過ちを認めるのは「負け」ではない。変化に寛容な都市、トロント

カナダに移住し雑誌の編集長を務める菅原万有さんが綴る

2020年1・2月 特集:これからのルール
テキスト・撮影:菅原万有 編集:竹中万季
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日本で暮らしていると「あたりまえのもの」「変えられないもの」として存在しているように感じられるさまざまな「ルール」。少しずつ変化していっているものもあれば、いまの時代に合わず、これから自分たちの手でつくり変えていくべきものもたくさんあるように感じられます。国外で暮らす方々に、法律や制度のようなものからなんとなく「こうあるべき」という空気まで、いま暮らしている場所でのルールの捉え方や日本で存在しているルールとの違いについて4つの質問を投げかけました。

1.今暮らしている場所はどのような場所ですか?
2.今暮らしている場所で、ルールを変えていくときに人々はどのようなことを行っていますか?
3.日本にはないけど日本にあったらよいのではないかと思う/社会を運営していく上でポジティブに働いているとおもうルールを教えてください。
4.「こうあるべき」というムードを感じることが多い日本。あなたが暮らしている場所にはこうあるべきといったムードはありますか? あるとしたらそれはどういうトピックに対して象徴的に存在しており、それに対し人々はどう向き合っていますか?

一人目はカナダに移住し、トロントの美術大学の修士課程に在籍しながら、翻訳者や雑誌『Japan In Canada』の編集長兼ライター、レポーター、写真家、ビデオグラファーなど多義に渡り活動している菅原万有さん。市民の約半分が国外生まれで、様々な文化や価値観が尊重して受け入れられるというトロントには、過ちがあったとしても対話しながら乗り越え、常に変化し続ける力強い自由のかたちが存在していました。

移民が各自の文化や宗教をそのまま持ち込み、自分の文化を尊重しながら生活することができる、世界でも有数の移民国家

今暮らしている場所はどのような場所ですか?

「アメリカの優しい親戚」と称される、カナダのトロントで暮らしています。カナダは多文化主義政策を世界で初めて導入した国で、移民が各自の文化や宗教をそのまま持ち込み、自分の文化を尊重しながら生活することができる、世界でも有数の移民国家だと言われています。

2015年、トルドー首相が就任後に組閣した内閣は男女15人ずつの閣僚を起用し、先住民の血を引く大臣やアフガニスタン難民の閣僚、ゲイであることを公言している議員を大蔵大臣に任命し、閣僚の人選理由を問われた首相は「Because it’s 2015(なぜなら2015年だから)」と回答しました。このポリティカル・コレクトネスを重視する姿勢は、多様性とインクルージョン(多様性の受け入れ)という、カナダで暮らす人々の多くが共有している価値観をよく表していると言えます。ブラウンフェイスのスキャンダル(※1)や先住民族の土地を破壊するトランス・マウンテン・パイプライン拡張計画など、行動の伴わない上っ面のよさが批判されることもあるトルドー首相ですが、彼が象徴するホワイトリベラリズムは、その上部だけの平等さや美しさという側面も含めて、今のカナダらしいと思います。

そんな側面もあるカナダですが、国の多文化主義を象徴するような都市のトロントは、市民の約半分が国外生まれという多民族都市です。芸術が盛んで、他人の文化や価値観を尊重して受け入れるのが当たり前というスタンスの人が多い。個人が自分のペースで暮らすことができて、クリエイティブなエネルギーが常に生まれている、変化に寛容な都市です。

小さい頃からクリティカル・シンキングを取り入れているため、何事も鵜呑みにせず、疑問を持った物事について論理的に調べてみることが大事という前提が共有されている

今暮らしている場所で、ルールを変えていくときに人々はどのようなことを行っていますか?

トロントの美術学校で学び、働いているうえで頻繁に聞く言葉のなかに「decolonization(脱植民地化)」というものがあります。大まかに言うと、16世紀の大航海時代以来、世界の4分の3を侵略し、植民地化した西欧のレガシーに立ち向かい、これまでスタンダードとされてきた西欧近代文明の普遍性をめぐる神話の解体を目的とするアプローチです。また、抑圧を受けてきた文化と人々を大文字の物語に回収される従属的なものとして扱う西欧中心主義というルールに対抗し、多様な文化が対話的に結びつき合う場を開いていくことを目指すものです。カナダという国の文脈では、タートル・アイランド(先住民族の言語で現代のカナダの土地を指す)を奪われた先住民族にまつわる欧米視点の歴史を再構築し、彼らの文化的慣行内の理論的、政治的プロセスを使用することを指します。このアプローチは、先住民族の文化的大虐殺という負の歴史の上に建つカナダの反省の反映としてとても意義があるもので、私の属する学校ではカリキュラム、教員や生徒の民族構成バランス、キュレーションや思考の方法までと様々な分野において幅広く実地されています。

ルールを根本的に改革する、脱植民地化というアプローチについても言えることですが、カナダで暮らしていると、何か問題が起きたときに、いろいろな人の声が聞かれやすい、変化が起きやすい環境が整っていると感じます。カナダの教育は議論を非常に重要視する傾向があり、クリティカル・シンキングは早いところでは幼稚園の教育に組み込まれていて、大学でも授業が必須科目として義務付けられているところが多い。小さい頃からその手法を取り入れているため、何事も鵜呑みにせず、疑問を持った物事について論理的に調べてみることが大事という前提が共有されているのかもしれません。

相手にリスペクトを持ちながら対話し、何かがおかしいと思った時には声をあげる。それは至って当たり前のことですが、それが前提として共有されているからこそ、老若男女が思い思いのデモに参加するし、政治的な発言をするのは至って普通という風潮がある。去年、講義中に教員が学生たちに気候変動ストライキへの参加を促すという場面を何度か見掛けましたが、それも時代に伴わない古い価値観は積極的に過去のものにしよう、という意識がうまく共有されている現れなのだと思います。

去年9月にトロントで開催された、若者らが温暖化対策の早急な強化を求める大規模なストライキにて

過ちやおかしいところを認めるのは「負け」ではない

日本にはないけど日本にあったらよいのではないかと思う/社会を運営していく上でポジティブに働いているとおもうルールを教えてください。

ミキ・デザキ監督の慰安婦問題に迫る映画『主戦場』にて、藤岡信勝氏が過ちを認めるのは負けだという考えを述べていますが、このメンタリティに今の日本の悪いところが凝縮されていると思います。カナダには、今も様々な差別が蔓延っていますが、国が過去の過ちを認め、既存の社会問題に取り組む姿勢を見せていることは、それが決して十分ではないとはいえ「反省することは恥ではない」という意識の共有に貢献している。だからなのか、カナダで出会う多くの人々はおかしな規範を捨てていくことに対して抵抗感が少ない。

例えば、カナダにも大きな影響を与えた#MeToo運動に伴って、カナダ政府は2018年に「ジェンダー・バイアスされた暴力を防止する為の戦略」という政策を拡大し、年内に2千万ドルを追加、今後5年間に掛けて8千6百万ドルを追加すると発表しました。先進国の中で唯一2019年版ジェンダー・ギャップ指数で100位圏内に食い込めなかった日本と比較すると、世界144カ国中19位と高い順位にあるカナダでも、女性を取り巻く課題について見直すための議論が積極的に行われている。日本は反して、凝り固まった「常識」のせいでルールを変えることが難しいと言う環境があり、臭い物に蓋をする精神が横行することもある。声をあげることに対するハードルもすごく高い。

黒人思想家・革命家のフランツ・ファノンは、「私が旅するこの世界で、私は自分を常に作り変えている(In the World through which I travel, I am endlessly creating myself)」と述べています。二項対立的な構図で物事を考えるのではなく、様々な意見を聞き、自分で考え、受け入れたり拒絶してルールと自分を改革していく姿勢が非常に大事だと思います。

私たちはいつも非常に強い中核的信念を持っていて、信念に反する証拠が提示された時は認知的不協和(※2)と呼ばれる不快な感覚が生み出されることから、拒絶反応を起こす場合もある。でも、自分が親しんだルールから離れたものは拒否するというスタンスは、時に人をがんじがらめにしてきたルールの強化に繋がる。

今、#MeTooをはじめとして様々な形の抑圧を受けてきた人々が声をあげていますが、おかしな決まりごとが横行している今を生き延びるためには、これまで当たり前とされてきたルールが本当に合理的なのか、それは誰の利益のためにあるのか、権力の根源は何か、ということを一度踏みとどまって考える姿勢が大事だと思います。

ルールは最低限の社会的秩序を守るために必要ですが、それは同時に権力的支配の維持のツールでもある。沢山の理不尽な決まりごとに抑圧を受ける人が沢山いるからこそ、疑ってかかる姿勢が大事です。理不尽なルール、または価値の配分体系の承認は、宣伝やメディアでの表象などの手段を駆使し、常に培養され、強化されている。権力者は主観的欲求を集団の欲求として客観化して説得し、合理化し、それらは時に国家の制度として確立され、または文化的価値として私たちの人格のうちに埋め込まれ、不平等が維持される。

過ちやおかしいところを認めるのは「負け」ではない。誰かが自分と違う意見を持っているのは、当たり前なこと。まずは相手の意見を聞き、自分の考えさえも疑ってみる。そのような批判的思考を培う環境があるカナダから、日本が学べることは大きいと思います。

色々なものが混ざり合って共存しているからこそ、スタンダードに合わせる必要がない

「こうあるべき」というムードを感じることが多い日本。あなたが暮らしている場所にはこうあるべきといったムードはありますか? あるとしたらそれはどういうトピックに対して象徴的に存在しており、それに対し人々はどう向き合っていますか?

2018年にカナダに移住してから、マイクロアグレッション(※3)などの差別を経験したことはありますが、「こうあるべき」という規範を意識したことは幸いなことに殆どありません。その理由の一つに、トロントはいい意味で都市としてのカラーが薄いからなのかもしれないと思います。

トロントは今まで訪れた都市の中でも断トツにヘテロトピア(※4)という言葉がぴったりな都市なのですが、それは様々な文化や価値観が一元的なものに回収されるのではなく、いつも流動的に入れ替わっているからだと思います。色々なものが混ざり合って共存しているからこそ、スタンダードに合わせる必要がない。

例えば、トロントのチャイナタウンで飲茶を食べて、そこから10分歩くとリトル・ポルトガルやリトル・イタリーがあり、その向こうにはフューチャリスティックなCNタワーがそびえていている。街行く人は肌の色も服装もそれぞれ自由で、女性を見ていても、「痩せていないといけない」「色白でないといけない」などの男性視点的な美の基準に沿おうという意思は薄いと感じる。それは多種多様な価値観が共存していて、美の基準が一つではないからこそなのだと思います。耳に入る英語にも様々なアクセントが入り混じっているし、たとえばカナダの救急車を呼ぶための緊急ダイヤルは100の言語に対応していて、地元ケーブルテレビも多言語放送です。

何においてもスタンダードという、堅苦しい規範を意識しなくてもいい環境があるからこそ、ここでは自分を自由に表現できる。この寛容なムードは、今後人口減少と少子高齢化が進み、移民受け入れを避けられない日本が様々な背景を持つ人と共存していくうえですごく必要な要素なのではないかと思います。

※1:2019年9月、トルドー首相は肌の色の濃さを誇張する「ブラウンフェイス」の化粧をしていた20年近く前の写真が米誌タイムに掲載され、釈明に追われた。
※2:人が自身の中で矛盾する認知を同時に抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語。
※3:悪意のない小さな差別的な言動や行動のこと。
※4:現実の枠組みの中で日常から断絶した異他なる場所のこと。

PROFILE

菅原万有
菅原万有

トロント在住のアーティスト。1994年東京生まれ。10代を英国で過ごし、早稲田大学国際学部卒業後、カナダに移住。現在オンタリオカレッジオブアートアンドデザイン美術学修士課程に在籍し、アジア系ディアスポラとトランスナショナリズムに関する作品制作と研究を行う。同大学で教員助手を務める傍ら、翻訳者、雑誌『Japan In Canada』の編集長兼ライター、レポーター、写真家、ビデオグラファーとして多義に渡り活動している。

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