ちで今日も娘を見ている。
人には、生まれた時からどうすることもできない「こういう人」という要素と、環境でつくられる「こうなった人」という要素があるのだと思う。
持って生まれたものをその人の「原液」とすると、こどもから大人になる間に関わる人や環境から影響を受けて、すこしずつ変わりながらオリジナルの味ができあがっていく。それは大人になるにつれ複雑な配合になり、時間の経過による熟成や発酵を経て複製不可の味になっていく。
こどもの頃は親や先生などの大人の言うことはすべて正しいと思っていたので、無意識に受け入れて信じていた。だけど、歳を重ねていくと、大人の言うことが正しいかどうかの前に「大人もいろいろいる」ということがわかってくる。自分が正しいと思い込んでいた意見や価値観は、たまたま近くにいたその人の個人的な意見なだけだったことも。
そして、あたり前だけれど、どんな大人もみんなこどもだった。「こども」と「おとな」は区切りのあるものではなく、地続きで、大人になってもなにが正しいかなんてまだわからない。誰もが道の途中なのだ。
それがわかると、近くにいてわたしに影響を与え続けた親の価値観も、絶対的なものではなく「たまたまなんだ」と思えるようになった。それと同時に、こどもが親から受ける影響の大きさに驚いて、自分が娘に与える影響力を思うとすこし怖くもあった。
わたしが長い間、親の価値観をまとって生きてきたこと、それに捕らわれて自分の「原液」を大事にしてこなかったことを省みて、わたしは娘の「原液」を大事にしようと思った。この人はどんな人なんだろう、なにを考えるのだろう、なにが好きでなにが嫌なんだろう。知りたいわたしにこたえるように、彼女は見せてくれた。母と娘はただ「あなたとわたし」だった。
ふりかえってみると、わたしが娘にしてきたことは、「自分を過不足なく捉える」つまり「自分を知る」ことのスパルタ教育だったように思う。人のせいにしないこと、自分で考えること、そして、自分がどうしたいのか自分自身が一番よくわかっているようにすることの。
娘が、これから先たくさんの人に会って世界がひろがっていくときに、世の中にはいろんな人がいるから、相性が悪いことやわかりあえないこともたくさんあるだろう。だけど、自分のことをよく知っていると、自分と相手がちがうことはあたりまえだと自然と理解できて、自分とちがう相手がどんな人なのか知ることができる。わからないことは悪いことではなくて、面白がることができる。自分の考えを大事にできると、相手の考えも大事にすることができる。自分を愛することができると、相手を愛することができる。
母のわたしが娘に大きな影響を与えることは避けられないなら、いっそ影響力を「ギフト」だと考えると、わたしが彼女にいちばん贈りたいのは「自由」だ。
自由に生きることは、全部自分で決めるということで、そのために「自分を知ること」は不可欠だ。そう言い続けるわたしが彼女の中に圧倒的に「いる」ことで、わたしから遠く離れても、わたしがいなくなっても大丈夫になってほしい。いつでも自由でいてほしい。