旅は、身体をもってどこか遠くへ行くというより、心を飛ばしてどこか遠くへ行くものなのかもしれません。
頭が良くて運動部で生徒会に入っていて、いざこざとは縁遠い仲良しの友達グループがいて。中学を卒業するまで、端から見ても順風満帆な人生を私は送っていました(もっとも、当時は端からどう見えるか気にしたこともないくらいに満ち足りていたけど)。
大きな木に囲まれた急で短い坂の上に建つ、薄ピンク色の四角い建物。そこが私の高校でした。揺るがない幸せの雰囲気が崩れだした高校1年の夏。あの坂の上に酸素があることを忘れてしまって、私は学校を少しずつ休みがちになりました。それからしばらく経って体育祭を終えた9月の終わりには、学校にめっきり行かなくなりました。
校内はいつも整然としていて、そこに私の入る余地はただの1ミリも無いようで、その年の冬、学校を辞めるとうとうその日まで、各階や棟の景色の違いを見つけられませんでした。そういえば、薄ピンク色の校舎を見て趣味が悪いなと思った入試の日から、あのピンク色には一度も慣れなかったな。
ピンク色の校舎の中で私は心ここにあらずで、いつも違う場所や時間に心を飛ばして(逃がして)いました。昨日のお昼過ぎにBSで見たスイスへ向かう豪華客船とか、家から車で2時間半ほど行った所にある祖父母の住む小さな集落とか、1度だけ全員揃った家族旅行の行き先にあった岩のいっぱいある海岸とか、そこにいる間の私は、さらさらスカートを揺らす風も白い太陽もリアルで、全身で、身体の表面から心の奥底まで感じていました。
その空間の空気のほうが、勉強やマウンティングだらけの空間よりも大切なように思えました。そして少しバカにしていたのだと思います。3年後の大学受験に向けて毎日血反吐を吐きながら勉強を続ける「こと」にも「みんな」にも嫌気がさして、自分もそうだと言われたくなかった。あと少しの飽き、その両方です。
学校を辞めるときには、親からすれば突然、私としては満を持して、取り寄せた留学資料を出してプレゼンしました。その時期の私は寝ても覚めても留学のことを考えていて、それ以外の未来が想像できなかった。遠い知らない土地に、既に私の心だけは旅に出ていたのかもしれません。
そして今の私は、日本の地方都市の方が栄えているくらいののどかな、一応ニュージーランド最大の都市、オークランドにいます。ここへ来てもう1年半が経ちます。心を飛ばしていた場所に身体も持ってきてから、ずいぶん酸素が吸いやすくなりました。ここはもう旅の地ではないのかもしれません。
家族も友達も恋しいです。大切な人たちのことを考えたり、未だ行ったことのない他の地を思い浮かべたり。さっきも、あれだけ出たかったはずの坂の上に思いを馳せていました。プラタナスの木の香りがしました。
身体と心を切り離して、心だけで旅をしようとしたのは、薄ピンク色の建物から逃げ出すことができなかった私の精一杯の抵抗でした。学生なんて自由はほとんどなくて、勉強と部活に追いかけられて追いつかれる毎日で、制限の中から楽しさや喜びを探し出す練習期間のはずでした。私はそれができなかった。
旅の行き先は知らない国でも懐かしい田舎町でも、「ここ」以外ならどこでもよかったのだと思います。「ここ」にいたくなくて現実から目を背けていた私は、どこへ行っても一生「今」を好きになれないんじゃないかと、とても焦っていました。そうして、今、いまいるこの場所が好きでも、違う場所を夢見る自分に、少し安心しています。
「次はどこへ行こうかな」
「今はまだ、どこへでも、」