「赤いワンピースを着た瞬間に「服装警察」みたいな人が来て、『おまえは着てはダメでしょ!』って言ってくるわけないじゃないですか(笑)」(チョーヒカル)
チョーヒカルさんご自身も、ほかの誰かが持つ美しさの基準に縛られてしまっていた経験があるのだそう。
チョーヒカル:昔好きだった男の人に彼女がいて。その彼女が普段着で赤いワンピースを着る人だったんですよ。普段から赤いワンピースを着るってすごく強い人だなと思って、「私は普段から赤いワンピースを着ることができない女だから、この人に選んでもらえないんだ」って思って、それから赤い服が着られなくなったんです。私はかっこよくないし、かわいらしくもないから、かっこいい女の象徴みたいなものを着てはいけないんだっていう枷を自分にはめていて。
でも、去年ニューヨークに1か月くらい行ったときに、驚くほどみんな自分の意思で服を選んでいるなって感じたんです。それを見たときに、「私は誰に怒られると思って、赤いワンピースを自分に禁止しているんだろう?」って思って。赤いワンピースを着た瞬間に「服装警察」みたいな人が来て、「おまえは着てはダメでしょ!」って言ってくるわけないじゃないですか(笑)。
理由もなく勝手に自分で自分を罰しているだけだし、世間体や、赤いワンピースを着ていても着ていなくても「嫌い」って言われるかもしれない誰かのために自分を制限していることにそのとき気づいて。それってすごく無駄だなと思って、帰国した日に新宿駅で買ったのが、今日着てるワンピースです。
きゅんくん:いい話! それ、すごくわかります。私は自分でつくったロボットを自分で着用して写真を撮ることが昔あったんですけど、自分のためじゃなくて、人のためにオシャレをすることのほうが多いなって最近感じていたんです。今ってInstagramとかがあるからオシャレした日って自分の写真を気軽に撮るじゃないですか。でも、オシャレをしても、写真を撮らなくても誰にも見せなくてもいい。そういうのって、純粋に自分のためって感じがして楽しいなって思っています。
「それぞれの美しさがあるんだから、自動で『美』を提示しないほうがいいですよね」(きゅんくん)
野村:でも、どこでそういう「誰かのため」っていう呪いにかかっちゃうんでしょうね?
チョーヒカル:私は小学校で呪いをかけられたのを覚えていて。スカートを履いていると「スカート履いてる! 似合わない!」って全員がザワつく、みたいな。あと、18、19歳くらいのとき、自撮りを一時期ネットにあげていたんですけど……顔の写真をあげると「いいね」がいっぱいつくから、「これが承認欲求を満たす方法だ!」って思って(笑)。そのときに、あんまり話したことない同級生から「顔面晒しオナニスト」って呼ばれたことがあったんです。そういう経験があるから、私はかわいい感じの行動をしてはいけないのかな、服装も変えなきゃいけないのかなっていう呪いがだんだんかかっていきました。
野村:他人を価値づけしていい、評価していいという空気がありますよね。
チョーヒカル:うん、女性の見た目について誰がどうコメントしてもいいみたいなね。でもちょっとずつ、そういう話に対する疑問の声もあがってくるようになってきましたよね。
野村:きゅんくんは何がきっかけで「誰かのため」になっていたんですか?
きゅんくん:私は写真を撮られる機会が結構あって。三次元で人間と会うときにはどんな自分でも全然気にならないんですけど、写真に撮られて二次元になった瞬間に「二次元の自分はこうでなければならない」みたいな理想があって、その理想にあわせていこうとしちゃうんですよね。だから、誰かのためでもないんですけど、自分の理想に精神が食い荒らされていくっていう感じがあるかもしれないです。
チョーヒカル:「こういうのもあるよ」という提示が自分の理想に悪影響を与えることもあると思うんですよね。たとえば、写真加工のアプリとかって、いっきに理想の顔に加工されるじゃないですか。それ自体を見ているときは違和感がないんですけど、なにかの拍子にフィルターがはずれて素の自分に戻ったときに「あ、私アゴが長いんだ……」って思ったりして。別になんとも思ってなかった部分が、比べることで急に悪く感じられることもあると思うんですよね。
きゅんくん:理想の自分になるのはいいけど、そこに固執しすぎると悪影響になってしまうと私も思います。だから、自分で意志を持って写真を加工するのはいいけど、自動で加工されるべきではないと思う。「これがかわいい顔です!」みたいな感じで、最初から勝手に加工されちゃうと、チョーさんが言ったような「私はアゴが長かったんだ」みたいに本来いかなくていい方向に考えがいってしまう。それぞれの美しさがあるんだから、自動で「美」を提示しないほうがいいですよね。
チョーヒカル:うんうん。それでいうと、広告とかもちょっとずつ、「それぞれの美」を尊重する方向になってきてますよね。昔はいわゆるモデル体型の金髪美女ばかり登場していたけど、今はもっとリアルな体型の人を起用する動きがちょっとずつ出てきてるし、私は今のほうがいいと思います。
「みんなが自分を主軸にすることをよしとして、それを尊重して、同調圧力がなくなっていけばいいなと思います」(チョーヒカル)
誰かのために美しくあろうとすることのすべてが悪いわけではありません。でも、見えない誰かのためになにかをやらなければいけないということが、ゆるやかな圧力として今も世の中に漂っているように感じます。一方で、広告などではもっとそれぞれの美しさを大切にしようという動きも出てきている昨今、おふたりは今後どんなふうに自分なりの「美しさ」を見つけていこうとしているのでしょうか。
チョーヒカル:私は一度日本を離れてニューヨークの大学院に行くんです。自分をアップデートしたいっていう気持ちがあって。私は「私らしさ」を極めることが一番良いことだと定義しているので、より自分らしくいられるように、もしくは、より自分の心を直接表せるような表現ができるようにもっと勉強したいと思ったんです。それで、勉強するならこの赤いワンピースを買うきっかけにもなったニューヨークがいいなと思って行くことにしました。
きゅんくん:自分らしさを求めて新しいものをインプットするときって、「これは自分らしさになるのか、どうなのか?」っていう選別が生まれますよね。チョーさんはどうやってそれを対処しているんですか?
チョーヒカル:前にニューヨークのアトリエで作品制作をしていたときに、美術評論家に「ボディペイントは一生アートにならないから」みたいなことを言われて。その言葉はすべて受け入れようとはせず、そう思う人がいるという部分だけ受け取りました。「そういうことを言う人は、こういう理由で言っているんだろうな」っていう部分は理解しつつ、自分にとってすごく大切な表現であるボディペイントは残して、自分の感覚と擦り合わせながらどこかで妥協点を見つけるっていう感じで、新しいもののなかから受け取る部分と受け取らない部分を取捨選択してます。
野村:そういう意見を言う人にも、どうしたら作品を見てもらえるか考えたりしているんですか?
チョーヒカル:そうですね。ぎゃふんと言わせたいですしね(笑)。でも、批判があるからこそ、自分のなかで譲れないものが何かわかりますよね。
きゅんくん:アップデートという話だと、私は社会人学生で今年修論を書かないといけないので、自分のウェアラブルロボットを研究としてアップデートしていけたらいいなと思っています。今まで展示会に来てくれた人から着用した感想をもらっていたんです。その感想の言葉をもとに、人間がロボットに対して感じることの傾向をまとめて発表できたらいいなと思っています。
チョーヒカル:すごい。お互い頑張りましょう。やっぱり、自分のありのままを受け入れて、誰かではなく自分のためにいろいろなことをするのをいちばん主軸にできたらいいと思うんですよ。SNSのいいねの数とか、惑わされる情報もあるとは思うけれど、みんなが自分を主軸にすることをよしとして、それを尊重して、同調圧力がなくなっていけばいいなと思います。
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