最近とんと、眠れなくなった。それが当たり前になってしまってからは眠れていた頃のことがよく思い出せなくなって、眠りについて意気込むなんて、けれど気づけば今日こそ眠るぞ、と毎晩力んでしまっている。
眠れなくなったのは3月のはじめ頃で、そこから数えてまるまる4か月。コマ送りのような細波のような、浅くつめたいきれぎれの眠りを繰り返しながら、しんじつ文字どおりの寄るべない夜をさまようようにして、こうしてそれでも生きている。
たとえば眠れない夜の真ん中に、子どもの頃のことを思い出す。どうやら出かけて帰ってきてそのまま疲れて眠りについてしまったらしい。起きて気づくと部屋のなかは真っ暗で、目を細めると襖のむこうからこちらへ、光と音が洩れている。父と母の声がする。コロッケの、匂い。あー寝ちゃってるね、起きないねぇこれは、なんてひそひそ言い合って、ろくに起こそうともせずに寝かしたままにしたのだろうな。なんで「ごはんだよ」ってちゃんと起こしてくれなかったの、と大声を出したいけれど目覚めたばかりで力がぜんぜん集まらない。
そんな風にひとりだけ眠り過ぎてしまったときのおいてけぼりのあの感じと、今また眠れないことのそのもどかしさとは、なんだか似ているような気がする。
そしてちょうど眠れなくなった頃から、わたしは日記をつけはじめた。意識したわけではないけれど、気づけばふたつは重なるようにして、眠れない日の眠れない身辺のことを、ただ記してゆく毎日が淡々と、それからつづいているのだった。
わたしは日記のなかで、ろくに見ずに散ってしまった今年の桜を憂いて、連日の感染者数に怯え、あるいはコロナ禍でひと気のなくなった町に動物たちが出てきて民家の窓を覗いたというニュースに興味深くうなずいた。職場で交わされた会話、夫は実はゲップをしたことがないという衝撃の事実、沖縄の梅雨入り、わたしのまちの梅雨入り。毎日の記録が連れてくる、あの日の記憶、あの日のだれかの、声の傾き。走り書きの毎日に、そして天気と、その日に食べたものを欠かさず記した。
晴れの日はうれしい。雨の日は憂うつ。よく焼いた厚焼きたまごのサンドイッチはおいしいし、おにぎりは冷めてもできたてでも、むろんなにも言うことはない。食べたもの、食べたいもの、食べたかったもの。ミスタードーナツのハニーチュロがどうしても食べたくて、けれど夫が帰りがけに立ち寄った店では売り切れで、手ぶらで帰ってきた夫をののしったようなことが、いつもより雑なほとんど殴り書きで、残してある。ドーナツひとつで夫を呪えるくらい、そんな風に日記のなかのわたしは眠れなくてもこんなに元気だった。
もしも日記を書いていなかったら。これまでも日記のようなものを、それはまた記録とは違って感情の整理のためのようなものだったけれど、記してきたには記してきた。けれどそれは不定期の、あったできごとを書いたものではなく、もっと抽象的ななにかだった。こんな風に毎日のできごとをそれとして、記録する日々がつづくことが、なんだか不思議。もしかすると、今のわたしは日記によって、そうでもしなければ波打つように揺れてあふれてしまいそうなわたしの輪郭を、こうしてなんとか保っているのかもしれない。
だから眠れなくてもその日々に、たとえば夜中に起きだしてこれまでの日記を読み返すとき、こうしてわたしは息をふかく吸いこむことができるのだ。あったことを何度でもなぞって、そこにたしかにあった生活の味や手ざわりをどうにか放してしまわないようにつなぎとめておくことが、今のわたしがなんとかして自分にしてやれるひとつの大きな慰めなのかもしれない。
きっと眠りの日々がまたやってきたときに、わたしは日記を書くことをやめるだろうか。それはそれで、べつにかまわない。この毎日がここに残ることには、変わらないのだし。そういうしずかな諦めのようなそんな大それたものでもないような、とにかく日記によっておだやかに均された日々を、わたしはこうして生きている。