ありのままの美しさや、理想とする美しさ……なにが「美しさ」なのかはひとりひとり異なり、とても観念的なもの。とくにものづくりをする人は、今の世界の基準や常識に対してなにか違った価値観を持った「美」を、作品を通して提示しているように思えます。
『She is BEAUTY TALK』は、資生堂が横浜・みなとみらいに新たに立ち上げた研究所「資生堂グローバルイノベーションセンター(S/PARK)」とShe isが新たにスタートさせたトークイベントシリーズ。She isのGirlfriendsがオーナーとなり、さまざまな業界・年齢・国籍の最先端で活躍するゲストとともに「美」を考えていきます。
第2回目のオーナーはボディペイントという手法を通して、既存の美しさにとらわれない表現を生み出しているチョーヒカルさん。ファッションとして着用するウェアラブルロボットを製作するロボティクスファッションクリエイターのきゅんくんを招き、8月11日(日)に開催された美のひらめきをテーマにしたカルチャーフェスティバル『S/PARK SUMMER FES 2019』内でトークイベントを実施。それぞれの活動のフィールドから「美」について語っていただきました。
「美しさってそもそも誰しもが求めなきゃならないものなんだろうかとも思うんですよね」(きゅんくん)
ふたりでご飯を食べに行ったりする仲でもあるというチョーヒカルさんときゅんくん。身体という媒体をベースにそれぞれが表現をしていますが、その手段を通してふたりは美しさとどのように関わろうと思っているのでしょうか。
チョーヒカル:私は、各々が持っている感情とか美しさとか、すでに内在しているものをボディペイントという手法で可視化しているんです。その人が持っていないものを新たに描いている感じではないんですよね。
たとえば、人の身体にオオカミを描くとき、「オオカミになりたい」ってことを表しているのではなくて、女性の持っている強さを可視化するためにモチーフとして使っている感じなんです。内在しているものって、定期的に可視化したり言語化しないと忘れがちになると思っていて。きゅんくんはどう?
きゅんくん:私は中学生のときから電子工作をやっていて、高校で服をつくる部活に入ったときに私のテーマは「テクノロジー」だって決めて、それからウェアラブルロボットをつくり続けていて。美を表現しようとしてウェアラブルロボットをつくっているわけではないけれど、最終的に着用したときの美しさのことは考えているかな。
企業がつくっているロボットって、白くて丸いイメージがあるじゃないですか。私は、小さい頃からロボコンが好きで、そのなかでも大学生がつくった手づくりのロボットが好きなんですよ。だから、そういう多様なロボットを一般の人も受け入れられるようなものにしていきたいっていうテーマは持っていて、そういう意味で美しさを気にかけてはいます。人間の有機的な感じとロボットの無機的な感じが組み合わさると、コントラストによって人間の有機的な美しさが引き出されるというのはあると思いますね。
KYUN_KUN 『METCALF clione & METCALF』PV
野村(She is):人間の内在的な美しさ、ロボットとしての美しさの話が挙がりましたが、「美しさ」という言葉でなにをイメージするかは人によって違うものなんじゃないかなと思っていて。おふたりは美しさはどのようなものだと捉えていますか?
チョーヒカル:私は美しさについて考えるときに、精神的な部分を重視していて。たとえば「美しい人」と言われて最初に思い浮かぶのは、自分のことをちゃんと好きな人かな。それがいちばん美しいなと思います。
よく「バキバキな絵描くね」とか「ちょっとグロテスクだよね」って言われるんですけど、自分では1ミリもそう思ってないんです。たとえば、お花が紙に描いてあったら美しいじゃないですか。でも、「花が美しく描いてある」というだけで終わってしまう。それが人の身体のような普段絵が描かれない場所に描かれているだけで、コンセプトや意図が見えるようになるので、身体というものは媒体として美しさをより深読みさせる能力があると思っています。
きゅんくん:私がウェアラブルロボットをつくるときは、人間のシルエットからいかにかけ離れているかを美しさの基準にしています。服の多くが人間に沿ったかたちをしていますが、私はそれがおもしろくないなと思って。ロボットだったら人間のシルエットから離れることができるので、それが美しいなと思っています。でも、美しさってそもそも誰しもが求めなきゃならないものなんだろうかとも思うんですよね。
チョーヒカル:うんうん、なんとなく「美しくならなければいけない」みたいなプレッシャーはあるけれど、別に違いますよね。
きゅんくん:美しさって人それぞれだから、その人にとっての美しさが他人にとってはそうでないかもしれない。だから、それをすべて「美しさ」という言葉ひとつにおさめられなくてもいいのかなって思うんです。
「『美しくあろう』というモチベーションが自分ではなく誰かのためだと制約が多くなる」(チョーヒカル)
1回目の『She is BEAUTY TALK』で登壇したファッションコンサルタントの市川渚さんは、既存の概念をまといやすい「美しい」という言葉を、「善い」という言葉に置き換えてお話しされていました。「美しい」を違う言葉に言い換えてみると、その人だけの美しさのありかが見えてくるのかもしれません。
チョーヒカル:「美しい」という言葉自体が広義ですもんね。たとえば、見た目の美しさもあるし、きゅんくんが言っていた技術的な美しさもありますし。いろんな場所でいろんな人のそれぞれの美しさがあるという意味では、「善い」っていう言葉に置き換えるのはすごくいいですよね。
きゅんくん:「かわいい」も広義という意味では似てますよね。「いいよね」みたいな意味で使う人もいるし、キラキラしたものやフワフワしたものを「かわいい」と言う人もいるし。
野村:でも、「美しい」って「かわいい」に比べるとちょっと敷居の高さというか、おそろしさもありませんか?「これは美しい」と決められてしまうと「じゃあ、私は美しくないです」ってなりがちなワードでもありますよね。
チョーヒカル:「美しい」も「かわいい」と同じくらい広義だけど、広義であることに気づくまでに結構時間がかかる気がします。私も思春期のときは「『美しい』のはこういう顔とこういう服で、ここから外れたら美しくない!」って思ってましたから。
「美しくあろう」というモチベーションが自分ではなく誰かのためだと制約が多くなると思うんですよ。「この人たちがこう言っているから、こうでなければならない」って、そもそも自分の本来の性質にはないものを求めるから苦しくなる。でも、自分のために「美しくあろう」と思うと、自分のなかにある基準で努力できるので、そんなに苦しくないと思うんです。
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