写真と女の子に生かされている。
高校の頃から女の子ばかり、撮っている。きっかけは高校入学して最初に席がとなりだった女の子を撮りはじめたことだった。女の子の写真を撮って生きたいから「少女写真家」と名乗っている。
ある意味、私はおんなともだちばかり撮っているのかもしれない。
そんなうちの一人、竹内ももこちゃんについてのお話です。
もう4年くらい前のこと。Twitterで撮影のモデル募集を初めてしてみた。それに応募してくれた子の中に竹内ももこちゃんがいた。面接の時間を決めるメールのやりとりで「夜行バスで行くので朝がいいです!」と来て、一体どこから来るのかと思ったら、なんと京都の田舎からだった。東京での撮影なのに、まさか地方から来てくれる子がいるとは思ってなかったので驚いた。そして、応募のときに送ってくれた写真では全く写せてない輝きと魅力を纏った女の子が真っ赤な春コートを着て現れたので、また驚いた。真っ赤な服を着た女の子を桜と一緒に撮った。
(その撮影で話してる中で愛称が“れおちゃん”になり、今も“れおちゃん”と呼んでいるので、ここでもれおちゃんと書きます。)
初めて撮影したときの写真
最初に撮ってから1か月あまりで、れおちゃんは私の撮影をきっかけに俳優・モデルを目指すことを決めて上京することになった。それからいろいろあって今は一緒のシェアハウスに住んでいて、女の子4人暮らし3年目に突入している。
れおちゃんは今、事務所に所属して俳優業やモデル業を頑張っている。
れおちゃんとお父さん、お母さん。彼女の実家はフランス料理屋を営んでいる
れおちゃんは、太陽の子。一緒にいると日向ぼっこしているように心が晴れる。
私とれおちゃんは友達というより、家族っぽい。れおちゃんは私のことをいつも「東京の母なんや!」って人に話す。私もれおちゃんが一喜一憂しているのを親のように見守ってしまっている。友達みたいな親子ってどんなやねん、って思ってたけど多分こんな感じなんだろう。しっかりれおちゃんの関西弁がうつるくらいには一緒にいる。
4年間ずっと一緒にいたわけではない。一時期、連絡がとれない頃もあった。私がれおちゃんを肯定できない頃もあった。本当にいろんなことがありながらも今、一緒にいる。
れおちゃんと一緒にいると幸福度が高い。すごいことだと思う。たくさん、笑ってしまう。
れおちゃんはご飯を作るのがとても好きで、とても上手。彼女の料理は世界で一番美味しいと思っている。今年の誕生日祝いも手料理をたくさん作ってくれた。
私はれおちゃんに出会うまでご飯を食べる喜びをあまり感じられないタイプだったけれど、あったかくて美味しいご飯を家で食べることを喜べるようになった。
写真を撮りに旅行に行ったり、映画を観たり、喫茶店に行ったり、ご飯食べに行ったり、パン屋を巡ったり、買い物したり、隙あらば自然と一緒に楽しいことをしていて、たくさん笑っている。悲しいこととか仕事がしんどいこととかもいつも話を聞いてくれるし、れおちゃんの話もたくさん聞いて、一緒に笑ったり、れおちゃんが喜び泣きしてるのをまた笑ったりしてる。
私が女の子に対して持つ感情というのは、普通のおんなともだち同士の友情よりも温度が高く、愛情に近い。それを直接的に与えてしまうと関係が壊れてしまうのではないかという恐れを高校のときに感じていて、その愛情の温度をフィルムに注ぐことにして、ちょうどよくなった。写真を撮る、という関係でいることが私にとっても相手にとっても一番よく、「普通のおんなともだち」はほとんどいないけれど、写真を撮っていくなかで「普通のおんなともだち」以上の何かを感じるようになった女の子は何人かいる。
私は23歳くらいまで、辛いことが多すぎて心が鈍く壊れていた。
女の子を撮ることでひとかけらの希望を繋げて、なんとか生きていた。
そんななかで、とびきり愛らしいのに、自分にいまいち自信を持てないれおちゃんに出会って、お互いを承認しあって尊重しあって、でも依存せずに家族のようになれた。幸福をたくさん一緒に感じてこれた。
私とれおちゃんを「女友達」と形容するのには違和感があって、「家族」というのは感覚的な形容としては近いけど、血は通っていない。やっぱり私とれおちゃんは私とれおちゃんで、その関係性には別に名前がなくていいと思う。「恋人」「友達」「家族」「親子」「夫婦」とか、いろんな関係性の名称があるけれど、でも全ては私とあなた、個人と個人、ひとりとひとり、だ。お互いを尊重しあえる素敵な関係は関係性の名称を超えていく。そういう相手が一人でもいたら、幸せで美しいことだ。
れおちゃんとの記憶を浮かべると美味しいものと美しい景色ばかりで。
出会えた私は幸せ者だ。
いつか今のように一緒にいれなくても、この時間があったことは永遠に変わらない記憶で。
その幸福が私を一生支えてくれる確信がある。
ひたすらここまで書いてみて惚気のようなラブレターのようなものになってしまったけど、れおちゃんに会うまで、私はあまり幸せではなかった。自分のこともずっと肯定できずにいた。孤独だった。今も独りだけど、自分を肯定できている、安心して独りだ。
苦しみの色も喜びの色も知れて、豊かだと思えるようになった。
今年放送された東日本大震災を見つめ直すNHKのドキュメンタリーのプロジェクト「#311246 大切なものは何ですか?」に参加して、地震が起きた3月11日午後2時46分にアプリで動画を撮って投稿したときもれおちゃんといた。
撮りながら、
私は「今、幸せですか?」と聞いた。
れおちゃんは満面の笑みで「幸せ!」と応えた。
私たち、自由で幸福な本当のおんなともだちでいようね。