私は香港の取材をするにあたってテレビやインターネットを通じてしか見てこなかった景色に飛び込んだ。現地で知り合った年の近い女性達とでデモに参加したり警察から逃げる中で、メディアを通して見ていた現象そのものの中にいた。香港に滞在する中でもっとも有意義で貴重な経験の一つに「法を破った」ことが挙げられる。
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2019年10月31日に尖沙咀(Tsim Sha Tsui)で勃発した衝突で、火のバリケードを作り始めた人々
香港での反政府デモが活発になっていく中で一時期施行された「覆面禁止法」(現在は裁判所の違憲判断で廃止)。街や地下鉄にある防犯カメラから個人を特定されることを日頃より抗議者達は恐れており、デモに参加するほとんど全員がマスクを着けた状態で抗議活動へ参加する。香港政府は2019年10月の始めにデモ隊の沈静化を図り、議会での審議を通さないまま条例を制定することができる「緊急状況規則条例」を使い、抗議者のマスク着用を禁止した。だが結果としてマスクを着用している人が減ることはなかった。
現在は廃止されたとはいえ、過去の施行中は覆面禁止法でマスクを着けた人を逮捕することができた。裁判所が違憲判断を下す前まではその法は「正しいもの」だった。
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デモが起こっていない平日の住宅街と、休む配達員。跑馬地 (Happy Valley)で撮影
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きっといつも通りの風景。2019年11月5日、跑馬地(Happy Valley)にて撮影
いつの時代も法律が間違っているケースは存在する。人種隔離政策(アパルトヘイト)が有名なようにその多くは人権問題に関連する。また1940年制定の反ユダヤ法をはじめとして、ナチスが制定した数多くの法律は間違いであることは確かだろう。それは現在私たちが歴史的な経緯を知っているからその不正当性がわかるように、その当時は公式に当選したナチ党が制定した法律は正当とされていた。
覆面禁止法は間接的にデモの沈静化を図るものだったが、デモのやり方を知っている香港人にとっては抑圧し人権を踏みにじる法であると思われてしまうのも仕方がないだろう。覆面禁止法によって自由を守る運動である反政府デモを規制されることに、彼らは一切隙を見せず動じない。何が正しくて何が正しくないか、彼らは法律を基準に考えない。あれ、私って法を疑ったことってあったっけ。
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身元を特定されるのを防ぐため、監視カメラのない場所でも顔を露出する時には傘で覆う。2019年11月2日、灣仔(Wan Chai)にて撮影
集会会場へ向かう間、Aさんが中国本土の人々と香港人の間には大きな文化の違いがあると話してくれた。「そもそも、香港の学校で教えられてきた教育の内容は中国本土と比べて全く違うんです」。淡々と語るAさんだが、その一つ一つの言葉には重みを感じた。学校職員であるBさんも、「最近は小学校でも週に二回ほどの北京語の履修が始まっています」と、その変化を感じているようだった。
「私たちは香港に存在する自由と(言語を含めた)香港文化を愛していて、デモを通じてこれらが統制されてはならないと主張しているのです」
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警察に向かって叫ぶ人。2019年10月31日、尖沙咀(Tsim Sha Tsui)で撮影
香港には1966年の九龍暴動に始まり、マカオ事件、中国文化革命、天安門事件によって逃れてきた難民や、中国共産党との思想の違いによって香港への滞在を決めた政治難民が非常に多い。これらのような大きな事件が中国で起こるたびに香港の人口は増え、一時期には不法滞在者には厳しい規制がかけられた。また、イギリスからの香港返還は香港人の意思を一切反映したものではないため、実際に香港がイギリスから返還されるまでの数年間で年間45,000人ほどのビジネスマン、医師、弁護士、会計士、教師などを中心とした香港の経済成長を支えてきた人たちが不安からか海外へ流出した。
「2014年の雨傘革命後も多くの人が海外へ移住することを選ぶ結果となったけれど、現在デモに参加している人々の中には雨傘革命によってむしろ団結し、自ら香港での滞在を選んだ人々も多いです」。もし今回のデモが失敗して一国二制度が崩れ始めた時、彼らが失うのは香港人としてのアイデンティティであろう。広東語に限らず、彼らにとっての今の香港の文化とは、思想の自由や発言の自由である。かつての中国の状況を反映したような難民都市に生まれ育った人々が、可能性として考えられる中国共産党の教育の流入や思想統制に拒否反応を覚えるのは、当たり前の感覚のように思えた。
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デモを1時間後に控えた中環(Central)に向かうフェリーでは、憂鬱な表情を見せる人もいた
デモ会場へ向かう人々が多く乗っているフェリーは映画のような佇まいをしている。ずっしりと重く、速すぎず遅すぎないスピードで水を流れるように進む。
100万ドルの景色は昼でも美しい。デモがあろうとなかろうときっと変わらない香港の景色はこれから始まるデモの気配をまるで醸し出さない。飛び交う広東語に紛れながら私は一人英語と日本語を使い分けながら香港の友人に話を聞いていた。周りの香港人は私には目もくれず、外を見つめたり話に夢中であったりした。寄り添う人々、談笑する若者、うたた寝をする老人……デモの気配をまるで醸し出さない、と書いたけれども、その一人一人の表情がなんとなく緊張感を持っているような気もする。はたまた自分が緊張しているだけなのか。
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中環(Central)で撮影。デモが始まる前
インタビューをさせてもらった香港人のAさん・Bさんは、共に「明日がある保証などどこにもない」と話した。彼らのこの言葉からは、「行動する責任」と、「行動を起こさない責任」のどちらとも読み取れる。その結果多くの香港市民、最大のデモ(2019年6月)で200万人ものの人が行動を起こすことを決意した。そして覆面禁止法が適用された後も、政府に対しその法を破ってまでNOを突きつける人々がいる。違法でも公共の壁に団結を呼びかけるグラフィティやポスターがある。
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中環(Central)で撮影。デモが始まる前
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屯門(Tuen Mun)で撮影。衝突があった次の日
法律はこの世の中にある多くのルールの中でももっとも影響力の強い規則である。もちろん法律を破ることを推奨しているわけではないけれど、思い返せば定められた規律の理不尽さに絶望してしまうことがある気がする。私たちはもっと与えられた当たり前を疑うべきだ。香港の動きを見ていると、過去のルールを疑うことから新しい未来が見えてくるような気がしてならない。いやもしかしたら既に少しずつ見えてきているのかもと思う。写真家として事象を撮りながら追っていく中で、社会問題にぶつかりながらもどうにか乗り越える方法を模索できたらなと思う。