わたしたちがいまここにいるのは、人から人へとつらなって、むすばれてきたその結果です。血のつながりがあってもなくても、結婚していてもしなくても、友人や動物であっても、家族のかたちは人の数だけ増えていきます。そんな自由や希望に満ちた「家族」という関係と、思うがまま付き合っていけたら素敵ですね。愛しいときもわずらわしいときもあるけれど、自分が「家」だと感じられる場所を、そして「家族だ」と感じられる人を、どうかそれぞれ慈しむことができますように。
今回は、多様な家族のかたちから生まれた作品をご紹介します。他者や自分自身が「家族」についてどんな関係性を願い、築き、どう感じてきたのかを知るきっかけになれたらうれしいです。
くぼあやこが描き留める、あるがままの家族の風景
2006年度『ボローニャ国際絵本原画展』入選、フランスでの絵本出版を機にイラストレーターとなった、くぼあやこさん。その他にも『HB Gallery File Competition』Vol.22『副田高行賞』大賞、2011年度『タイポグラフィ年鑑』グラフィック部門ベストワーク賞など様々な経歴を持ち、書籍や広告などで幅広い分野で活動中です。
夫や幼い娘との日常を描き「#生活百景」というタグと共にInstagramへ投稿している彼女。思わず微笑んでしまうようなお茶目なシーンや、ゆるやかに過ぎてゆくほんの些細な瞬間が満遍なく記録されたイラストの羅列は、のどかながらに圧巻です。ただそこにある暮らし、そして絆の代え難い美しさが、ゆっくりと胸に染み込みます。見逃してしまいそうなこと、すぐに忘れてしまうかもしれないこと、毎日の一喜一憂が蓄積して現在へと繋がっているのですね。
「家族のかたちがそれぞれ無数に存在する中で、自分たちをどんな関係性だと感じているか」という質問を彼女に投げかけたところ、こんなお返事をいただきました。
わたしたち家族は、はみだしものだ。夫婦ともにフリーランスで、2歳の長女、おなかに晩夏に生まれる予定の子供がいる。フリーランスとは言いようで、根無し草である私たちは、公的な補償も薄く、将来が明確に見通せない。世間のはじっこに居させてもらっているという感覚をいつも味わっている。
けれどまあ、なんとか好きなことをして生きている。他の家族と違うことがあるとしたら、個人の部分が強いことだろうか。急に私がインプットのため海外に行くと言い出したら、おそらく夫はダメとは言わない。困った顔をしてなんとかするだろう(まあ行かないけど)。行かないけど「いつだって行ける」と心の内にあるのは、自分の人生が優先されている気がする。
とはいえ、この関係を築くのには時間がかかった。すり合わせに、時には対立を重ね、自分の心根を掘って結局は自分と対峙して答えを探った。労力を考えると、容易にこの関係を手放せないが、個人が損なわれることがあれば考えなくもないんだろうな。とかぼんやり思う。 お互いに高めあってなんて思わない。じゃませず、口出さずで現状維持。これが私たち家族。
あくまでも自立した人間同士として、家族というチームを組むこと。一個人として望ましい状態や関係があったとして、それを実現させるためには、それにふさわしい試行錯誤がきっと必要です。相手の考えをしっかりと聞き、自分自身とくまなく向き合い、ときには秘めたる思いをも提示して。心地よい関係や場所というのは、降って湧いたように与えられるユートピアではなく、お互いにとって好ましい基盤を共に築き上げようという意志の上に成り立つものなのだと思います。
子供を育てながら、そしてアイディアを得ながら創作をする作家、さぶ