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銀座のママの代筆をしていたときのこと/小泉綾子

スキルや人脈ではない、人生で学ぶべき大切なこと

2018年10月 特集:なにして生きる?
テキスト:小泉綾子 編集:竹中万季 イラスト:王語蓉(Wang,Yu-Rong)
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2011年10月、小泉綾子は新しい仕事の面接のため、履歴書をカバンに入れ、慣れない銀座の街を歩いていた。

綾子は悩んでいた。生活について、恋愛について、夢の実現について、というか、人生全般について。気づけばあらゆる選択肢のタイムリミットは残り十秒を切っている気さえがしたが、気づかないふりをして過ごしていた。震災後、たくさんの情報が飛び交う中でこのまま東京に住み続けることは不安だったが、夢を叶えられぬまま田舎に戻るのは自分にとって人生の敗北のように思えていたし、どこの水や野菜を買うにしてもお金は必要だから、とにかく早急に仕事を見つけねばならなかった。

ショーウィンドウに映る、7年も前に教育実習のために購入したリクルートスーツを着た自分の姿にげんなりしながらたどり着いたのは、銀座七丁目。飲食店のブログ更新業務のアルバイト募集の広告を見つけてメールを送り、数回やり取りして面接までこぎつけたのだった。

綾子は何をするにも自意識過剰でだらしがなく、個性が強すぎるせいで周りになじめなかった。映画が好きで、自分でも作りたかった。観るだけじゃ全然満足できなかったから。物語を作って、誰かの心を満たしたかった。だけどどうすればいいのかわからなかった。脚本コンクールに出そうにも規定の枚数まで書くことができなかったし、奮発して中古のビデオカメラを買っても、パソコンに接続することさえできなかった。下積みから始めることも考えたが、助監督になった知り合いが、監督からグーで思い切り殴られたと聞き、それも嫌だと思ってやめた。

本人は、こう何もかもうまくいかないのは、10年以上前に親が離婚したからだと思い込んでいた。そのせいで大学受験も失敗したし、情緒不安定になって太ったし、性格も暗く歪んでしまったと、いつまでも根に持っていた。
未来の見えないすさんだ暮らしをだらだらと送っていた。綾子の人相には、それが丸ごと表れていた。
「不思議ちゃんが許されるのは、20代前半までだよ」
そう言われたこともあったが、綾子は生まれてこのかた、ずっとこれで生きてきたのだ。だから許されなくたって、これでやっていくしかなかった。

飲食店のアルバイトのはずが、たどり着いたのはビルの地下にある会員制の高級クラブだった。面接してくれたのは、Sさんという恐ろしく姿勢の良い、凛とした小柄なおばさんだった。カバンから履歴書を出そうとして、綾子はしまったと血の気が引く。夜中に映画を観ながらだらだら書いていたせいで、うっかり書き損じて文字の途中からぐるぐる線を引いた方の履歴書を持ってきてしまったのだ。26歳にもなってこんなミスをやらかすなんて。こんなだから、まともな仕事も見つからず、いつまでも親の離婚を恨み続け、しょぼい恋愛しかできないのだ。

綾子がしどろもどろに言い訳すると、「こういうところでは、履歴書なんか意味ないから」とSさんはまったく気にしていなかった。「ここでは相手の目を見て、信用できるかどうか見極めるの」。そう言われ、緊張しながらSさんに自分の経歴を話した。映画監督になりたくて大学卒業後に上京し、脚本を書いていること、だけど全然うまくいかないこと、今は知り合いのつてで、音楽ライターの仕事をもらっていること。Sさんにじっと見られると、自分の人生すべてが嘘くさく感じたが、少なくとも誠実であろうとした。多分この人の前で取り繕ったって、秒速でばれる。そういう嗅覚が働くくらいには、人生経験を積んでいた。

しばらくすると誰かが店に入って来た。Sさんが「ママ」と呼ばなければ、この人がこの店のママだとわからなかった。すっぴんのぼさぼさ頭で、特大の犬のアップリケがついたトレーナーにジャージという姿だったから、商店街で買い物をしているような犬好きのちょっと変わったおばさんにしか見えなかった。だけどママは堂々としていて、綾子の顔をしばらく見て、
「やっと来たわね。私たち、あんたみたいな子を待ってたのよ」
と、笑った。
私に言ってる?
薄暗い店内だから、綾子は人違いじゃないだろうかと思った。だけど、何が決め手かわからなかったけど、とにかくそれで決まりだった。

イラスト:王語蓉(Wang,Yu-Rong)

綾子の新しい仕事は銀座の高級クラブでママのブログやメールを代筆すること。時給は1,000円で、時間は店が開く前の13時から18時まで。向かいにあるゲイバーの踊り子たちが高校生のように騒ぎながらダンスの練習をしている声を聞きながら、綾子は毎日、銀座七丁目の薄暗い地下で、顔も知らない一流企業に勤める男の人たちにメールを送りまくった。
「メールなんか送ってこないでくれ」と冷たく返されることも多かったが、中には自分の趣味や、職場の愚痴などを送り返してくれる人もいた。返事が来れば、一通につき100円給料に上乗せしてもらえたので、受信ボックスを見るのが楽しみだった。
事前にママからメールで送られてきた週末の出来事や時事問題をブログに書いた。本当はこんなこと書きたくないと最初の頃は泣きたい気分だった。思ってもいないことを書くのは生まれて初めてのことだったから。綾子は文字が書けるようになってから今日まで、自分の感性に従ったことしか書いたことがなかった。だから最初は反発心から文章に自我をこっそり出してはママにすぐ見つかって怒られた。情熱的なのは認めるが、綾子の文章は独りよがりで暴走気味だったので、ママになりすまして書くことで、冷静に書くことを学んだ。それにみんな忙しく生きていて、ブログやメールをそこまで真剣に読み込まない。だから、わかりやすく書くことが一番大事だということもわかった。
それからママの飼っていた犬のスライドショーもお客さんに人気だった。
「あんた、映画の学校に通ってたんでしょう? ディズニーみたいなアニメにしてちょうだい」と言われ、極端に画素数が低く、犬なのか毛布なのかもよくわからない写真を繋ぎ合わせ、なんとかハッピーな雰囲気に作り上げた。完成動画を観たママは喜んで、それから何本も似たようなスライドショーを作らされるはめになった。

ママが商店街で買い物をしているようなおばちゃんなのは17時半まで。それからトイレで支度を終えたママは高級スーツに身を包み、完璧な銀座のママに変身して、颯爽と同伴に繰り出す。Sさんと綾子はそれを見送った。

ママと綾子に、共通の話題はほとんどなかった。これまでの生い立ちも、生活水準も、休日の過ごし方も何一つ被らなかった。だから、お互いに色々なことが信じられなかった。
ママは、綾子が毛玉のついたタイツを履き続けること、理論立てて喋らないこと、健康管理も運動もまったくしないこと、スマホのカバー一つ選ぶのに1か月もかかることに、驚いた。
一方綾子は、ママが500万円のエステ器具を買ったこと、年に2回アフリカや中東に旅行に行くこと、老犬ホームに預けた飼い犬に会いに毎週往復4時間かけて通うこと、片目の潰れた犬を引き取る手続きを取った数日後にペットショップでふわふわの子犬を買ってきてしまうことに、驚いた。

お互い理解し合うことは不可能だった。きっとママは綾子のことを鬱陶しくて惨めな子だと思ったに違いなかった。だけど、綾子はママに何でも相談した。ぐずぐずといじけるのが癖になっている綾子の話を、ママは一度も遮ることなく必ず最後まで聞き、短く叱った。「誰かに認められたいなら、自分の話をべらべら喋るんじゃないよ。まして自慢話なんて、絶対に絶対にだめ」とママはよく言った。「じっと話を聞いてあげること。そうすればどんな人でもあんたを必要としてくれる。私の仕事はね、話を聞いてあげることなの」。

そんなママが話してくれる話は、どんな話でも壮絶なドラマを観ているようだった。圧倒され、言葉を失うこともあれば、涙ぐんだり、笑ったり、怒ったりすることもあった。人生経験が豊富で、いつもたくさんの夢を持ち、人間とお金が大好きで、好奇心の塊。とにかく話がうまかった。何度聞いても決して教えてくれない話もあったけど、そこがまた魅力的だった。

3年後、ある土曜日の明け方、「あなたのせいで30万円の損失をした」とママから長文のメールが来る。ママにとってみれば、酒の勢いにまかせた八つ当たりで綾子に嫌味を言ったつもりだった。それまでにも突然、意地悪な説教をされたり無視されたりすることはあったし、そういうママの意地悪に耐えきれず辞めていく女の子はたくさんいた。週末のメールは酒が抜けていないから真に受けてはいけないとわかっていたけれど、綾子はママにうんざりしていた。気分屋で朝令暮改で、それに都合が悪いとお酒のせいにする。以前はスルーできていたことでも、些細なことが積み重なって、もう限界だと思い始めていた。こんな大人にはなりたくないとさえ思った。

「あんたのことを待っていたのよ」と魔法の言葉で迎えられ、始めた仕事だった。だけど綾子はママへの感謝もなく、半ばケンカ腰で仕事を辞めた。

ママは銀座の人間で、去る者を追わないから、あっさりした最後だった。銀座の高級クラブでママのブログとメールを代筆する仕事をしたことで、スキルがあがったわけでも、人脈が広がったわけでもなかった。いい男の落とし方も、株の買い方も、お酒の銘柄すら学ばなかった。綾子はまた振出しに戻って、バイトを探すことから始めなければいけないだけだった。

いつまで経ってもずっと夢見がち。変わってるけど、何にもなれやしない。ぐずぐずしてる、自意識過剰の痛いやつ。
そして、30代の不思議ちゃん。
だけど綾子は、これでやっていくしかなかった。

新しいバイトの面接で、綾子は銀座で見てきたことを話した。みんな面白がって聞いてくれ、毎回面接時間は1時間を超えた。こんなことは、初めてだった。採用されなくても、「楽しい時間だったよ」と言ってくれた。それで満足だった。
自分の経験を語るときは丁寧に、相手の反応を見ながらドラマのように語ること。それから誰かが話し始めたら、最後まで聞くこと。綾子が銀座で働いて、唯一身についたことといえば、それだけだった。だけどそれは、綾子の人生で、本当はもっと早く学ぶべき、とても大切なことだった。

綾子は……いや私は、何でも経験したい。素敵な思い出になるか、最悪なトラウマになるかはわからないけど、私が見てきたものは、私だけが語れるのだから。人生に物語を増やしたい。溢れるほど物語が欲しい。価値があるのは経験したことではなく、どう語るかなのだ。少なくとも私は、それでやっていくしかない。痛くてもダサくても、私の物語は、私の豊かさなのだ。

そういうわけで、あなたは私の物語を最後まで読んでくれた。映画館で観てもらうことはできなかったけど、最後まで読んでもらえただけで、私は達成感でいっぱいだ。だから次はどうか、あなたの物語をたっぷりと最後まで聞かせてほしい。

PROFILE

小泉綾子
小泉綾子

1985年生まれ、獅子座。東京都出身。
東映任侠映画と灯台とドイツが好き。

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