She isでは、特集テーマをもとに選曲したプレイリストを毎月Spotifyで配信中。1月の特集テーマ「ハロー、運命」では、LGBTQに関する映画の研究をメインテーマとして行っている児玉美月さんが、「運命」をさまざまな角度から想うための映画と、その作品で流れる印象的な楽曲を紹介してくれました。
「一世一代の運命の恋の煌めき」も「かけがえのない自分自身と出逢うこと」もどちらも「運命」だし、その運命を決定づけるのは、「身近でささやかな選択の積み重ね」であることもあれば、「宿命を乗り越えるための出逢い」とともに誰かと立ち向かう場合もある。「運命」と聞くとどこか抗えないような響きをはらんでいるけれど、自分にとっての「運命」と向き合えば、人生をよりよいほうへと自ら運べるようになるかもしれない。そのヒントとなるような5つの映画作品と、5曲をお聴きください。
かけがえのない自分自身と出逢うこと、それもまた一つの運命なのかもしれない/『わたしはロランス』
『わたしはロランス』(2012年)
・Céline Dion “Pour que tu m’aimes encore”
ハロー、運命のわたし。
男性として生きていたロランスは、35歳の誕生日に「わたし」になることを恋人のフレッドに告白する。これまでの自分は偽りだったのだ、と。どこにいるのか、誰といるのか、それは時として、本当の「わたし」から遠ざけてしまうもの。それでもやはり人生のどこかで、「わたし」が 「わたし」になるということ、それは避けて通れないことでもある。「運命」と聞くと、誰かとの出逢いを思い浮かべがちだが、かけがえのない自分自身と出逢うこと、それもまた一つの運命なのかもしれない。この映画によって、私たちは 「わたし」になることを、「運命」とも呼ぶようになる。
フレッドは戸惑いながらも、女性として生きようとするロランスを一時は支え、ロランスも“わたし“であることを謳歌する。そんな二人がセリーヌ・ディオンの“Pour que tu m’aimes encore”に合わせて身を寄せ合い踊るシーンは、この曲と同じく多幸感に満ち溢れている。
運命は、毎日靴を選ぶことのように、身近でささやかな選択の積み重ねで形作られる/『靴に恋して』
『靴に恋して』(2002年)
・Ani Difranco “The story”
スニーカーを履く女、小さな靴を履く女、扁平足の女、盗んだ靴を履く女、スリッパを履く女……と、それぞれ履いている靴と共に名付けられた5人の女性たちの人生が描かれた映画。私たちを未来に運んでくれるもっとも身近なもの、それは靴。この映画に出てくる女性たちのように、サイズの合わない靴に足を痛めてしまったり、自分のものではない靴を履いてしまったり、必要以上に求めて手に入れようとしてしまったり……。ぴったりの靴で人生を歩むこと、それは思うよりもずっと難しいことかもしれない。それでも私たちは毎日その日に履く靴を選び、そして歩み出す。運命は、毎日靴を選ぶことのように、身近でささやかな選択の積み重ねで形作られる。
フェミニストであるシンガーソングライターのアーニー・ディフランコは自身のレーベルを設立し、独自のスタイルを貫いてきた、まさに自分の力で運命を切り開いてきた女性。そんな彼女の“The story”という曲は、この映画の中で傷付きボロボロになった女性たちに寄り添うように存在している。
一世一代の運命の恋の煌めきに魅せられる/『キャロル』
『キャロル』(2015年)
・Jo Stafford “No Other Love”
「My angel, flung out of space」(天から落ちてきた天使)。こんな至高の愛の言葉はない、そう思う。百貨店の玩具売り場で偶然店員と客として出逢ったキャロルとテレーズ。本来であれば、一瞬すれ違って終わるだけの関係だったとしてもおかしくはない。もしもキャロルと出逢わなければ、テレーズは本当の恋も知らぬまま、退屈を飼い慣らしながら恋人の男性と結婚していたかもしれない。しかし、二人は赤い糸の端と端を辿るように、視線を交えるという行為によって、運命の恋をはじめることとなる。思えば恋というのは、キャロルの言葉通り、天から天使が自分のもとへ舞い降りてくることと等しい。それは人生でもそうそう何度も訪れるものではない。
ショパンの“別れの曲”が原曲であるジョー・スタッフォード“No Other Love”。ただあなたの愛だけ、というフレーズが何度もリフレインするこの曲をバックに、テレーズはパーティーを抜けて愛するキャロルのもとへと駆け出す。そんな一世一代の運命の恋の煌めきに魅せられる、愛すべき作品。
運命はきっと宿命を乗り越えるための出逢いも用意してくれている/『あなたになら言える秘密のこと』
『あなたになら言える秘密のこと』(2005年)
・Antony and the Johnsons “Hope There's Someone”
人生では時に、過酷な運命の波にさらわれてしまうこともある。あるいはそれは逃れられない宿命、と言った方がいいかもしれない。質素で単調な生活に身を投じるハンナは、そんな抗えぬ重い宿命を背負ってしまった女性。映画に出てくるカウンセラーの女性は、そんなハンナの人生を、「運命の皮肉」とも言う。ハンナが暮らす建物を取り囲む何もない深奥なる海は、彼女の心象風景そのもの。
劇中にかかるAntony and the Johnsonsの“Hope There's Someone”という曲で、<Hope there's someone who'll take care of me.(私を気にかけてくれる人がいればいいのに)>と歌われているように、彼女は孤独に甘んじながらも、誰かが訪れてくれることを心の中では待ち望んでいたのだろう。残酷な宿命を抱えて生きていくのに、一人ではあまりに哀しすぎるから。しかし重傷のせいで目の見えなくなってしまった男性の世話をすることになると、そんな彼女にも変化が訪れる。ちょうど谷川俊太郎が『二十億光年の孤独』で、<万有引力とは ひき合う孤独の力である>と詠っているように、運命はきっと宿命を乗り越えるための出逢いも用意してくれている。宿命を乗り越えるための運命。それは今日を生き延びるための運命。
運命は、メビウスの輪のようにまわっていくものなのかもしれない/『テイク・ディス・ワルツ』
『テイク・ディス・ワルツ』(2011年)
・The Buggles “Video Killed the Radio Star”
ハロー、運命。グッバイ、運命。
夫と結婚して5年、穏やかな結婚生活を送るマーゴは、近所に越してきたダニエルに心惹かれてしまう。かくして夫とは別れ、ダニエルと新しい恋を始めるマーゴだったが……という、まさに相手を変えて踊り続けるワルツそのもののような映画。
The Bugglesの“Video Killed the Radio Star”は、マーゴが遊園地でスクランブラーに乗っている場面でかかる曲。一緒に乗っていたダニエルの姿はいつの間にか消え、ラストシーンではマーゴだけが映し出される。ひたすら一人きりでぐるぐるまわっている、その何処か物憂げに見える彼女の姿は、また同じことを繰り返していくのではないかと私たちに予感させる。誰かに出逢うたび、何かに出逢うたびに運命を感じるのは、決して愚かなことではない。運命は、未来永劫ずっとだとか、絶対的なものではなく、メビウスの輪のようにまわっていくものなのかもしれない。その瞬間その瞬間で運命と感じたその感情と手にしたものは、真実以外のなにものでもない。
どうかあなたの運命も、美しい螺旋を描きながら巡っていきますように。