結婚してもうすぐ2年になる今でさえ、モテたいと思う。自分の結婚式で席次表とともに列席者にお配りしたプロフィールに「承認欲求の鬼」と書くほどモテについては今もビンビンに意識している。「モテ」に捉われた半生と言っても差し支えない。いつまでも「モテ」に捉われるのは、モテないから。だって、モテてみたいんだもの。「モテなくたっていいじゃん、私は私じゃん」なんて全然思えない。「(モテなくっても)あなたはあなたよ」とも絶対誰にも言われたくはない。
私にとって承認欲求とは、自分の恋愛対象である男性からの好意を受けること、もっというと、性的に魅力的である、というまなざしを獲得すること。今も昔もそれは変わらずそうである。そしてその、なんと難しいことだろう。浴びるように読んできた少女漫画のなかの出来事が当たり前のように、私にも起こると思っていたのに。好きになった人は、たいてい私の友だちのことが好きだった。3年間チョコをあげ続けた人に告白をしたら、「うん」とだけ言われた。もちろん告白されたことなんて、今の今まで一度もない。恐ろしく数学のできる、けれど変わり者のチェロ弾きの先輩に地元のデパ地下でたい焼きをおごってもらったことはあったけど。でもそれがいわゆる「モテ」であったか、定かでない。ほしいのは、もっとダイレクトなまなざしだ。だからそんなのノーカン。正しき「モテ」にはカウントされない。
この世に生まれてから、まずは親からの絶対的な愛情を受けつつ、その愛情を糧に思春期に入れば社会という新たな世界でまったくの他者からの好意を獲得しようとする。それが承認欲求だ。たったひとりの愛すべきひとを見つけることが目指すべきゴールではあるが、いや、私はそれだけじゃつまらない。だからゴールへの道すがら、ほかの恋愛対象者からのエール(=モテ)を受けることはやぶさかでない。むしろ多感な時期にモテに不遇であることは、絶対的な承認の損失に値する。だから結婚した今でさえ、夫からの愛情とは別に、思春期に得られることのなかった「モテ」を求めて、ゾンビのように酒場を徘徊するのである。
けれど今よりももっと、もっと男性からの性的なまなざしを求めに求め、とにかく承認に飢えていた高校2年の秋、私ははじめて痴漢に遭った。その当時、やさぐれた私は教室でクラスの女友だちとしゃべりながら「私なんて痴漢にすら遭ったことないよ~」なんて抜かしていたのだった。
そんなある日のことだった。激混みの私鉄、渋谷からの急行電車に飛び乗ってきたその男子高校生のなんとなく、嫌な感じの目線にはすぐに気づいていた。
さっきまでドアの近くにいたはずなのに、知らない間に自分の真うしろにいる。そして、気づけば私の太ももを震える手で、しかし力強く、まるで刻みつけるように触っているのだった。
それが気持ち悪いとか怖いとかショックとか、あらゆる感情を味わうより前に、とにかくその時はただ、このまま許しておきたくはないとハッキリ感じていた。私が降りる前にこいつが降りるんだったら―――いつ来るか、その瞬間を待ち構えながらずっと手足の指先は火照り、鼓動はどうしても速かった。だからその男子高校生が逃げるように電車を降りようとするや、私はそいつの髪の毛を思い切り、引っ張った。当然、何事だと車内は騒然とした。激混みの車内で私とそいつの間だけ、結界が張られたみたいに、不自然な空間が生まれた。その男子高校生は一瞬怯んで、それでも私の手を振り払ってホームを駆けていった。その後を、追うことはしなかった。
私は翌日、学校で友だちにこの話を「面白い話」として披露した。痴漢を、髪引っ張って退治したなんて、あんたじゃなきゃできないよと言って友だちはみんな笑いながら私の話を聞いていた。私も話しながら一緒に笑っていた。なんで、あれが「面白い話」だったんだろう。なんにも、面白くなんかない。何度でもこの時の自分を引っ張り出して、バカだよあんたはと言ってやりたい。そして何度でも、何度でも飽きずに抱きしめてやりたい。笑い話になんて、しなくてよかったんだよ。まなざされることは、そして選ばれることは、ほんとうは怖いね。あんな風に、暴力的にまなざして、勝手に気持ちも身体も自分のものにしようとするなんて、おかしいんだよ。怒らないといけなかったんだよ。いつまでもそいつのこと許さなくていいんだよ。そして私は、私の好きな人を、選ぶんだよ。私が、この手で選ぶんだよ。そう、何度も言ってやりたい。
それ以降、ちょっとモテたり、いやそれでもほとんどモテなかったり、そんななかで6年付き合った恋人と幸せな結婚をしてもなお、それでもまだ懲りず、友だちと酒場に繰り出しては安易な承認欲求を得ようとしていることを鑑みるに、たったひとりからの、ほかに代わりのない承認を得ていてさえ、その欲求が途切れることはない。
結婚した今でもモテたいのは、それがわりと揺るぎない価値だから。いや、揺るぎない価値、だと信じ込んでいるから。でも信じ込んでいるだけなのかもしれない。けれど私は、自分だけ選ばれなくって、おいてけぼりで、どうしようもなく惨めだったあの日々のことを、今もどうしたって忘れることができない。だってみんなは――。あの時選ばれて、笑っていたじゃない。いいでしょ、って自慢げにこっちを見たじゃない。
あの時はじめて痴漢に遭って、そしてその後私は、私の好きな人を自分でまなざすのだと、そしてこの手で選ぶことが何より大切なのだと知った。しかしそれでもなお、今もモテたいと思う、その気持ちはもしかすると、男性からの承認を得るためではなく、かつて私を置いてけぼりにした、彼女たちへ向けられているのかもしれない。そんな行き場のない気持ちが今でも承認欲求というかたちをとって、私を酒場へと誘うのだろうか。
ルサンチマンは火の玉のようにいつまでも燃えて、私の胸をくらく照らす。死ぬまで一生、「モテ」たくってもいいじゃないか。だって私は私を、何度でも抱きしめられることを知っているのだから。