甘いお菓子を二人で食べにいく。私が一番どきどきするデートのやり方だ。
ものを食べる行為は肉体の交わりに似ている、としばしば冗談交じりに言われることがあるけれど、私は食事をともにすることを、ともにベッドに入るのと同じ濃度で愛している。それはもう、むらむらするくらい真剣に。
お休みの日でもいつでもいい、ただ素敵な甘いものを食べるためだけに外に出かける。ケーキやパイやタルト。ゼラチンで固めた何か。その楽しさは、朝や昼や夜のご飯を食べるのとはまた違う。かき混ぜられ、こねくり回され、彩られ、これ以上なく愛らしく仕立てられた命を食べる。甘いものはじーんと舌に染み入って、私たちをうっとりさせる。
白いクロスの引かれたテーブルに向かい合わせで座る。ちょっと背伸びをしたお店で、密かにどぎまぎしたりして、そういうときは相手も同じくらいどぎまぎしていると嬉しい。メニューを開いて何を頼もうか相談する。食べたいもので悩んでいるところを見せるのはなんだか照れる。あんまり高そうなやつを選ぶのはためらわれて、しかし相手がはにかみながら「高いの頼んでいい……?」と訊ねてきたりすると、愛おしさに胸が締めつけられてしまう。
自分が食べたいものを選んでいたはずなのに、いつのまにか「これ、この人は好きかなぁ」と相手の食べたそうなものを探している。向こうもなんとなく、こちらが好きそうなものを窺っているのを感じる。華やかなメニューを挟んでの駆け引き。食べる前からじりじりした気持ちになる。
好きになった人の前で食事をするのは恥ずかしい。ものを食べるときの作法は人それぞれ微妙に異なっていて、その違いを肌で感じることに緊張をおぼえてしまう。ちょっとした所作に意識がにじみ出る。好きなものは最初と最後、どちらに食べる? 食器の扱い方、口元のようす。自分のやり方はみっともないと思われていないだろうか。私とあなたは食べ方が違う。好きなものだって違う。だけど今、こうして同じ食卓についている。恥ずかしいけれど、そこでしか見られない互いのちょっとした癖や欲望を、こっそりと、ささめくように明らかにし合うことには、どこか淫靡な雰囲気が漂う。
そして私が何より嬉しいのは、「食べてみる?」と差し出されるお菓子の一口だ。たとえば苺のショートケーキなら、黄色いスポンジと生クリーム、てっぺんに乗った丸ごとを半分に割った苺。記念日だったら薄いチョコレートのプレート。懸命にパーツを集めて作ってくれた一口サイズのミニチュアが、フォークの上で崩れそうに震えている。
どうして一番おいしいところを、惜しげもなく人に与えてしまうのだろう。だけど自分だってそうしてしまう。一人ならば自分の欲求を思うさま満たすことができるのに、二人になるとなぜか相手の欲求を優先しようとする。不思議だ。分け与えた一口においしいと目を細められると、自分だって食べたいのにもっと与えたくなる。私のよろこびとあなたのよろこびの区別がつかなくなっていく。
「食べること」のエロスは、焦れったくて恥ずかしくて後ろめたくて、だけど曖昧でなごやかだ。私とあなたとの境目を何度も何度もいろんなところからなぞって、なのにふとした瞬間、その境目が溶けてなくなっていることに気づかされる。それは体どうしを結びつけるあの快感と似ているけれど、きっと似ていること自体に価値があるのではない。
体を重ねること。言葉を交わすこと。食事をともにすること。心を通じ合わせること。世の中にはぼんやりとして密なつながりがいくらでもある。そのすべてがほのかなエロスを帯び、私たちを悩ませ、恥じらわせ、ためらわせ、そしてきっと幸福にさせるだろう。