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『ケンカじょうとういつでもそばに』に寄せて/ソノダノア

娘・もくれんとの生活を記録した写真集。あとがきに書けなかったこと

テキスト・撮影:ソノダノア 編集:竹中万季
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本当は長いあとがきを書いていたのだけど、間際になって無性に嫌気がさして、掲載に至ったその短い一節を除いてすべて消してしまった。今に思えばこの折に伝えるべきことも中には含まれていたような気がしないでもない。なのでこの場を借りてここに掬い戻してみようと思う。『ケンカじょうとういつでもそばに』の紹介にふさわしい内容になるかどうかはあやしいところだけど、写真を撮ることについて、もくれんbotというものについて、考えてきたこと、考えていることを書いてみることにする。

まさか自分が今回の人生で書店に流通する類の本を出版することになるだなんて夢にも思わなかった。というのは半分くらい嘘で、フィルムで写真を撮るようになったあたりから写真そのものの面白さにのめり込んでゆき、いつか本の形にまとめることができたらいいななんてひそやかな夢を見ていた。実際にZINEをつくることにもとりかかっている折、七月。友人であり写真家の齋藤陽道さん・盛山麻奈美さん夫妻がうちにきていた日の夜こと。子どもらが寝静まったあとの静かな時間の落ち着いたおしゃべりの中で私はここにきて写真がどんどん楽しくなってきていることや、これまでに撮ってきたもくれんの写真をいつか本の形にすることができたらいいなと思ってることなどを話していた。対話に引き出されるように言葉の輪郭をまとって飛び出した自分の意思を俯瞰しながら、 えーいいじゃんそれ、なんて人ごとのように思ったりしていた。

その翌日、私のTwitter宛に「本を出版しませんか?」という旨のDMが届いた。量子力学の法則にしたってなんという速さなのだろう。KADOKAWAって書いてあった。KADOKAWAって、あの、出版社のKADOKAWA?

あさっての彼方にぼんやりと浮かんでいた“いつか”が藪から棒にボテっと落ちてきたのだ。私は写真集をつくることになった。

子供の頃の私は暇さえあればお絵かきをしていた。絵を描いていると人が机のまわりに集まってきて、「ちびまる子ちゃん描いて」「次、私のノートにも描いて」。絵は私の中で友達をつくる手段になっていた。

公民館でバレエを習うも身体の素地が硬すぎてどうにもならず、九九はとうとう覚えられなかった。授業の退屈さに耐えかね休み時間にクラスメイトをそそのかし地の果てをめざす旅に出かけ失踪事件を起こしたこともある。こっぴどく叱られたが、あの日の濃い夕焼けの色は私の中に自由の原風景として焼き付いている。そんな調子で絵以外のことで親や先生に褒められるようなこともそうそうなかったことや、絵の中にくらいしか自由でいてもいいような場所がなかったこともあって、自分と世界との健やかな接点になるものは絵しかないのだとどこかで思い込んだまま大人になったような節があった。

やがて時はインターネットの時代へ。開かれた世界にサーチライトを当てるとそこには絵を描く人がごひゃくまんといた。技量、センス、発想、ガッツ、どれひとつをとってもかなわないような才能がごろごろ転がっていて、そこいらいっぺん途方もなくはなやいで自由にみえた。そのかたわら、水面下では用意されたわずかばかりの椅子を血眼で奪い合いながら勝敗や優劣を振り分ける遠心力の渦に巻かれた戦場のような気配も同時に感じとっていた。果たして自分が勝ちたいのかどうかもわからなかったけど、この中に自由があるとは思えなかった。いずれにしても私の手札は一目瞭然で弱かった。これまでのちっぽけな世界で自分の最たる強みだったものは一転してコンプレックスへと変わった。かつて自由の庭だったまっさらな白い紙も何もないからっぽの広場みたいな自分を反射する鏡のように思えて、絵を描くことそのものがどんどんしんどくなっていた。縫い物、コラージュ、グラフィック、いろいろやってみてそれなりに楽しみはするが私はずいぶんと長い間迷子になっていたのだと思う。

そんな心の揺らぎとはまた別のレイヤーで人生は子育てという激動のフェーズに突入していた。刻々と移り変わってゆく子供の姿を残したいというシンプルな動機でカメラを手にして、いつのまにか写真行為そのものの面白さにのめりこんでいった。

絵が自我とのタイマン道場みたいになっていたかたわらで、写真は目の前にあるものに感応しながら都度反射する自分の側面と流動的に出会いつづけるような風通りの良さがあった。それに、写真特有の瞬間の集中力で撃ち抜く動作はすこぶる私の性に合っていた。写すときは目で直感するままにシャッターをきる。撮ってるときはあまり深く考えない。カメラは全体像のわからない何かのピースを拾いあげる。新しい絵札を引いて手札の束に加えていくような感覚で。そうして焼き付けられた写真はタロットカードのような性質を帯びて、私を思考に導くための鍵を与えてくれる。写真をやるには自分がただのからっぽの広場であることを責める必要が一ミリもなかった。むしろ絵札を広げて読み解くには広場こそもってこいのスペースだったのだ。

もくれんbotというツイッターアカウントのなりたちについても話そうと思う。

無縁の土地にきてすぐに子供を産んだので、新しく知り合う人はみな私のことを名前ではなく“もくれんちゃんのお母さん”というふうに呼んだ。その呼ばれ方のとおり、実生活は寝ても覚めても育児一色だった。これまで刹那優位の奔放な人生を主演してきた私の映画がエンディングぶつ切りで新エピソードに切り替わり、脇役のおっかさんとして再配置され上映時間20年にも及ぶ大長編がはじまってしまったかのようなパンチの効いたヤバさがあった。

どうにか育児とは別レイヤーの世界と関わりを持つ方法を考える必要があった。属性をはずした自分自身であれるシェルターとして登録してみたのがツイッターだった。ここには子供のことは一切書かないと決めて自分のアカウント@sonodanoaをはじめた。

当初夫だったひとはおおむねが不在だったので、日に日にふえる言葉、しぐさ、こんなにもかわいくておもしろくて儚さに満ちた一挙一動を一緒に目撃し、同じ熱量でよろこべる相手がいないのは言いようもなく孤独だった。もし自分が死んでしまったらこの時間の記憶はどこにも残らないで消えてしまうのだと思うと心許なさで胸がくるしくなった。どこかに残しておきたかった。

ツイッターのアカウントをもうひとつつくった。@mokurenbotだ。遠方暮らしでパソコンをはじめたばかりの母や、ごく数人の友人らからフォローをされた。記録も兼ねつつ彼らに成長の様子を報告するように、iPhoneで撮ったもくれんの写真につたないおしゃべりの中でドキッとした言葉などを書き留めてツイートした。いいねがつくと自分以外にももくれんの成長を見守ってくれる仲間がいるみたいで心強かった。

淡々と続けていると次第に直接の友人知人ではない人からもフォローされるようになっていった。子供の写真を投稿するときにはスタンプで顔を隠すのが主流のこの時世、正直とまどいは常にあったし、今もある。それでも家族アルバムや育児日記の類を一切つけてこず、成長の記録として唯一機能していたのがツイッターだったこともあり、幕引きのタイミングを掴み損なったまま8年の月日が経った。現在のフォロワー数にいたっては、まさかこんなつもりではなかったというのが正直なところ。であると同時に、アカウントをやっていなかったら出会えていなかったであろう人との縁に支えられ生かされていることもまた温度を伴った事実としてここにある。

アカウント上に残してきた言葉はすべて私との会話の中から拾い上げたもくれんの言葉の断片で、写真に写っているのもまぎれもなくそのときどきのもくれんの姿。修正なんてもちろんしていない。ただ、問題はこれらすべてのもくれんが私の琴線によって切り取られた側面のみに偏った集積体であるということ。つまりは乙女座が故の私のロマンチシズムが濃縮されすぎてしまったということにあった。

もくれんは学校に行くときはいつも黒やカーキなどの控えめな色の服を選ぶし、クラスメイトと一緒に写ってるスナップ写真では隣の子と同じようにピースサインをしてはにかんでいる。休日はほうっておくと朝から晩までNetflixでアニメをみてるし、ひどい姿勢で3DSをやりながらお菓子を食べこぼしてる。いたってふつうの小学生の顔だってありあまるほどに持ってるのだ。

あるとき、「もうそろそろやめてあげてほしい」というようなことが書かれた知らない人の呟きが不意に目に飛び込んできた。ぐさりときたと同時に、まさしくその通りだな! と共感する自分が反射的にいいねをタップしてた。何日かして、私はもくれんに質問をした。

ノ「ねぇ、このアカウントどうしたい?」

も「スマホゲットしたらもくれん新しくやるから。『本人がはじめたからみんなこっちをフォローしてね〜 じゃ、こっちは終わりまーす』ってそのときつぶやけばよくね?」

ほほう。いつもそうだけど、もくれんって頭の中、とてもシンプルだ。

そんなこんなでそうなる未来がやってきたそのときはまたはじめからフレッシュなもくれんと出会いなおしてほしいなって思う。

さいごに、出版にまつわる常識ゼロ、出来上がりのビジョンまっさらの地点から、私の意思を引き出すように対話を重ね完成まで伴走してくださった編集者の杉浦麻子さん。私のぶつ切りな思いつきを丹念に掬い連ねもやの向こう側からハレとケの同居したすばらしい装丁に仕上げてくださった名久井直子さん。この本はおふたりの知恵と才能を存分に借りて爆誕しました。ちなみにタイトル『ケンカじょうとういつでもそばに』は表紙の頃のもくれんが歌ってた即興ソングのリリックの引用です。

この写真集に綴じたのは過去から現在まで。私たちはというともうすでに未来の中。未来の散らかった台所で半額のさわらを照り焼きにしています。本が売れたら海外旅行に行きたい。

ソノダノア

PROFILE

ソノダノア
ソノダノア

生活におけるファンタジーの観測
視点の採集/写真
感覚野は視覚優位です

もくれん
もくれん

2008年生まれ、天秤座。すこぶる寝入りと目覚めのよい小学生。好きなおかずは最後に食べるタイプ。将来の夢はやさしいお母さんになること。木星のもくはもくれんのもく、れんはちょっとわかりません。しあわせなことは、ノアがやさしくて、美味しい食べ物が出てきて、ねこを撫でているときもそう。世の中にはたくさんのしあわせがあるのだ。よく鏡の前で歌ってる。自分の歌ってる姿を見たいから。結構いいと思うよ。

INFORMATION

リリース情報
リリース情報
『ケンカじょうとういつでもそばに』

2019年10月31日(木)発売
著者:ソノダノア
価格:1,600円(税抜)
発行:KADOKAWA
Amazon

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