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美しい地獄に住まう、ひとりぼっちの女たち/UMMMI.

すべてを肯定して、絶望の世界を一緒に潜り抜けよう

2017年12月 特集:だれと生きる?
テキスト・写真:UMMMI.編集:野村由芽
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恋人がいるのも、恋人がいないのも、どっちも地獄みたい。だけど、恋人がいなかったあの時期を思い出すと、火の煮えたぎった火山を冷静に上から眺めているような、すべての音量がかつてよりも小さく聞こえるような、そんなさらりとした心持ちになってしまう。でも恋人がいたって、いいことなんてほとんどない。ともに生活をしたり一緒に生きていく見えない未来を考えると、幸福なことばかりではなく、ときおり幸福で、そしてときおり幸福からもっとも遠いところまで突き落とされることもある。ひとりでいる時よりもさらに、こんな悲しいことがあるのかと発見させられるくらい残酷なこともある。それでもやっぱり、恋人がいるのは超クソ最高。愛しているひとに愛していると幾度も幾度もしつこくしつこく言い続けられる資格があるという事実はいつだって嬉しい。どんなにひどい気持ちにさせられても、たとえ向こうが背を向けて眠っていたとしても、滑り込んだベッドが暖かくて、毛布のなかに頭まで潜ると、湿った静かな息遣いがひそやかに聞こえてくるのは嬉しい。でも、それでも幸福なことはめったにない。ほとんど地獄だ。そしてもう死んでるのに、また死にたいと願う。もっともっと、時ばかりを過ごしてしまったいつも通りの愛しているひとと、美しい地獄に一緒に潜り込んでみたくて。

だから、恋人と離れて秋の終わりにひとりで2週間ロンドンに行っていた時は、寂しくて、ひとりぼっちで生きていた何年か前を思い出した。ひとりで眠るのがあまりにも久しぶりだったから、朝起きてぬくもりを探して、まだ朦朧とした意識のなか目をあけると、横にあるのは自分の血の通った指先だけで、すごくさみしい気持ちになった。そして、このさみしい気持ちを埋めるために、ロンドンでは映画を観まくった。恋人も、愛しているひとすらいなかった、あの「完全に」ひとりぼっちだった頃、毎年何百本と映画を観て時を過ごしていたことをなんとなく思い出す。

その中で観た、ピーター・マッキー・バーンズ『Daphne』は、ひとりぼっちの寂しさに喰らっている時に観る映画としては、最低で最高のチョイスだった。ダフィネという、30歳ちょっと過ぎのカフェで働くシングルの女についての物語。彼女が色んな男と定まらない関係を持ちつつ、何度か関係を持った好きな人には振り向いてもらえず、ときおり信じられないくらい酩酊してバーから追い出されたり、真夜中にひとりで喚きながらオイルたっぷりのフライドチキンを食い散らして、それでもなんとなく生活している、というラブコメのようなすごくポップな映画だ。これをアタシはひとりぼっちの時に、知らない土地で観てしまった。そのせいか、自分の送っている生活とはまったく異なっているくせに、なんともなしに自分と重ねてしまわずにはいられない。これは、アタシ自身の「あったかもしれない人生」あるいは「これから起こってしまうかもしれない人生」なのかもしれない、と。

ダフィネは、自分が他の人となんとなく違っていると感じていて、母親にはカウンセラーの元へ通えと言われている。でも、本人は通うほどではないと思って母親に反抗している。例えば彼女は、哲学なんてまったく興味ない好きな人にスラヴォイ・ジジェクの話を熱弁して思いきり場をしらけさせたり、バイトの休憩中に階段の一番上から石を地面に落として嬉しそうに微笑んだりしている女の子なのだ。「何歳?」と聞かれて、「20……あ、もう30代なんだった」と思わず口走っちゃうような、そんな女の子なのだ。クラブでハイになっている時に出会った知らない男とセックスをしたあと、頭痛のする頭を抱えて使い終わったコンドームを寝ている男の口に落とそうといたずらをしたり、休みの日に昼間からバーで飲んで、隣に座っていたハゲのおっさんと無意味にセックスをしてみたかと思えば帰りにそいつから宗教の勧誘にあったり、真面目でいい奴そうな気になる男の子に一回目のデートで自分からベッドに誘ったら断られたり、とか、とにかく散々なのだ。くだらないドラマの連続の日常で、本人もわけわかんなくなっていて、気持ちのやり場もない。もしこれが自分だったらどうしよう、とぞっとしてしまうような、なんならこれはいっそホラー映画なのである。だけれども、やっぱりこの映画のことを考えずにはいられない。なぜなら、「愛を探してひとりぼっちで生活すること」と、「予期せぬくだらないドラマの連続」は、おそらく紙一重だからである。

この『Daphne』を観たあと、日本に帰国してすぐに、クレール・ドゥニの『レット・ザ・サンシャイン・イン』を観た。まるで自分の人生が、ひとりぼっちのモードで覆われてしまうかと思った。この映画も、愛を探して色んな男を渡り歩く、ひとりぼっちの女についての物語なのだ。しかも今度は30歳ではなく、50歳の女についての物語なのである。シングルマザーで、画家として仕事では成功している聡明なイザベルの、ひたすら愛を求めて肉体をさまよい続ける姿を見ていると、ひとりぼっちは30歳になっても50歳になっても続くのか! と思わずこの先の人生を生きていく気力がそがれていくような、そんな心地がしてしまう。やっと気になるまともな男が現れたと思って自分からベッドに誘うと、翌日には展開が早すぎるからもう会えないと言われてしまうイザベル。文化的な男たちを渡り歩くなかで、地方の寂れたクラブで出会った文化なんて興味のない男と息があって生活を始めるも、結局激しいケンカ別れをしてしまうイザベル。50歳の彼女がことあるごとに、真っ白な太陽のあたる素敵な家に帰ってきては、ピタピタのロングブーツを涙目になりながら必死に脱ぐ姿が悲しくも、美しい。映画のラストで、イザベルが占い師に愛について真剣に相談をするちょっと面白いあのシーンは、先述したダフィネが、カウンセラーのもとに真面目に通うようになって自分を変えようとしてゆくラストの姿となんとなく重なってしまう。

きっとあらゆる人間の肉体には魔法が宿っているから、たくさんの男たちの身体を通り抜けると、どっと疲れてしまうのかもしれない。アタシたちには助けや救いが必要なのだ。労働やアートなんて、救いでもなんでもないということを、この二つの映画が悲しくも証明している。愛によってのみきっと救われるのだと信じている、最低で美しい地獄に住むひとりぼっちの女の子たち、あるいはそんな女の子を見ていると「あったかもしれない人生」あるいは「これから起こってしまうかもしれない人生」なのかもしれないと思ってしまう女の子たち、または、逃げたほうがいいことが明白な美しい地獄にはまってしまっている恋人のいる喜びと悲しみの女の子たち、この世に正義なんてない、すべてを肯定して、絶望の世界を一緒に潜り抜けよう。

PROFILE

UMMMI.
UMMMI.

アーティスト / 映像作家。愛、ジェンダー、個人史と社会を主なテーマに、フィクションとノンフィクションを混ぜて作品制作をしている。過去に現代芸術振興財団CAF賞 美術手帖編集長 岩渕貞哉賞受賞(2016年)、イメージフォーラムフェスティバルヤングパースペクティブ入選(2016年)、MEC AWARD2016 佳作(2016年)など。

INFORMATION

イベント情報
『1993』展

2018年1月5日(金)〜1月12日(水)11:00〜21:00
※1月8日は11:00〜20:00
1月12日(金)〜1月17日(水)11:00〜21:00
※1月17日は11:00〜18:00
料金:500円
1993年生まれのクリエイター30名がつくる-1993展

『東京藝術大学卒業制作展』

2018年1月28日(日)〜2月3日(土)9:30〜17:30
※最終日は12:30まで
場所:東京都 東京藝術大学、東京都美術館
東京藝術大学卒業制作展

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