婚約したというのに、サンフランシスコと東京で離れて二人の新しい関係を始めたのはもう2年前のこと。その生活をリモートライフと称していたことについての執筆の依頼が来ることが度々あった。
ただ、この数ヶ月で状況が変わり、そうしたテーマで話を書くことが難しくなってしまった。私がサンフランシスコに引っ越すことを決めたからだ。
リモートライフはとてもうまくいっていたと思う。
彼はプロポーズした時にこう言った。
「僕たちはそれぞれの居場所で、やりたいことに直面していて、自分の仕事のために相手の人生を捻じ曲げるのは本望じゃない。僕もまだサンフランシスコでやりたい仕事があるし、何よりあなたの魅力の多くはあなたのやる仕事に根ざしている。」
決して「一緒にアメリカに住んで欲しい」とは言わなかった。そのことはとても印象深く、返事を快諾するきっかけになった気がする。
結婚には憧れていたものの、どこでどう生きるかをまだ決めたくない自分もいたし、誰かに合わせて自分の生き方を変えるようなことも嫌だった。「家庭に入る」「嫁ぐ」など、結婚にまつわる言葉は、自分がどこかに所属し直さなければいけないようなイメージを抱かせる。けれども彼の言葉には、自分のままで居られるんだ、という安心感があった。
実際に、私の生活はこれまでとなんら変わらず、山手線に毎日揺られながら東京でデザイナーとして過ごした。
一番大きかった変化は、パートナーという、いつでも相談することの出来る相手が出来たことだった。離れているのは、不安や困ることがあると思う人もいるかもしれない。けれど、今の日本で物理的な危険に晒されることはとても少ない。フィジカル面での困りごと以上に、私たちはよっぽど精神的な不安に脅かされている。
私たちは毎日通勤しながらLINEで通話をしていた。
昨日の出来事、今週の予定、今見ているアニメの話……同居していても、家を出てから会社の前に着くまでずっと喋りっぱなしにするなんてことはそうそうないだろう。時差がある場所で別々に暮らしたことは、私たちの関係にとってとても良い効果をもたらした。会えない距離だからこそ、お互いの情報を伝え合うことにフォーカスすることが出来たのだ。
リモートライフの中で活躍したもののひとつに任天堂の「スプラトゥーン」というオンラインゲームがある。インクを塗り合うアクションシューティングゲームだ。
仕事から帰ってくると、きまって一緒にスプラトゥーンで遊んだ。スプラトゥーンの舞台はハイカラシティ、ハイカラスクエアと呼ばれる街である。それぞれに広場と呼ばれる空間があり、直近に対戦をしたプレイヤーの姿をそこで見つけることが出来る。
ゲーム機のスクリーンキャプチャの機能を使い、お互いの姿を見つけてはツーショットを撮っていたのだが、これは私にとってのデートだ。離れていても私たちは多くの時間を共有した。このキャプチャは私たちが一緒に過ごしていたことを証明してくれるものだった。
最終的に、私のほうが耐えきれなくなってサンフランシスコへ越すことを決めるのだが、今のほうがお互いの考えを伝えることが難しくなってしまったような気がする。横にいることで何かが伝わったような気になって甘えてしまうからだと思う。
ただ、私たちはこの問題自体を語り合うことが出来る。遠距離だった頃と同様に、問題を見つけては解決策を見出そうとするのはデザイナーの私と、夫のエンジニアとしての性質なのかもしれない。
不安定な時代だからこそ、あえて将来の設計図を持たずに、臨機応変に生きていけるようになりたい。直面する問題について、話し合える時間をたくさん持てるパートナーで良かった。
もしかしたら将来お互いに新しくやりたいことが出てきてアメリカ以外で暮らしたり、日本に戻ったりするのかもしれない。でも、きっとどこにいても、私たちは変わらずに過ごすことが出来ると思う。
2018年、離れて暮らすことがもしあったら、ハイカラシティで会いましょう。