美しさというものは、とても曖昧な概念です。何を美しいと感じるかは、人によって千差万別。時が経つにつれ、いつのまにか感性がうつろうこともしばしばです。揺らいでいく美は、膨大な可能性を秘めています。美しいと感じるものに注視することで、世界の見え方が変わるかもしれない、よりきらめきを増すかもしれない。多様な美を知り、視界をひらこう、人生を彩ろう。
今回は、多様な美を感じさせる絵を描き出すイラストレーターの方々をご紹介します。まだ見ぬ美を、求めて、とらえて、慈しんで。あなたはなにを美しいと感じているのか、今一度考えながらご覧いただければ幸いです。
顔の絵をライフワークとして描き続けるイラストレーター、岡田喜之
第31回『ザ・チョイス』年度賞入選、『graniph Tshirt Design Award 2014』銀賞など多数の受賞歴を持つイラストレーター、岡田喜之さん。装画や挿画のほか、昨年末リリースされた七尾旅人さんの新アルバム『Stray Dogs』のアートワークなどを手掛けています。
大胆に配置された線や色が特徴的な彼のイラスト。一度見たら忘れられない新鮮な絵柄ですが、決して奇抜というわけではなく、親しみやすさと上品さを醸し出しています。ここで描かれる唯一無二の魅力には、美の定義の根本について考えさせる力があります。ディテールが削ぎ落とされているにも関わらず、描かれた人物のまなざしにはたしかに光が宿り、その奥に渦巻く感情や目線の先に見つめるものに思いを馳せずにはいられません。
現在の作風に至った経緯について岡田さんに尋ねると、こんなコメントが返ってきました。
絵を描きはじめたころから「顔」を描くことに強い思い入れがあり、ずっと描き続けています。「顔」を見たとき、その瞬間に湧き上がる感情や衝動を逃さずダイレクトに表現したいと思い、描き続けていくうちに現在のスタイルになりました。 絵を見た瞬間にパッと自分に入ってくるインパクトや、大胆な構図、自由な線、キレイな色の集まっている絵が私は好きで、それらを表現するのにも「顔」は私にとってぴったりのモチーフで、何年もずっと描き続けている要因かもしれません。 今では顔の絵だけではなく様々なモチーフを描くようになりましたが、顔の絵はライフワークとして続けています。
この作風は長い時間の中で磨き上げられてきたものなのですね。どういったものが好きか、またそれらを表現するにはどのようなモチーフや方法が最適かを模索し、そして見出した対象に真摯に向かい合っていく実直な姿勢には胸を打たれます。美は一日にしてならず。自分の求めている美、そしてその先までたどり着けるよう日々歩むことができたら素晴らしいですね。
あらゆる絵柄を軽快に横断する作家、ドーナツ
武蔵野美術大学を卒業後、イラストレーターとして制作会社に約4年半勤務、現在はフリーランスとして活動するドーナツさん。書籍の装画や企業サイトのイラストなどを手掛けています。
彼女は自身のInstagramにて、日めくりカレンダーの様式で日付入りイラストを連日投稿するという試みを毎年末行っています。今回は、2018年12月に投稿された中から3枚を選んでご紹介。彼女は様々な絵柄を柔軟に描きこなし、あらゆる手段を用います。イラストに限らず、こういったやりかたで試行錯誤を重ねることで、気付けなかった美、見落としていた美、予想していなかった美と巡り合うことができるかもしれません。
現在の作風に至った経緯と、絵という手段によって美しさを模索する中で感じることについての問いかけに対する彼女のコメントはこちらです。
私はお客さんの要望によって絵柄を変えるスタイルで仕事をしています。描くことは3歳の頃、漫画の模倣から入りました。心惹かれたところが自分にも描けるようになるまで真似し続けました。 描き方を一つに絞らないのは飽きっぽいところが大きいですが、やり方を変えれば反応も変わるし、響く場所も、響く人も変わってきます。見ている人に何かが届いてほしい、それが自分と遠いものだと思ってほしくない、そう思いながら描いています。自分の中にある一番大切なものを渡すつもりです。それが美なのかもしれません。
あらゆる場所や人に響く可能性を自ら積極的に広げていく、そんなアプローチの方法もありますね。相手の心にすんなりと落ちてゆくものを渡すことができたら、それは有意義な素晴らしい体験となりそうです。自分の思っていること、持っているものを今一度見直して、それに合った表現手段を考えることは、日常生活の中でも役に立つはず。人に何かを伝えよう、そのためのより良い方法を見つけようとする意志そのものに、美は宿っていると思います。
ナガノチサトが描き留める、あえかな日々のシーン
装画や挿画、商品パッケージイラストのほか、アパレルのデザインなど幅広く手掛けるイラストレーター、ナガノチサトさん。2017年にひらいた個展『生活の線』では、同名の作品集も刊行しています。
彼女は自身のサイト上にて「完璧ではない、どこか余白のあるものを線で表現している。喜怒哀楽、どの感情にも含まれる『せつなさ』を意識している」と述べています。完璧であることだけが美しさではありません。彼女が描き留めるあらゆる風景、人の姿、姿勢、感情の中には、やるせなさや儚さと同時に、静かな迫力があります。絵の題も「遠くで愛する人」「楽しい記憶のままでいたかった」など、まるで詩の一節のよう。心の動きの表しがたい精密さ、複雑さに対する着眼点に驚かされるばかりです。
現在の作風に至った経緯と、絵という手段によって美しさを模索する中で感じることについて質問をすると、こんな言葉が返ってきました。
普段から気がつくと人の動きや仕草、話をボーっと見たり聞いたり(勝手に)しています。話す時の声のトーンや言葉選び、手の動かし方や足の組み方や食事の仕方などを眺めながら「いつもそうなのかな、今ここにいるからなのかな」と勝手に想像を膨らませて。
その中で見せる一瞬のキュッとなる気持ち、わぁと大笑いしたあとに我に返ったように戻る表情とかがなんだか美しさとか儚さを感じます。
すぐに忘れてしまったり気付かずに通り過ぎていくような、そんな日々の気持ちや表情に瞬間の美しさがあるような気がしていて、今日もまたぼんやり人を眺めています。
社会的な振る舞いの中にパーソナルな部分が垣間見える瞬間は、違和感や親しみを感じるからか、思いがけず印象に残ることが稀にあります。「美」にスケールの大小は関係ありません。自然や宇宙に対して語られる美しさと同様に、自己を軸に揺れる些細な仕草や表情も、また間違いなく美しく、そこに上下や優劣は存在しないはずです。無数に存在する美しさの、どこにフォーカスを当てるのかは人それぞれ。たまには周囲をぼんやりと眺め、心理的・物理的な視点を変えてみると、面白い発見があるかもしれません。