生活はあまりにも自由だ。
私は、「無駄づくり」という頭に浮かんだ無駄なものを作ることを仕事にしている。無駄なものを作る代わりにお金をもらっているのだ。資本主義を揺るがしている。
代表作は「ツイッターでバーベキューと呟かれると藁人形に五寸釘が打ち付けられるマシーン」や「インスタ映えを台無しにするマシーン」などだ。こういう活動をかれこれ5年ほど続けて、作ったものは200個にものぼる。ヤバイ人生だ。
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たまに「好きなことを仕事にできていいね」と言われるのだが、なりたい自分になれているわけではない。憧れているものになれなかった諦めが今の自分を作っているかもしれない。
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本当は、なりたい自分があった。明るくて、みんなと仲良くなれて、自分のドジを笑いに変えられて。誰よりも強くて、最強で。可愛くて、色っぽくて、三代目 J Soul Brothersと並んでも違和感がない存在になりたかった。
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本当は、はてなブログじゃなくてデコログかクルーズで日記を書きたかった。酵素ダイエットもやりたい。渋谷でプリクラ撮りたい。休日は彼氏の車で湘南乃風を聴きながら水族館に向かいたい。UFOキャッチャーで取ったぬいぐるみをベッドに並べたい。
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この気持ちは、物心ついたときからあったと思う。小学校のときはクラスで少し目立つタイプだったが、中学生のときに『涼宮ハルヒの憂鬱』を見て衝撃を受けて以来、いわゆる「隠キャ」というやつになった。ギャルは怖かった。ギャルが笑っていると私の挙動で笑われているような気がしてドキドキしていた。そこからギャルを避けるようにして人生を歩んだ。ギャルを嫌うことで、自分がギャルになれない思いを消そうとしていた。
大人になった今、その気持ちにやっと気づいた。やっぱり私はギャルになりたかった。
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生活はあまりにも自由だ。
「じゃあギャルになんなよ」って、心の中のギャルが私に囁くけれど(私はギャルになりたすぎて心の中にギャルが住んでいる)、そう簡単にいかないのが大人なのですよ。
25年ほど生活をやっているけれど、その中でできた自分の「キャラ」やそれに付随する人間関係に縛られているのだ。
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私がいきなりギャルになったら、みんなどういう反応をするのだろうか。「ツイッターでバーベキューと呟かれたら藁人形に五寸釘が打ち付けられるマシーン」を作っている根暗な人が、急にギャルになって河原でバーベキューしている動画をインスタのストーリーに上げ始めたら、みんなどう思うのだろう……。
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多分、ばかにしてくるだろうな。「ギャルメイク似合わなすぎワロタwww」とか言われるに違いない。それが、私が今まで積み上げたキャラなのだ。
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というか、もしギャルになれたとしても、河原でバーベキューに行く友達はできるのだろうか。もし友達ができたとしても、河原でバーベキューに行く人たちと話は合うのだろうか……。
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不安はたくさんあるけれど、とりあえずギャルになるしかないんじゃないか。1日だけギャルになっても逮捕されるわけじゃない。
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「成人式のときと同じ顔だ……」
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これが私の成人式のときの顔。
私は人に化粧をされると「人に化粧をされた人」になってしまう。ギャルメイク体験というサービスが渋谷であったけれど、どうせだったら自分の手でギャルになろうと思い、ドンキでカラコンやらつけまつげやらアイシャドウを購入した。
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ギャルメイクをしたらギャルになれるはずだと思っていたけれど、そんな簡単なものじゃなかった。上の写真を見てほしい。足の感じが芋くさい。
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ギャルメイクをしたところで、人混みで歩きスマホの人にぶつかられて「す、すみません」と謎謝罪をする癖は治らない。
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ただ、なんか楽しい。「別人になった」というほどではないけれど、街を歩いてガラスに映る自分を見るとニヤける。はたから見たら気持ちが悪いですけど……。
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不安がっていた「どう思われるか問題」だが、会った友人たちがすごく褒めてくれた。お世辞でも嬉しい。「似合う」とか「今日良い感じじゃん」って言葉をかけてくれた。私の生活を縛っていたのは私だったのかもしれないな。
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ギャルである自分を見られて嬉しかった。普段はあまりしない自撮りも捗る。
とは言え、ギャルになれない自分も好きだ。今から湘南乃風をかけながらのドライブを楽しめるようにはなれなさそうだし、静かに石野真子を聴きながら電子工作でもしてよう。これからもバーベキューに行く人たちを妬んで生きていこう。そしてまた、気が向いたらまたギャルになってみようと思う。