他人の価値観を知ることで、世界の見え方が変わる『聖の青春』
「変身願望があまりないので、自分にとって変身とはなんだろうと考えて、3つのテーマを軸に選びました」と話す前田さんが選んだ1冊目は『聖の青春』(2002年)です。「自分以外の人生の価値観を知ることで、視点が変わり、変化のときを感じる一冊です」。
「東の羽生、西の村山」と称され、天才でありながら29歳の若さで亡くなった将棋棋士・村山聖。彼の生きざまを、将棋専門誌の編集長であった大崎善生が書いたノンフィクション小説です。
「人生すべてをかけて戦う姿がすさまじいんです。彼は幼少期より肝臓の難病を患っていて、盤上だけが自由に動き回れる自分らしく生きられる場所。中学生で広島から大阪にひとり上京します。でも、将棋ってすごいときは一局で3kgくらい体重が落ちるハードなもの。彼の身体にとって、良いことではありません。それでも彼は本当に自分の人生を将棋にかけた。ガンになって助かる見込みはなくなっても、いつか棋士として盤上に戻ったときのために、脳に危害が与えられることはしないと、副作用を避けるため、薬を飲まずに痛みに耐えながら最後を迎えます。
こうやって聞くと悲しいことばかりのような気がしますが、この本の中には将棋を通して出会ったライバルや仲間、師匠との愛が詰まっていて、そんな村山さんの人生を知って、心がギューッとなりました。若い勢いだけでなく、人間としてあらゆる場面で発揮する強さも素晴らしいんです」。将棋のルールがわからない人でも楽しめると、前田さんも太鼓判です。
過去の自分と出会い直すことで変化する『安部公房とわたし』
「過去の自分と出会い直すことも、変身には大切なこと」と、前田さんが紹介する2冊目は『安部公房とわたし』(2013年)です。
女優・山口果林が18歳のときに出会った23歳年上の作家・安部公房との暮らしをつづったエッセイ。親子ほどの歳の差で不倫関係にあり、明かすことのできなかった日々を、安部公房の没後20年でようやく発表。著者も「自分の人生を振り返る機会をいただいた」と、あとがきに記しています。
「失ってしまった時間を愛し直すような眼差しで書かれています。不倫関係だったので死に際に立ち会えず、お葬式にも行けず、彼女と安部公房の過去は無かったように扱われていたそうです。
ですが、彼との日々を書き直すことで、彼女は自分と向き合ったのだと思います。<◯月×日、~を食べる>などと、淡々とした情景描写が多いのですが、その中でふたりの感情まで思い起こされるような文章で感動しました」。
自分の変化に気づくための、道しるべになる漫画『ハチミツとクローバー』
「自分が変化している、ということに気づかせてくれた本」と前田さんが3冊目にあげたのは、美術大学を舞台にした漫画『ハチミツとクローバー』(2002年)です。
恋愛や生き方、才能など、様々なことに悩む大学生たちの不器用な姿が描かれた青春劇。「出会いは中学時代。それまでに読んでいた起承転結がわかりやすい漫画とは違ったので、はじめは内容が理解できていませんでした。でも、キラキラして苦しくて儚い空気と、登場人物の気持ちはなんとなく伝わってきて、わからないなりに全部読んだんです」。
主人公たちと同じように、美術大学に通うことになった前田さん。成長と共に繰り返し読み続けていたら「漫画に描いてあることが、過去の私の風景として蘇ることがありました。この漫画が道しるべとなり、そのときはわからなかったけど、過去にもらった宝物の存在にどんどん気づいて。それをきっかけに、自分が変化していることにも気づかせてもらいました」。ボロボロになった表紙から、前田さんと漫画が経てきた時間を感じます。
自分のことを考えるのを捨て、世の中とは違う時間の流れを体感する『シンプルを極める』
「小さいころは踊ったり手品や一輪車するのとおなじくらい本を読むことが大好きだったけど、今は自分の内側にあるものを言葉にしようとするために、本を読むと自分ではないものに染まってしまう感覚が苦しくて、あまり読めないんです」と語る田中さんが唯一印象に残っている本として紹介したのが、ドミニック・ローホーによるベストセラー『シンプルを極める』(2011年)です。副題は「余分なものを捨て、心になにも無い空間を作る」。捨てる、という行為は身体にも精神にも効果があると、その理由が紐解かれています。
「十代の頃、<感情や心のフィルター>が何故かなにも無くて、みんなと何か違うことにも気づけず、周りのひとが好きなのに、興味が持てなくて、うまく近くにいれずすごく悩んでいました。おかしいけど、自分の声を録音して聞いたりしました。でも、あるとき、『ああ、私って自分がかわいいんだ』と気づいたんです。自分がかわいいから、他に目を向けられない。こんなに悩んでる。それで、自分のことを考えるのを全部やめたんです。そしたら、時間の外に出ることができて。心が身体の内側にあるから時間があるとわかりました。そんなとき、ふと帰り道に本屋に行ってみたらこの本が目にとまり、買って読んでみたら、その感覚についてこの本にも書いてありました」。
変身=再出発するために、自分と向き合う
ふたりが作品をつくる根源はどこにあるのでしょう。「大人になるまでは、自分の中にある価値観は当たり前だと思っていて、そこに疑いはありませんでした。でも、作品をつくることで、自分の中の個性と無個性を知ることになったんです。結局、親がつくった価値観が自分の中に浸透し、逃げられないと感じました。だから、自分は他の誰でもない自分だと認めたくて、作品をつくっているのかもしれないです」と前田さん。
田中さんも「歌をつくる瞬間は、誰に見せるつもりもなく、自分を救うために書いていました」と話します。「活動を一旦お休みして、また戻ってきたときに、考えすぎず自分の中から出てくるものをそのまま書こうと改めて思い、そのとき新しい曲がどんどんつくれるようになったんです」。
自分を救うために作品をつくってきたふたりは、もう一度自分と向き合い、自分そのものを受け入れられたことで「変身」という再出発をしたのでしょう。それぞれの世界や価値観は、その人が見たものによってつくられています。私たちも、自らのものの見方や考え方と向き直してみることで、自分の中に変化を感じるかもしれません。
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