私は恵まれている。生まれてこのかた、ずっと。
両親にとっての第一子、両祖父母にとっての初孫として誕生し、生まれた瞬間から親戚中に可愛がられた。ピアノ、バレエ、英会話……女の子の習いごとは一通りやったし、発表会ではいつもセンターに立っていた。お遊戯会でも学芸会でも文化祭でも、いつも劇のヒロインをやっていた。保育園から大学まで、先生たちはたくさんひいきしてくれた。
もちろん辛いことや苦しいことも色々あったけど、総じて、私の人生は恵まれている。散々可愛がられて、愛されて育った。
それなのに、私は愛情表現が下手くそだ。好きな人に、嫌いと言ってしまう。友達が泣いている時、何て声をかけたらいいか分からない。親にちゃんとありがとうが言えない。心から面白くても、苦笑いをしてしまう。泣きたい時に泣けない。
こんな自分もうやだ! 素直になりたい! 変わりたい! と本気で思い始めたのは20歳を超えてからだ。第二次思春期の始まりである。
色々なことをした。環境を変える、尊敬する大人と話す、部屋を片付ける、本を読む、ヨガを始める……少しでも「変われるかもしれない」と思ったことはすぐにやった。もう、10代じゃないから、本気で時間とお金をかけないと変われない。変わるには、今がギリギリ最後のチャンスだと思った。
それでも、人はそう簡単には変われない。セーラームーンやどれみちゃんみたいに、器用に変身できない。一歩進んだかと思えば二歩下がる。
もう、どうしたらいいんだ……と途方に暮れていた頃に、保育園の同窓会があった。園長先生と、幼馴染のみんなと、その両親たちに囲まれて。昔のことやこれからのことを語り合ううちに、ある思いに駆られた。
「私はなんて恵まれているんだ……」
自分がどんな星に生まれついたのか、この時になってやっと分かった。こんなこと、きっと同世代のみんなはとっくに通過しているのだと思う。私はずいぶん時間をかけてしまった。
今まで、恵まれている自分を認めることが怖かった。だって人は不幸が好きだから。映画の世界なんて特にそうだ。不幸話は賞賛される。だから私も、人生における不幸ばかりを大切に大切に守ってきた。
しかし、気づいてしまった。私はとても恵まれている。愛されている。それの何が悪いのだ。せっかく恵まれた星に生まれたのなら、正々堂々と幸せを掴みにいけば良いじゃないか。女優として監督として一人の女として、恵まれているなりの戦い方がきっとある。
恵まれている自分を認め、愛してくれる人たちを認めることで、雁字がらめになっていた心がふっと軽くなった。自分の人生も、大切な周りの人たちも、愛おしくてたまらないと思えた。私に必要だったのは、変わることではなく、認めることだった。
私は恵まれている。生まれてこのかた、ずっと。この星に生まれて本当に良かった。みんなのことが大好き。