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うちの家族のやりかた/吉野舞

メディアに出てくる家庭像が誰しもに幸せな形ではない

2019年5・6月 特集:ぞくぞく家族
テキスト:吉野舞 編集:竹中万季
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家族について話すのは、時たま幸福で、時たま不幸だ。
私の場合、外で家族の話を他人と共有していく中で、うちはなんだかちょっと変わっているなと思うことがよくある。
なので、この機会にうちの家族の関係性について大っぴらに書いてみたい。うちから見えてくる、新たな家族の関係性について。こういうかたちも一つあるってことの提案も含めて。

私の家族は、父、母、姉一人、私の四人家族だ。
両親は地元の一軒家を拠点にして暮らしており、私と姉は進学をきっかけに家を既に出た。
うちの家族は、父の単身赴任や姉の進学などが重なって、家族全員で一つ屋根の下のもとで暮らした思い出がほとんどない。そのせいもあって、非常に独立した関係性を保っている。
なんだかまるで他人様のような関係で、四人とも、信念も生き方も違う方向を向いており、協調性が全くもって皆無なのだ。会うと、何を話していいか分からなくなる。個々で連絡をとることはあるのだが、全員で集まる機会はよっぽどのこと(結婚式やお葬式など)がない限り、ほとんどない。実際に、私が姉と会うのは3年に一度の頻度で、連絡も一切とらない。お互いが住む場所のこともよく知らない状態だ。

なぜこんな状態かと言うと、家族で過ごす時間より、それぞれ個人の時間、趣味を一番大切にしているのがうちの家族の暗黙のルールなのである。
私が高校生の頃、父親が「うちの家は、はい、もう解散!」と、言い切ったことを合図に始まったこの関係性。この頃、少しはなれて、うちの家族のことを客観的によく考えるようになった。そうすると、なんだか面白くて、人同士の関係が良くなるための整理整頓の結果、こうなったように思うのだ。
ちなみに、家族同士の仲が悪い訳でもなく、お互いにいる場所と時間さえ合えばご飯にだってよく行ったりもする。

これまでの関係を思い返してみると、両親とコミュニケーションを図る中で、何ひとつとして「娘」だからといって押し付けられたことはなく、私も両親に世の中の父親像、母親像を期待したことはない。ただお互いが存在している以上でも以下でもないのだ。
気がつけば、両親は私が小さい頃から「ただ、存在しているものだけでしかない」ということを、同等な態度で干渉せずに、証明してくれていたように感じる。
愛されていないと寂しく感じることもあったが、私をひとりの人間として尊重し、見てくれて、メディアによく出てくる家族一緒の場所で暮らし、同じ机を囲むような家庭の理想像が、すべての家族の幸せなかたちではないということを、身をもって教えてくれていたのではないのだろうかと解釈もできるのだ。

だって、たかが家族だ。既にある家族というかたちにまどわされないで。もちろん、困った時や大変な時はお互いに助け合うし、私を育ててくれたことに心から感謝している。それに、鏡で自分の顔を見る時に、父と母の遺伝子が混ざった物体かと思うと、コンプレックスだらけのこの顔を心から愛することができるようになった。
でも、家族だって他人であることも真実だ。遺伝子を受け継いでいたとしても、趣味も嗜好も生き方もそれぞれ全く違うし、自分自身の人生を思いっきり生きているひとりの人間である。

「家族」という形式の中でお互いのやりたいことができなくて首を絞めるくらいなら、家族なんて本当に必要なのだろうか。
家族関係で悩む人は多いと思う。私もそうだった。似ているのだから仲良くできなくて当たり前である。
家族で生きるということは、ひとりで生きていくことと同じように覚悟が必要になってくる。もちろんお互いに譲れないことはたくさんあるし、家族間で起こる問題もその家族が引き受けることになるだろう。それに、何にしても取り繕ったりする関係は疲れてしまう。思わせぶりもいやだ。

家族は皆、ただ幸せになりたいだけなのに、それに苦しめられたら元も子もないって話なのだ。

うちの家族はとりわけ、皆、素直で個人の意思が強い人たちだった。だから、このような互いを干渉しない、自立した関係性をつくりあげて、私もそれを理解し、今もどこにいるのかも分からない関係を保ち続けている。

それに、自分の家族とのつながりを見つめること、今ある関係から向き合って逃げないことは、ブラックホールみたいに探しても見つからない自分というものを知る手がかりにもなってくれる。

家族のかたちをはじめとする、世の中にある概念に従うことは一切必要なくて、合わないなと思えば、自分たちなりのルールをつくればいいと思う。愛がないのではなく、愛があるからこそわかるのだ。私たちの関係はこれでいいと。家族が人生のすべてではないのだ。

家族から貰ったいのちを大切にして、好きに生きてみよう。また温かな家族の関係が恋しくなれば、素直になって戻ればいいのだし。私もこれから自分の家族をつくるチャンスに巡り会えたら、このような自由な関係をつくっていけるほどの仲になってみたいと望んでいる。

父親から久しぶりに連絡が来て、何事かと思ったら、今日もどこかで父らしく生きてくれている楽しそうな姿の報告でした。

PROFILE

吉野舞
吉野舞

1995年秋生まれ。兵庫県淡路島出身。武蔵野美術大学空間演出デザイン学科卒業。
やりたいことをやりたいと思った時に、すぐにやらないと自分を裏切ったようで落ち着かないので、興味があることは、何でもやろうと思います。座右の銘は「人生の大体の出来事は、自分のせいで人のおかげ」。今、東京。オフィスレディやりながらも書いてます。

INFORMATION

イベント情報
TOKYO ART BOOK FAIR2019

2019年7月12日(金)~15日(月)に東京都現代美術館にて行われるTOKYO ART BOOK FAIR2019にて「Z-G09のAkito Nara&New Area」のブースにて言葉と写真を詰め込んだZINEを置かせていただきます。作家名義で年内に本出します。応援してください~!

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