「プリクラで自分を盛っている子に『なぜ盛るの?』と聞くと『自分らしくあるためだ』と答えるそうなんです」(市川)
今やビューティアプリなどで自分の顔を「盛る」ことは当たり前になり、テクノロジーで自由自在に「美」を生み出せるようになりました。でも、そもそもなぜ「盛る」という文化が生まれたのか、そこにはどんな理由があるのでしょうか。
市川:東京大学の研究者の久保友香さんという方が、「シンデレラ・テクノロジー」というなりたい自分になることを叶える技術について研究していらっしゃって。要はなぜ盛るのかということを研究しているそうなんです。久保さんによると、日常的にプリクラを使って、自分を盛っている子たちに「なぜ盛るの?」と聞くと「自分らしくあるためだ」と答えるそうなんですね。
でも、第三者からすれば加工後は全員同じ顔をしているように見えるわけです。それってどういうことなんだろうと思って調べてみたところ、どうやら「盛る」という行為にもある一定の基準があって、その基準を満たしたうえで外れすぎない各々の個性を出しているということらしいんですよ。
野村:それは面白いですね。
市川:今の時代ってインディビジュアリティみたいなものがフォーカスされがちなんだけど、彼女たちも外見を盛るときに一定のテンプレを作ることでなにかしらのコミュニティに属しているという意識を得ているそうなんですね。今まで人間は、地域や会社、学校のようなコミュニティに属してその中で生きていたけれど、現在はインターネットがあるからみんな大海原を個人で航海しているようなもので。久保さん曰く、そのような大海原の中でもなにかのコミュニティに属しているという安心感を得るために、彼女たちの「基準を満たしたうえで外れすぎない個性を出す」という思想は使われるんじゃないかと。
松島:もう今はほとんど残っていないのですが、南米にお祭りのときに宇宙人のような格好をするヤーガン族という先住民族がいるんです。彼らの格好は一人一人違ってどれもすごく奇抜なんですけど、全体のコードとしては統一されているんですね。今のお話を伺って、ある種のトライブ的な意味合いを持つ自分の表象は、オンラインの世界でも変わらずに持ち続けるものなんだなと思いました。今VR(仮想現実)やAR(拡張現実)などXRの時代になって、VTuberモデルも出てきていますよね。つまり架空の人たちがファッションモデルになる時代がもう現実にやってきていて、これからは人間だけじゃなくて、デジタルの世界だけで存在している人たちも等価にオンラインで暮らすようになっていく。
野村:バーチャルな世界では、それぞれが自分のなりたい顔をつくれるわけですよね。
松島:そうです。でも、例えばみんなが「美しい顔」になったとしたら、逆にその美しさってコモディティ化していくと思うんです。要するにありふれすぎていて、その美しさが当たり前になると、それを人々は美しいと思わなくなる。さっきのテクノロジーの民主化の話と表裏だと思うんですけれど、「美」が日用品になるがゆえにその価値自体が下がっていき、ここでもまた「美」が次のレイヤーに移っていくという現象がこれから起こっていくんじゃないかな。そこで生まれる次の美しさを考えることが、これからの人類の壮大な実験だと思います。
市川:きっと今の人類には想像し得ないことなんでしょうね。
「僕らのいるこの現実も、たくさんあるリアリティの中の『リアル・リアリティ』というようなものになっていく」(松島)
好きな顔やスタイルをバーチャルで手に入れ、自分の理想のアイデンティティをオンラインの世界で叶えていったとしたら、現実の世界とバーチャルの世界、果たしてどちらが本当の自分なのでしょう。最後に松島さんが話してくれたのは、そんなちょっと先の未来について。
松島:今号の『WIRED』は「ミラーワールド」というテーマで特集をやったのですが、これからリアリティが「リアリティズ」になるということが言われているんです。つまり、現実が複数形になって、いくつもの現実が重なっているような社会になっていくと。例えば、今オンラインの世界を「かりそめの社会」だとはもはや誰も思っていないですよね。今までは僕らがいる現実は一つだったけれど、その現実自体がどんどん増えていくわけです。そうすると、僕らのいるこの現実は、たくさんあるリアリティの中の「リアル・リアリティ」というようなものになっていくと。
野村:私たちがこうやって実際に会場に来ているこの現実も、いろんなリアリティの中の一つなわけですね。
松島:そうなると、どこかのリアリティの中では盛った姿でいられるんだけれども、リアル・リアリティでは今あるこの顔です、となる。人びとは自分にとって好ましいリアリティを選択できるので「自分はリアル・リアリティの世界にはいたくないから、『フォートナイト』(世界中で大人気のオンラインゲーム)の世界にいます」といった人も出てくるようになると思います。逆に、リアル・リアリティで実際の顔を晒すことが高貴でエレガントな価値になる、という価値の逆転がそこで起こる可能性もあると思う。再びリアル・リアリティの価値を見直すことになるのではないかな。
市川:さっきのApple Watchのように、結局アナログの腕時計に戻ってしまうというか。実際、そうした価値の見直しはすでに始まっていると思います。例えば、最近すっぴんが美徳と考える人がすごく増えているなと感じていて。私、少し前にサンフランシスコに住んでいる友達と「The Potluck」というクローズドなコミュニティを始めたんです。これは思想を共にする仲間を集めて意見交換をしたり議論したりするコミュニティで、そこで最近アメリカは「すっぴんの自分が私」という価値観で生きていくことが美徳になっていると。それってまさにリアル・リアリティの価値を見直し始めていることなのかなって。
野村:リアル・リアリティは「ありのままの自分」で、でもバーチャルは盛ったり、「なりたい自分」になっていく。もうそういう流れはでき始めてているのかもしれませんね。
松島:僕自身、今日は美を考えるいい機会をいただきました。渚さんとお話させていただいて、まだ見ぬ新しい美へのパーセプションはどんなものになるのか、期待が膨らみました。
市川:「美」についてはもちろんのこと、新しいひらめきを得るためには「ひらめくためのみなもと」が必要だと思います。今日松島さんとお話しして、改めていろんなことに対してアンテナを張りインプットをし続けることを怠ってはいけないなと思いました。
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