吉野舞:家族からもらうことばと生きる
家族のことを思うと、小さい頃から今までかけられた言葉の数々を思い出します。
美しい言葉ばかりでもなかったけれど、勇気があって、親密で、何よりもまっすぐな言葉たち。
それらは、今の一人暮らしの部屋にも、散り散りになって転がり続けていることに気がつきました。私はそれを見て、今を生きているのだということも。
家族という形式的なかたちはそんなに信用していませんが、家族からもらった言葉はたとえ嘘でも、どんなものよりもリアルな存在だと思います。
家を出たことで距離ができ、今になっても溢れ続ける家族の存在は、言葉に代わって、私を部屋で離してくれないもの代表です。
部屋で家族と話す時は、いつも言葉で笑わせたり、怒らせたりしながらもお互いにエネルギーを交換し合ってる。
仕事をする時に肝に銘じておくようにとくれた「電通鬼十則」のポスター。
ばらばらで生きている家族から、私の元へよく絵葉書が届きます。
それは、私がまだ訪れたことがない旅先や住んでいる場所から、世界中をかけ巡って。
彼らが誰といるのか、何をしにそこに行っているのかはよく分からないけれど、家族がそこにいた。ということは確実なので、「ああ、よかった。元気なんだな」と、いつも安心できます。絵葉書に書かれている言葉は、大概はその日にあったことで、緊急事態ではないけれども、私はその手紙に書かれている文章から家族の今の状況や生活を、一人意識の下に潜らすことができます。離れて暮らしていても、想い続ける。だから、私は家族から意思疎通と存在の確認も兼ねて、手紙というツールを使い「家族からの言葉」を欲しがるのだと思います。
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