自己評価の低い私は、いつか自分をほめてあげることが夢だった。
大学受験はしんどかったが、現役で私立の医大に合格した。現役合格は、比率でいうと3割程度。いくばくかの自信を胸に入学した大学で、クラスメイトと他愛のない会話をしていたとき、髪の毛をトゲトゲに盛った男の子に「ブスは黙ってろ(笑)」といじられた。
何気なく歩いていたら急に冷水を顔面にぶつけられたような衝撃だった。そしてその衝撃で自意識が180度きれいに回転してしまった。私は愛の溢れる家庭に生まれ、地頭もさほど悪くなく、すてきな友人にも恵まれて何不自由なく育ったが、誇張ではなく、この日から自分は存在価値がないものとして認識するようになった。
何がいけないんだろう、と鏡の前で考える。恐ろしいことに、私は自分の顔のどのあたりをどうすれば「ブス」じゃなくなるのかよくわからなかった。さすがに、元から自分の顔に自信があったわけではないが、一つ一つのパーツを見たときに具体的にめちゃくちゃ足を引っ張っているパーツがあるかどうかと問われれば、そうでもないように思えたのだ。
それでも、現実問題、私はやっぱり「ブス」だったようだ。合コンの翌日には友人の携帯だけが鳴ったし、いわゆるナンパなどはされた経験がない。さらに誤解を恐れず言うならば、痴漢されたことがないという実績すらもはやコンプレックスという域だ。
ある意味洗脳に近かったのかもしれない。根底に「ブスに発言権はない」という価値観が根付き、発言の際には「私なんかが言うのもおこがましいんだけれど」と前置きする習慣がついた。
そんな私が唯一本音を語ることができたのは、電脳空間——つまり、このだだっ広いインターネットの波間においてのみだった。私は0と1で構成されるこの世界で平面的な自分を作り出し、トビウオのようにテキストを打ち続けた。
自分には何もないと思っていたが、どういうわけか書くことは苦にならない。なりゆきでWebライターという仕事に適性を見出してからは、会社勤めもフリーランスも経験し、いろいろな現場へ出かけた。各界で活躍するパイオニアの話を聞いたり、さまざまなブランドのSNSを運用したりした。
私の文章を好きだと言ってくれる人が現れた。私に記名記事を発注したいと言ってくれる人も現れた。それでも、そういった身にあまる光栄をもたらしてくれる人々の後ろにいつだって、かの日のトゲトゲ頭の影がよぎる。
私は一生、インターネットの世界から出るつもりはない。特定の角度だけ切り取った自撮りをアバターにして、液晶に浮かび上がる「フォント」を依り代に話す。最終的には、もはやデータになりたい。自律的にテキスト情報を吐き出す、概念的な存在がいい。そうなったとしても、私は、他のどこにいるよりも自由でいられるのだ。
それでもいつか。いつか、あのとき置き去りにされた私の心を迎えにきて、言ってくれないだろうかと、心の隅で思っている。「ごめんな」って。LINEの一行でもいい。Twitterのリプでもいい。私が完全にデータになる前に、その一言を届けてくれ。