生まれてから今に至るまで、わたしは愛されてきた。
美しいわけでもスタイルがいいわけでもない平凡な容姿、それなりに勉強はできたが最終学歴は地元でしか名の知れてない私立大学、50m走のタイムは11秒、絵は描けないし歌も歌えない、カリスマ性だって当然持ち合わせていない。
人より秀でている部分といえば、よく通る声と有り余る体力ぐらいで、別に愛される要因になるものでもない。
それでもわたしは、きちんと周りの人たちに愛されてきた。
実家の押入れには、わたしの幼少期の頃のアルバムが今でもきれいにしまわれている。
どのページを開いても小さい頃のわたしは大きく笑っていて、ずいぶん大きくなったわたしは見るたびに小さく笑ってしまう。
ごめんなさいとありがとう、人と会ったら挨拶をする、玄関では靴を揃える、箸の正しい持ち方、掃除、洗濯、料理、1人で生きていくスキルを叩き込まれ、「金がない」「我が家は貧乏だ」と文句を言われながらも充分な教育を受けさせてもらった。
親に愛されていない、と思ったことは一度もない。
登校中に偶然会った友人とそのまま学校をさぼり綺麗とは言えない海に向かって大声で歌ったこと、友人と屋根にのぼって「なんでこんなに寒いんだ!」と文句を言いながら星を見たこと、それぞれの物語の登場人物全員の恋を応援したこと、わたしの中にはそういうやさしい思い出たちがたくさんある。
わたしたちは喜びや楽しみを共有し、悲しみや怒りを少しだけ見せ合い、心地よい距離のままそれぞれ大人になった。
たったひとつのエピソードで、10年以上変わらずに笑い続けている。
友人たちに愛されていない、と思ったことも一度もない。
もちろん、万人に愛されてきたわけではない。
親の仇だと言わんばかりに嫌われたこともある、まるで空気のように存在を無視され続けたこともある、「ブスのくせに調子に乗ってんじゃねぇ」と言われたこともある、4年半付き合った男性に振られたこともある、好きな男性に何十回と告白して「ほんとうに無理だから……もう勘弁してよ……」と拒絶されたこともある。
それでも、家に帰ればおいしいごはんとあったかいお風呂と清潔な布団があって、「1人の人間と真剣に向き合い続けたあなたを心から尊敬する」「あなたは絶対に幸せになれるから心配するな」と言ってくれる人たちがいた。
愛する人に愛されて、愛してくれる人を愛して、ただそれだけ。
わたしにとって愛とはわたしの世界に当たり前にあるもので、難しいなんてことは全くなく単純明快で、目の前から姿を消して見えなくなっても後ろから肩を叩いてくれるものだった。
夫との関係は、最初からスピード感に長けていた。
果てしない海をめいめいに泳いでいるときにわたしたちは出会い、1ヶ月間文章と声だけの交流をしたのち、全く知らない土地で「はじめまして」「ほんとうにはじめましてだね」という会話から2時間で交際がスタートした。
そこから遠距離恋愛が始まったのだが、二、三度しか会っていないにも関わらず「就職どうするの」「結婚してくれるならそっちで就職してもいいよ」「じゃあ結婚するからおいでよ」「オッケー」というたった数秒の会話で、生まれ育った北海道を離れ全く知らない土地への移住を決意した。
「そんなすぐ信用して大丈夫なの?」「もしうまくいかなかったらどうするの?」と心配する声がなかったわけではないが、なんてことはない。
もしも愛されなくなってしまったのなら、もしも愛せなくなってしまったのなら、わたしの愛するわたしを愛してくれてる人たちのもとへ帰ればいいだけ、そう思っていた。
それから2年ほど経ち、「そういえばわたしプロポーズされてないけど」「結婚しよ」「オッケー」というたった2秒のプロポーズから夫婦となった今でも、その考えは変わっていない。
ありがたいことに、もしも愛されなくなってしまったのなら、もしも愛せなくなってしまったのなら、そんな“もしも”は今のところ杞憂に終わっている。
夫は、美しいわけでもスタイルがいいわけでもない平凡な容姿のわたしを「健康的でかわいいね」と言い、ばっちり化粧をしてお気に入りのワンピースを着ているわたしを「都会の女性みたいで素敵だ」と言い、まるで筋弛緩剤を打たれた野生動物のような寝姿のわたしを「笑っちゃうぐらいひどいブスだけど愛おしいよ」と言う。
わたしが夫のために何かをすれば「ありがとう」と喜び、夫がわたしのためにしてくれたことに対し「ありがとう」と言えば「君はなんてお礼の言い方が上手なんだ!」と感激する、愛に愛で返されるのだ。
わたしを愛してくれた両親を「お義父さん、お義母さん、こんなにいい子に育ててくれてありがとう」と愛し、わたしを愛してくれた友人たちを「君はほんとうに素晴らしい友人に恵まれているね」と愛する。
夫のわたしへの愛は、目に見えて、耳に聞こえて、広くて、深くて、とてもわかりやすいもので、わたしが愛するものを愛してくれる。
ずっとずっとなんの変哲もない。
ひとつの悲しみもない穏やかな暮らし。
平和すぎてドラマチックのかけらもない。
ただ、必ず愛がある。
そんな生活の中でもわたしは「負けてたまるか」と心の中でこっそり闘志を燃やしている。
世界に愛があることを知り、時に愛されずとも決して絶望せず、変わらず愛し愛されてきたこのわたしが愛で負けてたまるか。
夫がわたしを愛し続ける限り、わたしだって夫を愛し続けてやるからな、覚悟しておけよ。