真造圭伍『ぼくらのフンカ祭』/「大人になってから出来た友達と過ごす、終わらない文化祭はまだまだ続く」(チーム未完成・ゲッツ!)
私は何かがしたくてチーム未完成をやっているのではなく、大好きな友達とずっと一緒に遊んでいたいから“チーム未完成”の活動をやっているのかも(チーム未完成ってなに?って人はググってね♡よかったらフォローしてね♡)。
年を重ね、酸いも甘いも経験して「もうなんもねーんだろうな」と思ってた大人になってから出来た友達と過ごす、終わらない文化祭はまだまだ続く。(チーム未完成・ゲッツ!)
高野文子『るきさん』/「ずっと一緒だけど、ずっと一緒ではない。手紙、書くね」(はらだ有彩)
るきさんとえっちゃんは友達。
えっちゃんは同じスニーカーをいくつも揃えるるきさんの気持ちが分からない。えっちゃんはるさきんが好む紅しょうがを食品添加物てんこもりの毒だと思っている。えっちゃんの結んでくれたワンピースのリボンを、るきさんは邪魔にしてしまう。えっちゃんの行きたいレストランに、るきさんは全然興味がない。一見かよわく見えるるきさんが素手でリンゴを割ることを、えっちゃんだけが知っている。風邪を引いたるきさんを、えっちゃんは一泊三千円で泊める。
二人は毎日一緒だったけど、るきさんはある日突然、ひょいっとイタリアへ行ってしまう。ずっと一緒だけど、ずっと一緒ではない。手紙、書くね。(はらだ有彩)
イーユン・リー『黄金の少年、エメラルドの少女』収録『優しさ』/「行き場のない互いの孤独を優しさに変えて、交換しあうことがきっとできるような気がする」(秦レンナ)
もう再び触れ合うことのない関係というものもある。彼女たちが確かにいたということ。〈私は自分の人生に関わってきた人を忘れたことはない〉。孤独な41 歳の数学教師、末言(モーイェン)。18歳の時に入隊した人民解放軍のなかで出会ったさまざまな「女の子たち」と過ごした日々や、杉(シャン)教授との出会いは、彼女にとって人生の中のごく少ない煌めきだった。当時の末言は全てを受け入れることができず、そして今になって彼女たちがくれた優しさ〈それは愛なのかもしれなかった〉について静かに考えている。わたしは末言の「女友達」になりたい。行き場のない互いの孤独を優しさに変えて、交換しあうことがきっとできるような気がするから。(秦レンナ)
大島弓子『ダリアの帯』/「私とママが共有している美しくて不安で夢のような物語たち」(haru.)
私が「女友達」と聞いて真っ先に思い浮かべたのは「ちゃんやま」こと私のママです。
ちゃんやまと私の歳の差は26歳。私たちは同じ病院で生まれ、幼少期滞在したドイツでは同じマンションに暮らし、同じ小学校に通いました。今私は彼女がパパと出会った美大に通っています。プチ反抗期の頃、ママと私は違う人間なんだと反論したりしました。
私とちゃんやまは今でも「花の24年組」と呼ばれる作家たちの作品の話で盛り上がるけど、大島弓子さんの『ダリアの帯』は一人でひっそり読んだ。初めての感情の波に飲まれながら。ページをめくれば立ち現れる私とママが共有している美しくて不安で夢のような物語たち。どんなに時間が経っても色褪せないんだろうな。私とちゃんやまの関係みたいに。(haru.)
松浦理英子『最愛の子ども』/「私たちはこんなふうに自由に関係をつくっていっていいのだし、そのほうが世界をよく見ることができる」(野村由芽)
<パパ>日夏、<ママ>真汐、<王子>空穂。同じクラスの女子高生が演じる、擬似家族としての日々。「私は別に女子高生になりたくてなったわけではなく、単に時期が来たので進学しただけです」という真汐の疑問に表れているように、「少女」や「女子高生」というのは、当事者の想いよりも、まわりからのレッテルが重視され、それよって存在が成立させられてしまうようなところがある。そんな「女子高生」のまっただなかを生きる彼女たちが、たんなるクラスメイトという間柄を解体し、家族のように、ときに恋人のように関係性を波のように変化させながら、この世界のなかで自分が自分であることを探っていく様子がまばゆい。私たちはこんなふうに自由に関係をつくっていっていいのだし、そのほうが世界をよく見ることができるのだ。(野村由芽)
須賀敦子『コルシア書店の仲間たち』/「人は年齢にかかわらず他者と理想の世界を紡いでいくことができるのだと勇気をもらえる」(野村由芽)
30 歳でイタリアに留学し、一軒の書店「コルシア・デイ・セルヴィ書店」に出会った須賀敦子の回想録。教会の物置を改装したその書店は、サロンとして機能していた。未婚の老女、彼女の姪、貴族の未亡人たちとの夜ごとのおしゃべりから垣間見える新しい世界。彼女はこの書店での日々を通して、仲間たちと理想の共同体を夢見ていく。「若い日に思い描いたコルシア・デイ・セルヴィ書店を徐々に失うことによって、私たちは少しずつ、孤独が、かつて私たちを恐れさせたような荒野でないことを知ったように思う」とも書いている。大人になると、新たな友情を結ぶことがなかなか難しい。そんなときこの本に描かれている人間関係に触れると、人は年齢にかかわらず他者と理想の世界を紡いでいくことができるのだと勇気をもらえる。心によい孤独とみずみずしさを持ってさえいるならば。(野村由芽)
辛酸なめ子『女子校育ち』/「同性の相手と一緒にい続けることは気楽な一方で、同性だからこそなぜかやりづらさのようなものを感じる人も」(竹中万季)
「女子校」とは、不思議なもの。社会に出るといろいろな性の人と関わり合っていくのが当たり前なのに、同性とだけ一緒に日々を過ごすという経験はなかなかないことだと思います。『女子校育ち』は、女子校出身の辛酸なめ子さんが、女子校出身者の人たちへの取材やアンケートを重ね、たっぷりの考察とともに「女子校とはなんぞや」について考えていく本。女子校タイプ別図鑑、文化祭レポート、恋愛事情など、実録レポートが盛りだくさん。同性の相手と一緒にい続けることは気楽な一方で、同性だからこそなぜかやりづらさのようなものを感じる人も多いはず。この本を読んで「女の子の友達しかいない」環境に思いを馳せながら、大人になってからの女友達のあり方について見つめ直してみたい。(竹中万季)
鳥飼茜『地獄のガールフレンド(1)』/「関係の形は変われどもそう簡単には友情が壊れることはないと信じることができる」(竹中万季)
まったく違った性格・状況・趣味嗜好、共通点は「友達がいない」だけの3 人が急に同居することになったら? それぞれの事情を持った30歳前後の女性たちが一つ屋根の下で繰り広げる話は、まさに自分たちが普段している会話そのもの。「やっぱ恋愛とか結婚とかで女はバラバラになっちゃうし」という言葉を言ってしまった後に、そういう言葉を言ってしまうのは嫉妬でもなく焦りでもなく、女友達との大切な関係を手放すのが怖いんだということを登場人物が理解するシーンがあるのですが、ライフステージの違いに惑わされずに自分が自分としてしっかりと立っていれば、関係の形は変われどもそう簡単には友情が壊れることはないと信じることができる。女3 人の生活に、空気孔のようにゆるやかに入り込む鹿谷くんの存在にも注目。(竹中万季)
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